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おやじの朝読書

本を読むことくらいしか趣味のない平凡なアラフォーおやじ(鳩サブロー)が毎朝一時間の読書で毎日1冊、たまには怠けつつ一年後300冊の読書から300個の“ひらめき”を得て、自分自身にどんな変化を感じるか?ぽっぽと記録してまいります。

瞬読体験会(→こちら)に参加する日が3週間後に迫り、はてさて鳩はその日までにどう過ごせば良いのやら思案しているところなのである。




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で、あらためて「瞬読」(→こちらを読み返してみたのだが、随所にナルホド!と思える記述があり、なんだかやはり体験会が待ち遠しい。


とはいえ、瞬読本だけを頼りに勝手に読書のやり方を変えてしまうと、我流の瞬読が出来上がりそうで、それがいい方に転がればよいのだが、ヘンテコな方に落っこそうな気がしないでもない。


なので、ここはぐっと堪えて、しばらくは鳩流の舐めるような読書、通称「ナメ読」でやり過ごすことにする。




ところで、実はこんなブログにも気軽にお声がけくださる奇特な(失礼)読者さんもチラホラおられ、ほんとうに感謝感激、昨夜なんかも一通のお便りをいただいたりしたのである。


それというのが、ズバリ。「ハトさんこんにちは。ハトさんのブログに『ナメ読』という言葉がたまに出てきますが、それって何ですか?」というご質問なのであり、今まさにそれを回答申し上げようとゆうのが、今回の趣旨である。




回答申し上げる。ハトの舐め読書というのは、いたってシンプルでなのである。


まず、その日読んでおきたい本を選んで、ページをめくっていく。


その際、文章を読むのではなく「眺める」感じでどんどんページをめくる。


文章を「読もう」とすと、「内容を覚えなきゃ」という無駄な力が働くものである。すると、どうしても緊張する。


たしかに、緊張感をもって読む文章の内容は、その瞬間だけは憶えることができる。


けれど、その次の瞬間は「また別の文章」にあたっているわけであり、そのときはその文章に緊張しているわけである。


こんなことを繰り返していると、なんとか数日かけて一冊の本を読破したとしても、鳩(人も)の頭の中には大して何も残っていない。



だから、読書は疲れるなあというわけである。



このような経験、ご質問者さんも皆さんもけっこうあるのではあるまいか。


もともと鳩もそうだったし、何を隠そう、以前は毎日の読書に疲れ果てていたのである。


で、それが嫌になっちゃったんで、ある日を境に本を読むのをやめ、眺めることにしてみたのである。



読書の際に生真面目に机に向かうことも止めた。


本を開くときは、たいてい決まって脚を延ばし、リビングのソファーにふんぞり返って眺めることにしたのである。


たぶん、傍目からは、読書しているというより、リラックスして音楽を聴いているかのようなスタイルに映るかと思う。



で、このスタイルが、鳩にはドンピシャだったのである。


なんと、このような読書法に切り替えてから2、3ケ月もすると、長年悩まされてきた肩こり、首筋のこり、頭痛すらもすっかりなくなったのである。



さらには、このような読書ともいえないただ眺めているだけの読書、「おれ、読んでるぜ!」ってな実感の伴わない読書にもかかわらず、意外とその内容を憶えている自分に驚くことになる。


正確に言うと、眺める読書をしてから数か月、いや数年たっても、なんかの拍子でその本の内容を思い出してしまうのである。


これ、面白いことに、眺める読書をした翌日あたりに思い出そうとしても思い出せない本の内容が、ずっーーーーと後になって、ひょんなことから鮮明に思い出せたりするのである。


たとえば、その本を読んだ数か月後くらいたってすっかり忘れた頃合いに、知人から「そういえばあの本面白かった?どんな内容?」って尋ねられたりしても、けっこうスラスラ答えられたりするのである。



これはどうしたことか?


真剣に読むのはいけないのか?


ぐうたら読んだ方が(というより、眺めていた方が)、ぜんぜん効率いいじゃあないか?




まあ、そんなふうに思いつつ、けれど鳩にもハトなりの不満があったのである。


それは、今すぐキッチリ思い出したいところは思い出したい、ということに尽きる。



読み終えたらすぐにでもその知識を使いたい。でも、長期的にも憶えていたい。


この矛盾を解消するために、鳩が考案したのがただ眺めるだけの読書ではない、『舐める読書』、略称【ナメ読】なのである。



では、その【ナメ読】なるものは、何をどうしたものなのか?


