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おやじの朝読書

本を読むことくらいしか趣味のない平凡なアラフォーおやじ(鳩サブロー)が毎朝一時間の読書で毎日1冊、たまには怠けつつ一年後300冊の読書から300個の“ひらめき”を得て、自分自身にどんな変化を感じるか?ぽっぽと記録してまいります。

ここのところ速読について話す機会が多かったので、そろそろ「読書」そのものについて取り上げてみようかということで、『本を読む本』(→  こちら)を再読してみたのである。

 

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本書は、そのタイトルにあるように、「読書の技術」についてまとめた本であり、著者のモーティマー・J・アドラーによれば、読むに値する良書を、知的かつ積極的に読むための規則を整理したものとなっているのである。


一体誰のために?それは、「読む」ことによって知識を得、理解を深め、すぐれた読書家になりたい思う人のために書かれた本であることが明言されているのである。


では、なぜ改まってこのような本を世に送り出す必要があったのか?


そこは、マス・メディアの発達過程と大いに関係があるのである。


 

本書の原著(How to read a book)の初版が刊行された 1940 年当時のアメリカは、ちょうどテレビやラジオが「新しいメディア」として拡大し、活字メディアの存在を脅かしつつあった時代に重なる。


「新しいメディア」の特徴は、情報の受け取り手が自分の頭でものを考えなくてもよいような仕掛けができており、テレビやラジオ番組等の“気の利いた言い回し”や“選びぬかれた統計や資料”が網羅された『知的パッケージ』によって、人はいながらにして「自分の判断を下す」ことができてしまう。

 

その危機感から生まれた本といっても良いであろう。


そのため、本書は一貫して「積極性」が重要なキーワードとなっており、『積極的読書』という表現で、在るべき読書の姿勢を説いている。

 

 

「積極的読書」とは、ただ単に本の字面を追うような受身の読書ではなく、書かれている事柄への理解を深めつつ、それに対して自分自身がどう思うのか主体的に解釈していく読書だという。


つまり、読書において得られる『知的パッケージ』との付き合い方を論じた本ということなのであり、それは、騙されない読書、流されない読書と言い換えても良いかもしれない。


そして、それは、刊行から70年以上経った今でも常に「新しい」のである。


とりわけ、時代がITからAIに突入しつつある現在、その『知的パッケージ』がどのように変容し(あるいは本質的には何も変わらぬままに?)、私たちを翻弄していくのか?について考えさせられる。


本書は、「積極的読書」を通して、情報化社会の渦の中で生き残る術を提供してくれているのである。


 

そんな「たいそうな本」でもあるので、当然のように説教くさいのである。


「本なんて好き勝手に読ませてくれよ」と思う人が大半だと思うし、ハトも基本的にはそう思っていた。


けれど、今回改めて読み直してと、以前とは異なる印象をもったのである。


それは、本書で説く「読書技術」というものが、実は「本を好き勝手に読むための技術」でもある、ととらえることもできるという点だ。

 


本書は、読書のレベルを四つに分けている。「初級読書」「点検読書」「分析読書」そして「シントピカル読書」である。


後ろに進むにつれ、より高度な読書技術が必要とされるのだが、注意しなければならないのは、「分析読書」「シントピカル読書」といった高次元なレベルの読書までが求められるケースというのは非常に稀だということである。


著者は、こうした高次元な読み込みが必要な本のことを「良書」と呼ぶ。


加えて、「良書」と呼べるものは、100 冊のうち 1 冊程度であるとも言う。


つまり、大半の本については、そこまで深い読書をするに値しないということで、その前の段階「点検読書」でほぼ完了。

 

それでよいのである。

 


実際、何が良書であると言えるのか?は人それぞれの主観にもよるし、読書の目的によっても異なるだろう。


本書のいう「読むに値する本」について、ジャンルは問われない、というが、ほとんどの場合、教養書を想定していることは間違いあるまい。


すると、現在は娯楽本か教養書か判別付かないような書籍が毎年数万点も刊行されているのであって、現実的の使用頻度は、圧倒的に「点検読書」のスキルまでといえるだろう。


実際、本書で示す「点検読書」を型通りに駆使することで、『本を好き勝手に自由に読む』ことにより近づくことができると思うのである。

 

