
「F」
『すべてがFになる』

小説の登場人物に惚れてしまったことが、一度だけあります。
登場人物のことが頭から離れずに、何度もその人が出てくるシーンだけを読み直してしまう。
名前は、西野園 萌絵(にしのそのもえ)。
『すべてがFになる』というミステリー小説の主人公です。
この小説を書いたのは森博嗣氏。当時、大学の助教授でした。
ある孤島の密室に、女性が何年も閉じ込められています。
その密室から、ある日女性の首切り死体が発見されます。
誰も入れないのに、誰がどうやって首を切ったのか?
自分で切ったとしたら、首はどこに行ったのだろうか?
本格的なトリックが使われていて、ミステリー小説としてもたまらないのですが、正直ストーリーなんてどうでもよかったんです。
ただただ、西野園萌絵が出てくるシーンに興奮してしまうんです。
作家の森博嗣氏は、キャラ萌えの要素を、計算して小説を書いています。
『ミステリーファンの大多数の人は、キャラ萌えで小説を読んでいる』とさえ、言っています。
それは確かに分かる気がします。
謎解きが好きだというよりは、シャーロック・ホームズが好きなんです。御手洗潔(みたらいきよし)が好きなんです。金田一少年が好きなんです。
僕は森博嗣氏の術中にまんまとはまってしまったわけです。
さらにこの『すべてがFになる』の凄いところが、というより、作家森博嗣の凄いところが、もう一つあるんです。
それは『シリーズ化』という概念を取り入れたこと。
『すべてがFになる』は、この一冊を読むだけでも面白いのですが、実は話はまだまだ続くんです。毎回西野園萌絵と、もう一人犀川っていう男性の二人の主人公が出てくるシリーズが、全部で10作続きます。
つまり、西野園萌絵ファンとしては10作買わなければならない。
で、一つシリーズが終わったと思ったら、また違う主人公のシリーズが始まるわけです。
で、そっちはもう買わなくていいやと思ったら、新しいシリーズにも西野園萌絵が脇役としてちょこちょこ出てきたり、前のシリーズと新しいシリーズの話が微妙に繋がってたりするわけです。
だから、西野園萌絵ファンとしてはそっちも買わなければならない。
さらに、その新しいシリーズが終わったら、また新しいシリーズが始まって、そっちにも西野園萌絵が出てくるんですね。
この辺で気づきました。もう買うのやめよ、と。
ただ、ビジネス展開としてとてもうまいと思いますね。
僕も小説を書くとき、「これはシリーズ化できるか?」ということを真っ先に考えて書いています。
で、一つあるシリーズの小説を考えて、何作かのタイトルと漠然とした内容を友達に話したんですが、
「てめえ、デビューもしてないくせにシリーズとか考えてんじゃねえ!!小説なめんな!」
と罵倒されてしまいました。
まあ、そんなもんですよね。