本書の一貫したテーマは、「認知的錯覚」である。
認知的錯覚とは、直感的に信じ込んでしまう認識の誤りのことである。
認知的錯覚は、意思決定に重大な弊害を及ぼす可能性がある。これを回避するための手がかりを提供するのが本書の目的であると思う。
本書は、意思決定の際に陥りやすい罠を随所に取り上げており、事例がたいへん豊富なので大変面白く読めるのだが、そのぶん 900 ページにも及ぶ大分量なので、時間をかけてじっくり取り組むことが出来るタイミングで読んだほうが良い。
ファストアンドフロー、鳩は2回目の追舐めなので何とかなったが、はじめて読んだときはけっこう仕事も忙しい頃で余裕がなく、とてもナメナメどころではなかったのを覚えている。
また、鳩が今夢中になっている「速読」という観点では、ごく初歩的な心理学、経済学の知識がなければ速読にも向かない本だ。
チャルディーニの「影響力の武器」の10倍は骨が折れると思っておいたほうが無難だと思う。
いくら右脳の使い方が上手な人でも、意味の分からぬ言葉ばかりがそこかしこに散りばめられた本を速読できるとは思えない。言葉(のカタチ)からイメージをとらえることすら出来ないからだ。
こうした意味でも、今月末に参加する瞬読体験会はとても楽しみにしている。
さてところで、カーネマンは、認知的錯覚を論ずるにあたり、3つの概念の2項対立構造を軸に展開している。
1つ目が、「速い思考」(=システム1)と「遅い思考」(=システム2)である。
「速い思考」(システム1)とは瞬間的に頭にひらめく直感によるもので、「遅い思考」(システム2)とは頭を使って論理的に考えるものであるという。
カーネマンはこの二つの思考について、「気まぐれなシステム1」と「怠け者のシステム2」と呼んだりしている。
さらに、錯覚の原因は「システム1」がしばしば起こすのだが、その一方で「システム2」の知識や能力不足にも原因の一端があるという。
こうした点をふまえたうえで、カーネマンは「認知的な地雷原に入り込んでしまっているとの兆候を見落すな!」「思考をスローダウンさせよ!」「システム2の応援を求めよ!」と提唱しているのだが、具体的なところは専ら組織や個人の努力に求めている(たとえば、組織なら「見落しチェックリスト」を共有するなど)。
2つ目の二項対立は、「エコン」と「ヒューマン」である。
「エコン」とは実際には存在しない合理的な経済人を指し、「ヒューマン」とはごく普通の人間を指している。
経済学が想定する「経済主体」は、安定的な一貫した選好をもち、それに基づいて合理的な意思決定を行う意志の強い「エコン」が前提とされる。
だが、そんな人はリアルの社会ではほとんど実在しない。
つまり、「エコン」とは架空のモデルにすぎない。
エコンが完璧な計算能力や意志の力を持つ一方、「ヒューマン」は常に錯覚し、間違い、意志も弱いのにもかかわらず自信過剰ときている。
つまり、「ヒューマン」とは矛盾に満ちており、非合理的であり、怠惰でもあり、認知的錯覚の塊のような存在だ。
ところが、カーネマンによれば、資本主義の原動力は、ヒューマンによる認知的錯覚にあるのだという。
これはけっこうスゴイことを言い出している。ハトもビックリドッキリなのである。
なぜなら、標準的な経済学では、合理的経済人「エコン」を経済主体のモデルとしてきた伝統があるからだ。
もちろん、経済が幻想の上に成り立っていることなど薄々皆感づいているのだけど、そこに初めて、科学的な根拠を持ち出して斬り込んだところが、カーネマンの偉大さだと思う。
本書では、カーネマンによる「ヒューマン」の分析を通して導かれる行動経済学の初歩知識を押さえつつ、その自信過剰なまでの勘違い振りが資本主義社会を支えているという論点を新規事業の起業家のチャレンジ精神や株式市場などの事例を取り上げつつ、つとめて科学的に論じている。
そう考えると、ネット民、とりわけインタネットビジネスなどは「ヒューマン」に支えられた「ヒューマンだらけ」の業界にも映る。
合理的根拠のない過剰なまでの自信が、次なる欲望を生み出し続ける無限ループ。
わかったようなメッセージが、わかったような気にさせて、その錯覚によって大きく成長したのがネットビジネス市場、インフォ市場ではなかったか?
その中に「エコン」の存在意義はあるのか?
あるとして、どのように利用されるべきか?
まことに色々考えさせられる本なのである。
最後に3つ目の対立概念。
それは、「経験する自己」と「記憶する自己」のに2項対立だ。
本書では、人がその瞬間、瞬間に感じる満足度(効用)を「経験効用」と呼び、その経験を後から振り返ってみて感じる満足度(効用)を「記憶効用」と呼んでいる。
つまり、その瞬間が楽しいから満足度が大きいのか、そうではなくて「楽しい」という記憶があるから満足なのか?という論点である。
カーネマンは、「経験と記憶を混同するのは、強力な認知的錯覚である」と説く。
対立し合う「経験する自己」と「記憶する自己」は、当然ながら一人の人格の中に宿っている。
私たちが何らかの意思決定を行う際、自分の過去の記憶を遡ってみて、それが「楽しいものだ」と認識すれば、おそらくそのままその行動を選択するだろう。
しかし、過去の楽しい出来事が、その瞬間に本当に楽しいものであったのかどうかは必ずしも一致しない。
「その瞬間」には、そのこと自体が楽しいわけではなく、何か別の環境的な要因で楽しく感じていたのかも知れない。
その曖昧さが、「楽しかった」という『記憶する自己』を覚醒させる。
その曖昧さによって、意思決定はなされていくわけである。
以上、本書は、意思決定の際に陥りがちな罠を3つの二項対立の図式を示しながら論じつくしている。
一読すると、人間というのは何と頼りない存在なのだろうというネガティブな思いと、それであるからこそ人間社会が成り立っているのだというポジティブな思いが交錯する。
私の中にも、対立し合う2つの人格が、ハトかヒトかヒトかハトか・・・、それ以外にも色々なタイプの2つの人格が、今日もまた凌ぎを削りあっている。
そう思うと、何だか面白くもある。
なお、本書は、その瞬間、瞬間に意識が一点に集中しやすい(ネットビジネス界隈によく見つけることが出来る)ノウハウコレクター属性の方には特におすすめできるかと思う。
ノウハウコレクターは「速い思考」の持ち主だ。
その証拠に、直感的に「反応」しまくってしまっている。
「遅い思考」がちゃんと機能しているなら、少なくとも無秩序なノウハウコレクターにはなり得ない。
あるいは、ノウハウコレクターは極度の「ヒューマン」であるかもしれない。
さらにノウハウコレクターは、その瞬間、瞬間に感動しまくる「経験する自己」でありながら、何処に感動していたのか?が極めて曖昧な「記憶する自己」なのかもしれない。
カーネマンは、「記憶が決定をほぼ支配し、実際の経験は出番がない」と言いきっている。
「経験する自己には発言権がない」「記憶する自己は独裁者である」
結局、世の中は、人間の曖昧な「記憶」で動いているものらしい。
あれれ?そういえば、どうして鳩はファスト&スローの追い舐めをしたんだっけ???
すっかり、『ヘンテコノミクス』のことを忘れてしまっていたようである(次回はヘンテコのほうを舐める)。
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