「水木しげる」わたしの失敗 | ほめる・わらう・愛と光と感謝の輪

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ショック! 私の失敗・産経新聞文化部 編著

    著名人の失敗・水木しげる(漫画家)


  この本には たくさんの著名人の「私の失敗」がのっている。

  中でもこの方の失敗は スケールが違うようだ。

  以前 この方の自伝を読んだ事があったが 暖かい心が

  感じられて ファンになった。


  弟を「死なせてみよう」

  人間死んだらどうなるんだろう・・・と小さいときから深く考えていた。

  5歳になったある日、その考えの答えがどうしても欲しくて我慢でき

  なくなった、弟を海に突き落として死なせてみようと実験を試みた。

  「家の近くに小さな船着場がありました。落ちたら水は深く、流れも

  早かったから溺れ死ぬかもしれないと考え、やつがこちらに背中を

  見せた隙に強く押しました。」水木さん談

  弟はぎりぎりのところでふみとどまり驚き 怒り 泣きながら反撃し

  てきた。

  「親にはおこられました。こってり油を絞られて大きな灸をすえら

  れました。」深く反省し以後 そのように大それた実験に手を染め

  た事はないそうである。


  歩哨に立って奇跡的にたすかる

  21歳のとき召集令状を受け鳥取に行った。ラッパがうまく吹けず

  に配置転換を申しでる。

  北と南どっちがいいかときかれ、南ですと答え、南方戦線にいか

  される。戦況はますます激しくなり前線へ、前線へ、と追いやられる。

  「起床ラッパが鳴ってもなかなかおきない私はいつもで入り口近くに

  寝かされていたんです。毎朝みんなが胸をたたいて起こそうとして

  くれるのにいつもぎりぎりまで寝ていました」水木さん談

  ところがその朝は違った。たまたま眠い眼をこすりながらも、双眼鏡

  を手に、ひとり海岸のかなたを警戒する歩哨に立っていたのである。

  「朝焼けの海がとてもきれいでした。ジャングルのほうにはきれいな

  オウムが数羽、平和な家族会議を開いているのが見えました。」

  背後にいきなり敵が表れたのはそのときだった。

  「いつもなら、みんなを起こしに行かないといけない時刻でした。

  でも、私はきれいなオウムの姿にうっとりみとれていたのです。

  その1分かちょっとの間が、運命の分かれ道になりました。」

  敵の一斉射撃で眠っていた9人が全員帰らぬ人になり、逃げた

  水木だけが奇跡的に命を永らえた。

  戦争が終わったが ようやく復員してきたが、しかし左腕を失って

  いた。その後いろんな職業を経験し漫画家になった。

  

  *****

  

  水木さんの生き方の基本は物事を常に明るく 前向きにとらえる

  ところ。腕をなくしたときも「落ち込んだってしょうがない。

  利き腕の右手があるじゃないか」と 考えた。

  こういう人生もある・・・。


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