エンターテインメントや新規事業において、熱狂的な顧客コミュニティをどう作るか?は常に頭の痛い問題ですが、

 

敢えて、使い勝手を悪くして独自の審査基準を設けることは、間違いなく、コミュニティの価値を独占する最短ルートのひとつでしょう。

 

先日、たまたま、疑問が浮かんで、寝られなくなっちゃった、「なぜ、ヨーロッパでのみ、あのような舞踏会が発達を遂げたのか?」問題も、原因はそこにつながるのだな、と、はたと気が付き、また眠れなくなっちゃいまして、このブログを書きました(笑)

 

 

大きな背景にはキリスト教の一夫一妻制という強烈な?制約があると思います。

 

複数の配偶者を持てない、そして離婚も面倒だったヨーロッパの王侯貴族にとって、結婚は一族の資産と影響力を賭けた一点集中投資でした。ゲルマン法の伝統で、女性にも財産分与権や領主相続権があったため、これは両家においては、現在の対等な企業合併そのものだったのです。 

 

適当な相手を選べば、一族が没落します。相手の教養や健康状態、非言語のコミュニケーション能力を厳格に審査する長期的な場が要求されました。複雑なステップを共有するダンスは、この過酷な審査を乗り切るための非常に合理的なテストとして機能したわけです。

 

17世紀のフランスでは、ルイ14世がこの仕組みをさらに洗練させます。彼は地方貴族の反乱を防ぐため、評価の基準を武力から宮廷の作法へと強引に書き換えました。貴族たちをヴェルサイユ宮殿に集め、難解なステップの習得を義務付け、うまく踊れるかどうかで年金や役職を配分したのです。自分たちのルールで勝負させる。これがプラットフォーム運営の極意と言えます。

 

 

時代が下り19世紀になると、産業革命で成り上がった新興富裕層が台頭します。対して、伝統的なエリートたちは自分たちのステイタスを守るため、幼少期からの教育投資が必要なワルツや複雑なマナーを参入障壁として利用しました。

 

ロンドンの排他的な社交場では、どんなにお金があっても内輪の作法を知らない人間は冷酷に追い出されます。この意図的な摩擦が、コミュニティの価値を限界まで高めました。

 

一方で、当時のアメリカの有名な新興財閥のヴァンダービルト家は、この障壁を資金力と企画力で突破します。彼らは既存の権威である名門アスター家から仲間外れにされていましたが、独自の超豪華なイベントを主催し、あえてアスター家を招待リストから外しました。

 

結果として相手から招待状を求めさせ、ヒエラルキーをひっくり返したのです。ちょっと底意地の悪い言い方をすれば、新参者が独自の企画で古い権威を直接的に無効化した格好です。自分たちで新しいルールと場を作ってしまえば、古い権威は機能しなくなります。

 

 

さて、ここから現代のビジネスにどう応用するかです。他社と同じ価格や機能で競争するのではなく、参加すること自体がステータスになるような独自の基準を設定します。そして、ユーザーに受動的な消費ではなく、自ら動いて承認を得るアクションを要求します。

 

ただし、ここで見落としてはならない変数を指摘しておきます。参入への摩擦を高く設定しすぎると、新規の流入が完全に途絶え、初期メンバーだけで自己満足に陥る過疎化のリスクが存在します。 

 

この予測が外れたときのリスクを限定し、成功時のリターンを最大化するためには、メインのコミュニティは厳格な審査を維持しつつ、定期的に誰でも参加できる単発イベントを開催して外のエネルギーを取り込むアプローチが有効です。

 

失敗しても単発イベントの赤字で済みますが、当たれば新しい有力な参加者を一気に獲得できる非対称性を持ちます。

 

歴史が証明する人間の欲望のコントロール手法は、まんま、現代のビジネスに適用できますね。

突然ですが、「義和団の乱」ってご存知ですか?
 