まことに簡単な話である。


基本はソファーで音楽を聴くかのようなリラックスして脚も投げ出し、ただ眺めているだけである。


唯一違うのは、自分の心地よいペースで眺めながらペラペラと本のページをめくっている途中で、「これは!?」といった心に引っかかるフレーズに出会った時だけ、その前後にボールペンで線を引いておくのである。


で、一通り舐め終わったら(本を眺め終えたら)、こんどは線を引いた部分だけを一気に舐めまくるのである。



これで、鳩の「ナメ読」の一丁上がり。



実際、ハトはこの方法に切り替えたとたんに、すぐに思い出したい記述はすぐに思い出せ、しかも本の全体的な概要とか印象といったあたりは長期的にも記憶できるようになったとゆうわけなのである。



だがしかし、なにゆえこの読書スタイルがハトにとって有効なのか?正直言って、自分でもよくわかっていないのである。


興味本位に心理学とか催眠理論とか勉強したりもするのだが、そこから分かることは、なんか「ナメ読」を習慣にしたことで、鳩の潜在意識が刺激され、表層意識と深層意識のパイプがうまくつながったんではあるまいか?としか言いようがない。



実は、ハトがこのたび「瞬読」に興味を持ったのも、このあたりと関係している。


ハトの自己都合的な我流もいいトコの「ナメ読」からいったん離れ、超絶右脳活性化読書の「瞬読」なるものを試してみたら、昨日までの「ナメ読」が、超絶凄い【ナメ読】に進化するかもしれない、なんてな妄想も抱いていることを鳩は隠さない。


だから、「瞬読」に興味を持ったのだ。


そして、これが、『ナメ読』にご関心(?)をお持ちのご質問者、読者さんへの回答なのである。




追伸


一昨日これが届いた。以前、スワン・パイセン(→この人)から紹介された、例のぎっくり腰の際にもお世話になった岡島瑞徳先生の『三か月で頭の構造を変える』(→こちら)である。



もちろん、すでに「ナメ読」は完了している。



驚いた。



ハトの「ナメ読」が、なにゆえ鳩にとって(人にも)有効なのか?


その理由がまるごと書いてあるではないか。




けれど、ここは後日改めてじっくりお話しするとしよう。


多少乱暴だが、ごく大雑把に今言っとくと、記憶というのは『緊張と弛緩』によって定着するとゆうことだ。


緊張しっぱなしの一般的な読書とゆうのは、長期記憶に堪えないのである。


一方で、緩みっぱなしの眺める読書だけでは、「読書してやるぞ!」とゆう実感が伴わないだけでなく、読み終えて瞬時に「一体どんな内容だったっけ」ってな具合に短期記憶も機能しない。


だからこそ、この両者(緊張と弛緩)をうまく活用するってことなのである。



そういえば、『緊張と弛緩』とゆうのは、催眠誘導暗示の初歩的な重要キーでもあったりする。


緊張しっぱなしだけでもダメ、弛緩し続けてもダメ、とゆうことで、両者をバランスよく溶け込ますことで、人は意図する方向へと導かれる。



結果的にハトが幸運だったのは、知らず知らずのうち、この「緊張と弛緩」とやらを読書に取り入れていたということである。


ソファーで超絶リラックスした状態で、ただ「読むともなく読む」つまり、単にペラペラ眺める。これが「弛緩」。


だがしかし、その弛緩の中にあって、「これぞ!!」といった場面に出くわしたら、一気にそのフレーズ周辺を舐めまわす。ここが「緊張」。


で、最後は、緊張感をもってボールペンで線引きした部分(およびその周辺)だけを繋げ、これまたリラックスした状態で高速で舐め返す。ここはふたたび「弛緩」。


つまり、緊張と弛緩の塩梅でもって成り立っているのが、「ナメ読」とゆうものであり、(たまたまであるが)それは岡島先生の理論とも合致していそうなのである。




とゆうわけで、ご参考まで(なってるか?)





◆本日のひらめき  読書は緊張と弛緩の交差点にある。

 

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