人生の夜明けと

人生を照らす朝陽☀️


50年も生きてくると

思い出せない記憶の方が多い

記憶の引き出しにはしまってある

でも、開ける手立てや

その場所すらも定かではない


先日、結果としては母への愛

母としての愛を解いた


私自身が辛くなったから

子どもから向けられる愛が私を苦しめる

無条件にそして無限に向けてくる

放ってくる愛が私を苦しめるから


限界だった


母の役に立つのであれば存在を許される

そんな子ども時代

役に立たないのであれば

母(親)から見えるところ

目につくところにいるなと言われていた


弟の面倒を見るのは当たり前

家のことをするのも当たり前

家業の手伝いをするのも当たり前

この当たり前をやって

初めて

いることを許された


何しない人間にご飯を食べる資格はない

これもよく言われた

ご飯を食べること(生きようとすること)に

なんの資格が必要なのか…笑


私は母たちへ好きだと言うことはもちろん

近くにいることも拒まれていると感じていた

このままの私ではダメなんだと


私はただの私で愛されたかった


そして母には好きだと言いたかった

もちろん、父にもだけど

父は偏ってはいたけれど

愛を感じさせてくれる人だった

言葉で好きだと伝えることはできなくなった私がしたことは可能な限り近くにいること


私からみると祖母からの愛に絡め取られていた母

愛ゆえに自由を制限されていた愛

祖母もまた愛深き故に苦しんでいた

それは母を苦しめていたと想像できる



長くなってきたのでひとまずここで切りますね



読んでくれてありがとうございます



はちのすけ