知らなくて当然です。私もついこないだ、ひょんなことで資料を読み込む機会があって、初めてちゃんと向き合いました。

 

清朝末期の中国で、外国人排斥を掲げた農民運動が暴徒化。それを、少数の日・英・米・仏・独・露・伊・墺の八カ国連合軍が鎮圧した事件です(1900年)。

 

欧米では映画になる程の武勇伝として語られましたが、実際は、美談とは程遠い、侵略の記録ではあります。

 

教科書だと数行で終わる話。でも、現場で何が起きていたかを追っていくと、これが妙に「現代のビジネス現場」と重なって見えてくるんですよ。

 

もったいないので、まとめてみます。

 


■ 危機になると、縦割り組織が急に横串になる

 

北京の公使館区域が包囲されたとき、八カ国の外交官・民間人・軍人が数万の敵に囲まれました。食糧も弾薬も底をつきかけている。

 

そんな状況でアメリカ海兵隊の一等兵が、廃材をかき集めて即席の砲を作ります。

 

砲身はイギリス製、砲車はイタリア製、砲弾はロシア製、導火線は日本製、火薬はドイツ製。

 

平時は互いに牽制し合う列強のガラクタが、一丁の兵器になった。兵士たちはこれを「インターナショナル・ガン(国際砲)」と呼びました。

 

…これ、クロスファンクショナルチームそのままですよね。

 

平時は縦割りで動いている組織が、危機になると突然横串で動き始める。あれって「意識の高さ」じゃなくて、「共通の恐怖」 が動かしているケースがほとんどだと思うんですよ。

 

だとすれば、危機が来る前に意図的に「共通の課題」を設定しておくのが現実解かもしれません。きれいなミッションステートメントを磨くより、「これが達成できなければ全員困る」という具体的な危機感を共有する。粗っぽいですが、人ってそっちのほうが動く。

 

 


■ 準備は、誰も見ていないときにやるもの

 

この籠城戦でいちばん評価を受けた人物が、日本から派遣された柴五郎中佐です。

 

彼は北京着任直後から、城内の地理を自分の足で歩いて頭に叩き込み、現地の人脈で独自の情報網を張っていた。誰も注目していない平時のうちに、地味な準備をコツコツやっていた。

 

包囲が始まり、各国がパニックに陥ったとき、冷静な状況判断ができたのは柴だけだったといいます。イギリス公使は即座に彼を参謀長として重用し、その活躍が後の「日英同盟」締結にも繋がっていったと言われています。

 

印象的なのは、準備のタイミングです。

 

危機が来てから準備する人と、何も起きていないうちに準備する人の差が、有事にそのまま出た。

 

コンサルの現場でも「今は余裕がないので、落ち着いたら体制を整えます」という言葉をよく聞きます。でも、落ち着いてから備える人は、次の危機にもまた間に合わない。いつの時代も変わらない。

 

 


■ 経歴が「きれいな人」より「痛い目を見た人」のほうが危機に強い話

 

柴五郎の出自は、少し重たいです。

彼は会津藩士の家に生まれました。戊辰戦争で会津藩が敗れたのは1868年、彼が八歳のとき。城が落ちる前日、母と姉と祖母が自刃した。その後、一家は「朝敵(賊軍)」の汚名とともに、極寒の下北半島へ流されます。

その柴が、明治の帝国陸軍の軍人として北京に着任した。

包囲下、彼は虐殺から逃れてきた約2800人の中国人キリスト教徒を保護します。「食糧が足りないから追い出せ」という声が上がっても、最後まで守り抜いた。

彼が何を考えていたのか、正確にはわかりません。個人の矜持か、敗者の経験から来る何かか。

ただ、ひとつ言えるのは——「正しいことをした人」が、必ずしも恵まれた経歴を歩んできたわけじゃない、ということです。

採用や人事を考えるとき、経歴の「きれいさ」より「何を経験してきたか」を見ることの大切さ。修羅場をくぐってきた人のほうが、危機の判断が的確なことが多い。1900年の話ですが、今の人事論としても十分通用します。

 


■ 「負の遺産」が、思わぬ形で大化けする話

 

最後に、後日談をひとつ。

義和団の乱後、清国は八カ国に莫大な賠償金(庚子賠款)を支払わされます。その後、アメリカが実際の損害額より過剰に受け取っていたことが発覚。

 

粘り強い外交交渉の末、超過分が返還されることになりますが、条件がついていました——「中国人留学生をアメリカに送るための奨学金として使うこと」

 

アメリカの本音は明白です。将来の中国指導者層に親米的な価値観を植えつける、お得意のソフトパワー戦略。

 

その予備校として北京に作られたのが、今日の清華大学の前身です。

 

…ここからが笑えます。

そのアメリカ仕込みのエリートたちは、今やアメリカの覇権に挑む中国の原動力になっている。

 

