沢村 貞子という人・山崎洋子著 | ほめる・わらう・愛と光と感謝の輪

ほめる・わらう・愛と光と感謝の輪

「地球ほめ笑い企画」を共同主宰。「ほめカード」「自己紹介ほめトランプ」共同制作。ほめ笑い講座・ラフターヨガ・感謝法伝授・人生の目的を知る講座・マリアヘッドヒーリング伝授・随時開催。

晴れ 作者の 山崎洋子さんは 沢村貞子さんの元マネージャーで


   32年つとめた。女優を引退するまでとそして引退してから 


   一番身近で最期を看取った。


   沢村貞子さんは 津川雅彦さんのおばさんにあたる。


   黒柳徹子さんは 沢村さんのことを「母さん」と呼んで慕っていた。


   明治41年浅草に生まれる。


   女優でもあり 随筆家でもある。


   この随筆が なんともいえず いい。


   夫である大橋さんの事を「老いの道ずれ」のなかで次のように


   書いているという。(赤字部分)


   ある日 フッと出逢った男女・・・縁もゆかりもない二人が・・・


   それから、足掛け50年、片時も離れまい、とピッタリ寄り添って


   暮らしたというのは、いったい、どういうことなのでしょうね。


   別居中とはいえ 二人とも結婚していたという。京都で暮らし


   ていた沢村さんが東京に移ってまもなく、沢村さんのもとに


   突然大橋さんが 現れたという。


   『・・・とにかく、家は 捨ててきた。あなたと二人で東京で


   暮らそう』


   『・・・でも 新聞社のほうは?』


   『辞表を 出してきた』


   『え? やめたの?』


   『うん 一身上の都合という事で・・・』


   その一言が、私の胸に こたえました。 あんなに大事にして


   いた仕事・・・・あんなに大事な仕事をやめて・・・。


   いろんな事が 頭の中を ぐるぐるかけめぐりました。


   その後 沢村さんは 夫を大切に 生きた。


   大橋さんが 沢村さんにあてた『別れの言葉』を大橋さんが


   なくなった後で沢村さんは 読む事になった。


   最後は こんな風に終わっているという。


   戦後 無一文のどん底から、なんとか生き延びてこられたのは


   唯一人、貞子という心やさしく、聡明な女性に 出会えたから


   である。その意味で、これは、一人のハンパにんげんが、思い


   もかけぬ幸運に恵まれた(ある果報者の軌跡)といえるかも


   しれない。


   ・・・・ありがとう。


   沢村さんは涙が とまらなかった、という。


   長年沢村さんを見てきた 山崎さんは 


   ・・・やはり それまでの生き方が ものをいうのではないか。

  

   颯爽と生きた人は 颯爽と逝けるのが 道理ではないだろうか。


   と書いている。


   沢村さんの人となりが たくさんちりばめられていて 読後が


   すっきりと はればれとしたきもちになれる 一冊である。


   生きたように 逝ったあと 遺言により 海に 散骨された。


   黒柳さんや 津川さんや 身近でお世話してくれた方々に


   みまもられて・・・。







喜びの輪 が ひろがる ヒーリングスペース
       AMALAS  http://amalas-love.com