そのうえでなお、さらに深く掘り下げざるを得ない本が、自分にとっての「良書」となっていく・・・、そういうことではないか?とハトは思う。

 

そういう意味では、ほとんどの場面で高次元の読書(分析読書、シントピカル読書)は不要となる。

 

だがしかし、「点検読書」を通して、いつ、なんどき、『良書』に巡り合うとも限りらないのであって、だとしたら、そのときのために「良書」を読み込む訓練もそれなりに必要ではないか?ということもある。


で、その訓練には、昔から多くの人から良書と呼ばれているような、「古典的名著」と言われる類の本が相応しいと言えそうだ。

 


でも、その「古典的名著」といわれるものが、本当に「良書」と言えるのか?

 

そこで、古典の有する『知的パッケージ』をそのまま鵜呑みにするのではなく、自分の頭で「良書」と言えるのか否かを判断する。


実は、そのためのスキルを提供しようと言うのが、「分析読書」と「シントピカル読書」なのであろう。



本書が、「優れた読書技術」を提供する内容であるのは明らかであり、何が優れた技術なのかは全て網羅されている。


問題は、本書の優れた読書技術を駆使して、最終的に『何』を獲得するのか?という点でに尽きる。


これについては、著者もさまざまな表現で『何』を語っているのだが、要は、「主体的に考える力を身につけるようよ」ということに集約される。

 


つまり、本書の最終的な目的は、「主体的に考える力を養う」ことにある。


そのための手段として、「積極的な読書技術」を提供する。



ところで、もっとも使用頻度の高い「点検読書」についてだが、その具体的な内容については既に広く知れ渡っており、誰かに言われるでもなく、当然のように実践してきた、という人も多いはずである。


そういう意味では、「点検読書」は既に何処かで聞いたことのある話がほとんどで、目新しさを感じない。


けれど、読書に組織的な「点検」を持ち込んだ読み方を、誰でも一度は聞いたことがあるような点検のやり方を、今から遥か70 年以上も前に説いていた本書は、それ自体が偉業であると思わざるを得ないのである。


もしかしたら、学生時代に先生が、「本文を読む前に、目次を読んで内容を想像してみましょう」などと読書指導をしていたのは、『本を読む本』の影響だったのかもしれない。


そう考えると、すごいことだと思う。鳩なんかもモロに『本を読む本』の影響を受けているからだ。


今回再読するまで、すっかり忘れていたんだが、間違いなくこの本から、ハトも「具体的な影響」を受けている。


たとえば、ハトも日常的にやっている、本の目次から内容を連想する「目次連想法」なんかは、本書p40~41 の点検読書(組織的な拾い読み、または下読み)にその原型があることを思い出したのである。


あるいは、これまた鳩の舐め読書(略称、ナメ読)に不可欠なワンフレーズを舐めまくる、言わば「一行読書」の本質は、本書第 2 部「分析読書」の 8 項「著者と折り合いをつける」(p109~)、及び9項「著者の伝えたいことは何か」(p126~)で説かれている内容(キーワードを見つける、キーセンテンスを見つける)とほぼ同じなんである。

 

こんなふうに知らず知らずの内に本書の内容が、ハトの血となり、肉となり、というか、精神レベルにまで刷り込まれていたのかもしれない。


何処で聞いた話かは覚えていないが、その話に影響されながら行動してしまうことは人には(鳩にも)よくあることだ。


こうしたことは、「古典的名著」や「神話」などを通して誰しも経験することだと思う。


そんな意味で、『本を読む本』は、鳩にとっての「古典的名著」と言ってもいいのかもしれない。

 

 

◆本日の朝読書 「本を読む本 」(講談社学術文庫) J・モーティマー・アドラー (著), V・チャールズ・ドーレン (著), 外山 滋比古 (翻訳)

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◆本日のひらめき 「本を読む本でナメ読を再点検してみる」

 

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