アメリカ、完全に自分で蒔いた種を自分で踏んでいる。

 

「負の遺産を次の何かに転換できるか」は、ビジネスでも同じです。失敗したプロジェクト、撤退した事業、解散したチームの経験が、別の文脈で突然価値を持つことがある。

 

それを「ただの失敗」と閉じるか、「何かに使えないか」と問い続けるかの差。

 


■ まとめ:1900年と今の会議室、構造が似すぎている

 

歴史の話を読んでいると、いつも思うんですよね。

「結局、時代は変わっても、人間はほとんど変わらないな」と。

組織の縦割り、危機での判断、リーダーの準備、失敗の活かし方。1900年の北京で起きていたことと、今の会議室で起きていることは、構造がほぼ同じです。

だから歴史はやめられない。

どなたかの参考になればうれしいです。

こんにちは、種田 慶郎 a.k.a. hatchonです。

 

今日はちょっと長めのブログを投稿させていただきました。

 

テーマは、VTuber市場への参入戦略

事業として真剣に検討されている方や、エンタメ業界周辺の方に向けて、最新トレンドを踏まえながら、自分なりの仮説を3つ共有させてください。

 


■ まず、現状の数字から

 

2026年、世界のVTuber市場は約31億ドル規模。

2031年には49億ドルへ到達すると予測されています。

「これは大きい」と思いますよね。でも、ちょっと待ってほしいんです。

 

国内市場を見ると、カバー(ホロライブ)とANYCOLOR(にじさんじ)という圧倒的な2強が、すでにこの市場を占有しています。

 

しかも、です。

カバー社のFY2025決算(売上高434億円)を見ると、収益の約75%はグッズやライセンスなどのコマース領域。

つまりもう彼らは、「タレントの配信マネジメント業」から、「IPネットワークを活用した巨大なリテール・商社ビジネス」へと移行を果たしつつある。

 

控えめにいって、強すぎます…。

 


■ では、後発はどこで戦うべきか?

 

「アニメルックなアバター×バラエティ配信」という既存の土俵で、この2強のエコシステムに正面からぶつかるのは、資本効率の観点からみても、あまりにも厳しい。

 

じゃあ、どこで戦うか。

最新のトレンドとテクノロジーの動向を踏まえ、3つの仮説を共有します。

 

美少女グループ

 


【仮説①】グローバル音楽市場 × オープンUGCモデル

 

これから世界を狙うなら、主戦場は「音楽(VSinger)」です。

個人的には、これが一番王道のルートだと思っています。

 

韓国のバーチャルボーイズグループ「PLAVE(プレイブ)」の成功が、業界のパラダイムを変えました。

 

デビューミニアルバムで初動20万枚、その後累計100万枚のセールス。Melonのストリーミング総再生数10億回を史上最短で突破。

 

彼らの武器は、K-POPアーティストと同等の「生身のパフォーマンス」——作詞・作曲・振付・生歌唱——です。

 

アバターというガワを被れば、K-POPジャンルでも、演者のリアルなルックスに左右されないポテンシャルで勝負できることが立証されたわけです。

 

そして日本発の戦略としては、ボーカロイド文化と「すとぷり」型の熱狂的エコシステムを統合したアプローチが考えられます。

 

自社の音楽データや3Dモデルをオープンソース化して、世界中のトラックメーカーや翻訳クリッパーに素材を開放する。

 

自社で多言語対応のコストを抱え込むのではなく、現地のコミュニティを「公式の共犯者」に仕立て上げる、という発想です。


【仮説②】AIによる「IPの不眠不休化」と装置産業化

 

VTuberビジネスの最大のアキレス腱は、タレント(中の人)への過度な依存です。

 

2025年7月、米国最大手エージェンシー「VShojo」が、所属タレントの一斉離脱により事実上崩壊しました。

 

タレント側にIP権を帰属させる先進的なモデルでさえ、経営の永続性を担保するには至りませんでした。

 

「中の人」のスキャンダルやバーンアウトによる卒業は、企業にとって数十億円規模の消失インパクトを与える構造——これ、昭和の芸能界と、ほとんど変わっていないんですよね。

 

でも、テクノロジーがこの致命的なリスクを解決しつつあります。

 

