こんな光景を見た。
僕は電車に乗っていて、ある駅で急行電車の通過待ちで、ドアが空いたままホームに停車していた。
そのとき、ホームのベンチでゲロを吐いている男がいた。
僕は汚いなあと思いながらも、ゲロが吐き出される様子をじっと見ていた。これは見届けなければならないと直感的に思った。
そのとき、一人の女性が(たぶんその男性の彼女か友人だろう)ペットボトルのジュースを持ってきて、その男の横に座り、背中をさすり始めた。
美しい、と僕は思った。
その女性のルックスが、ではなく(暗くてよく見えなかった)、ゲロを吐いている男を介抱しているその行動がとても美しく見えた。
その合間にも、ゲロは相変わらず男の口から垂れ流されている。
なんなんだこの光景は、と一瞬戸惑いながらも、美しさと醜さのコラボレーションだと思った。
ただ、そのとき、僕は確かに、美しさが醜さに勝った瞬間を見た。
美しさが、醜さを、焼き餃子のように、もしくは水餃子のように見事に包み込んでしまったのを見て、僕は「美」の底力を感じたのだった。
ワイズマン監督の『パリ・オペラ座のすべて』は、ただただひたすら美しい映画だ。
パリオペラ座の練習風景を淡々と描いているシーンがほとんどのドキュメンタリー映画なのだが、「あ、人間ってこんな動きができるんだ」とか、「今ので完璧に見えたけど、なんかダメ出しされてるぞ…」とか、「よくこんな振り付けをちゃんと暗記できるなあ…」とか、感動するシーンがたくさんあった。
できれば本物のオペラ座とかを観にいきたいが、いろいろな事情により(主に経済的な事情)それができない僕のような人間にとって、美を堪能することができるお得な映画だと思った。