2026年1月、Twitchで最も人気のストリーマーとなったのは、AIが稼働させる「Neuro-sama(ニューロ様)」でした。

 

人間の演者が質の高いパフォーマンスを行う裏で、その声と人格を学習したAIが、北米・南米のゴールデンタイムに合わせて多言語で24時間配信を行う。

 

属人的リスクを排除し、労働集約型のビジネスを「資本集約型の装置産業」へと転換する。その革新的な設計です。

 


【仮説③】ボラティリティを嫌うなら「B2B機能提供型」へ

 

エンタメ市場特有のリスクや変動性を嫌うのであれば、もう一つのブルーオーシャンがあります。

「企業向けVTuber(B2B領域)」です。

 

年間120%の成長を見せるこの市場では、銀行窓口の案内、eラーニング講師、社内研修ナビゲーターなど——「機能的な価値(わかりやすさ・親しみやすさ)」がストレートに評価されます。

 

2026年2月には、ヤマハがアイ・ペアーズ社との資本提携を発表。3DCG技術と音響技術を掛け合わせたバーチャルエンターテインメント・B2Bソリューションへの本格参入を表明しました。

 

競合が少ないうちは法人契約のため単価が高い。

何より、属人的な炎上リスクが極めて低い。

 

高度な技術パイプラインを持つ企業にとって、最も手堅く利回りを確保できる事業領域と言えます。

 


■ 結論として、3つの絶対条件

 

これから参入にチャレンジする方への提案です。

 

① KGIを転換する 指標を「YouTube同接数」から、「Spotify月間リスナー数・ARPU」もしくは「B2Bの法人契約数・継続率」へ再設定する。

 

② テクノロジーを初期設計に組み込む 演者の実演と「AIモデルの商用利用権」を明確に分離し、多言語で24時間稼働できるIPインフラを最初から設計する。

 

③ 主戦場を絞る 「オープンUGCによるグローバル音楽市場」か「機能価値を提供するB2B市場」か。どちらかに資本を集中させる。

 


■ おわりに

 

次世代のバーチャルビジネスは、タレントのマネジメント業ではありません。

 

高度にシステム化された「デジタルIPインフラ企業」の構築競争です。

 

2031年の49億ドル市場で生き残るのは、この視点で事業設計できた企業だと、個人的にはみています。

 

自分自身も、具体的にいろいろ検討中の領域でして。

 

また続報があれば、こちらでも共有していきますね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

種田慶郎(セグレト・パートナーズ)

海外に行くと、日本のアニメやマンガのファンに会う機会って、結構ありますよね。

 

ブラジルでも、フランスでも、中東でも、「ナルト好き」「ワンピース読んでる」って言われて驚いた経験のある方も多いんじゃないでしょうか。

 

なんでこんなに世界中に広まったのか。実はその答え、150年前の「ジャポニスム」という歴史的な日本ブームと、ほぼ同じ構造をしているんです。

 

 


ジャポニスムって、なんですか?

 

19世紀に日本が開国して、陶磁器や浮世絵が欧州に流れ込んだ時代に起きた、日本文化への大ブームのことです。

 

ゴッホやモネが浮世絵に衝撃を受けて、そこから印象派という美術の流れが生まれた——というやつです。美術の教科書に出てきましたよね。

 

 

面白いのは、これ、日本側は別に「売り込もう」としていたわけじゃないんです。陶磁器の梱包材として使われていた北斎漫画を、フランスの画家が偶然目にして、仲間たちに見せて回ったのがきっかけとも言われています。

 

受け取った側が、勝手に価値を見つけた。

 

現代のアニメやマンガも、実はまったく同じ経路を辿っているんです。

 

 


 

世界の子どもたちは、日本製と知らずに育っていた

 

1960〜70年代のことを思い出してみてください。思い出せるかたは(笑)
 

マッハGoGoGo、フランダースの犬、アルプスの少女ハイジ、グレンダイザー——こういった作品が、おそらく非常に安価に世界中のテレビで流されていました。欧米でも、アジアでも、中東でも、南米でも。

 

現地の子どもたちは「これ日本製だ」とも知らずに見ていた。現地語に吹き替えられて、まるで現地の作品のように親しまれていたケースも多かった。

 

その子どもたちが大人になって、親になって、「日本のコンテンツが好きな世代」の土台を作っています。

 

マンガも同じで、ついこの間まで世界中で違法コピーが出回り、日本に一円も入らない時代が長く続きました。

 

権利的にはアウトでしたが、「これは面白い」という下地だけは、世界中に静かに広がっていた。

 

流れに任せた結果という点では、浮世絵が梱包材として欧州に流れ込んだのと、構造はまったく同じですよね。

 


ジャポニスムより、ずっと深く根を張っている理由

 

ただ、今の日本のポップカルチャーには、ジャポニスムの時代にはなかった強さが二つあります。

 

ひとつは、広がり方の違いです。

 

マンガが原作になってアニメになって、ゲームになって、コスプレが生まれて、聖地巡礼で観光客が来て——ひとつの作品から、こんなにいろんな方向に広がっていく。浮世絵は「絵」として伝わりましたが、今は文化の生態系ごと伝わっています。

 

「マンガ」「アニメ」「オタク」「カワイイ」はもう世界共通語で、西洋人が右手でマンガをめくる時代になりました。

 

アニメの聖地を旅行で訪れる外国人が増え、原宿ファッションがアジアの現地ブランドを生んでいる。コンテンツが社会の日常に入り込んでいます。

 

もうひとつは、ファンの関わり方です。

 

150年前のファンは「見る人」でした。今のファンは「参加する人」です。

 

同人誌を作り、コスプレをして、VTuberをリアルタイムで応援して育てる。外務省が世界コスプレサミットの優勝者に外務大臣賞を出すくらい、この参加の文化は国際的に認知されています。

 

この「ファンが作り手にもなる」という粘着力が、ジャポニスムにはなかった強さです。

 


でも、ジャポニスムは終わりました

 

異質なものが「当たり前」になった瞬間、ブームは終わります。

 

今の日本のポップカルチャーも、同じ分岐点に来ています。

 

アニメはすでに世界のメインストリームで、韓国や中国が「日本風」の自国コンテンツを作り始めている。

 

かつてジャポニスムが印象派を生んだように、日本のポップカルチャーもいつか「影響を与えた文化」として語られる側になるかもしれません。

 

そして、もっと身近な問題もあります。

 

世界中のファンが熱狂している作品の多くは、実は経済的に報われていない現場から生まれています。クリエイターへの利益還元が追いつかなければ、いつか供給が止まる。

 

Netflixなどの海外プラットフォームに利益もデータも吸収されて、「作っているのは日本、儲けているのは海外」という構造も徐々に固定されつつあります。

 


ジャポニスムが終わったのは、次の価値を提示できなかったからです。

 

異質であり続けること、作り手を守ること。

 

この二つが揃わなければ、150年後の誰かが「なぜ終わったのか」を、ジャポニスムと同列に語ることになるかもしれません。

 

日本のポップカルチャーの底力は本物です。ただ、それを次の世代に渡せるかどうかは、今問われているところです。

 

突然ですが、一つ質問させてください。

 

あなたの会社の意思決定層に、「10年以上前の成功体験を今も絶対的な正解だと思っている人」が何人いますか?

1人でもいたら、少し読み進めてみてください。

 


一時代を築いた会社が、次の時代で消えていく。

 

これ、ビジネスの世界では本当によくある話なんですよね。

 

ガラケーの時代に世界を席巻した日本のキャリアや端末メーカー、テレビ広告で圧倒的な存在感を誇ったキー局、百貨店、レンタルビデオチェーン……。「あんなに強かったのに、なんで?」という事例が、ざっと思い浮かぶだけでいくつも出てきます。

 

 

よく言われる説明は「時代の変化に対応できなかった」「既存事業を守ろうとした」というもの。

 

でも、私はこれだけでは腑に落ちない部分があって、ずっと考えていました。

 

だって、資金も組織も技術も、ぜんぶ持っていたはずなんです。

 

なのに、なぜ動けなかったのか。

 

 


気づいたんです。「正しかった人間」の問題だ、と。

 

iモードを成功させた人たち、テレビのゴールデン帯で視聴率を稼ぎ続けた人たち、百貨店の外商で関係を築いてきた人たち——彼らは本当に優秀だったんです。

 

判断は的中し続け、評価され、昇進して、気づけば会社の意思決定の中枢を担っていた。

 

でも、時代が変わったとき、彼らには「自分たちのやり方が通用しなくなっている」という感覚が、構造的に生まれにくいんですよ。

 

なぜか。

 

成功体験って、単なる「昔の思い出」じゃないんです。「何が正しいか」という判断軸そのものを作り替えてしまうんです。

 

「ユーザーは月額課金に慣れている」「テレビCMが最強の認知獲得手段だ」「百貨店のブランド力は揺るがない」——これらは、それぞれの黄金時代には完全な真実でした。

 

だからこそ、それと逆行する新しいやり方が出てきたとき、「なんか違う」「長続きしない」と感じてしまう。

 

これ、能力の問題じゃないんですよね。むしろ有能であればあるほど、前時代の成功パターンへの確信が深まって、新しい波を見誤りやすくなる。

 


そして怖いのは、この問題が「個人」に留まらないことです。

 

組織って、成功を再現しようとするんですよ。

 

成功したプロセスがマニュアル化されて、成功した人間が評価の基準になって、成功した判断軸で次の幹部が選ばれていく。

 

気づいたときには、「前時代の成功ロジックで最適化された人たち」が、採用から昇進から予算配分まで、全部を握っている状態になっています。

 

個人を入れ替えても、変わらない。なぜなら、人事制度そのものが前時代の論理で動いているから。

 

日本では、これがさらに深刻になる理由があります。解雇の難しさです。

 

欧米では、株主主導の経営転換のタイミングで大規模なリストラが伴うことが多い。でも日本では、前時代の成功者を簡単には切れない。彼らは部長として、顧問として、子会社の社長として、委員会のメンバーとして、組織に残り続けます。そして新しい投資や事業の意思決定に、当然のように参画し続ける。

 

どんなに革新的な提案も、前時代の感覚でスクリーニングされていく。これが続く限り、転換は起きません。

 


「投資会社になればいい」も、実は難しい。

 

「じゃあ前時代の収益を資本にして、投資会社に転換すればいいのに」と思う方もいるかもしれません。

 

でも、これも思ったほどうまくいかない事例が多いんですよね。

 

投資判断もまた、意思決定だからです。

 

結果として、「投資会社」を名乗りながら、前時代の感覚で投資対象を値踏みして、相手側から「あそこと組んでも話が噛み合わない」と敬遠される、という悪循環になりがちです。

 


それでも、生き残った会社には共通点があります。

 

ここで少し希望の話を。

 

歴史を振り返ると、時代をまたいで生き残った企業は確かにあります。日立製作所、富士フイルム、IBM……。

 

彼らに共通するのは、経営書が語るような「自社資産の抽象化」だけじゃないんです。もっと具体的で、もっと痛みを伴うことをやっていました。

 

自分たちの「顔」だった事業を、市場に殺される前に自分で葬っていた。

 

日立はテレビ事業を撤退し、自分が再建に携わった子会社のHDD事業を「競合と統合した方が競争力が増す」という判断で売却しました。

 

IBMは象徴ブランドだったThinkPadをLenovoに売却した。

 

富士フイルムはフィルム事業の縮小を受け入れ、ヘルスケアと材料へ軸足を移した。

 

どれも、「会社の誇り」に自分で引導を渡す決断です。

 

そして日立は、もう一つ重要なことをやっています。2012年までに取締役会の過半数を社外取締役にしました。現在は12名中9名が社外、うち5名が外国籍です。「空気を読む、忖度する、先送りする」が機能しない取締役会を、意図的に設計した。

 

つまり、「前時代の論理を持つ人間が意思決定を染める」という問題を、制度として解決しようとしたわけです。

 


最後に、一つだけ。

 

「正しかった人間」と「次の時代に正しい人間」は、ほぼ別人です。

 

これは、能力や努力や人格の問題じゃないんですよ。

 

時代が変わることで「何が正しいか」の定義そのものが変わる。前時代に最適化された判断力は、次時代では「誤りを犯す力」として作動してしまう。

 

だとすれば、問うべきは「誰を昇進させるか」ではなく、「誰の声に、どこまでの決定権を与えるか」の設計なのかもしれません。

 

そしてその設計は、危機が来てからでは遅い。成功の絶頂期にこそ、始めなければならない。

 

冒頭の質問に戻ります。

 

あなたの会社の意思決定層に、「10年以上前の成功体験を今も絶対的な正解だと思っている人」が何人いますか?

その答えが、ちょっと気になっています。