発注元と請負側の絶望的なコミュニケーション
大企業には上意下達でゼネコン型のプロジェクトを抱えているものがある。そこでは無数の下請けの監督管理が焦点となる。
・ガス漏れ修理せず放置、新たに12件…東京ガス(2013/11/19読売新聞)
・漏れ修理偽装20件に=社員関与指摘も確認できず-東京ガス(2013/11/29時事通信)
この事件は、工事日数が延びた場合に増額が認められにくいとの認識が現場にあり、工事せずに修繕したことにしたとされる。
つまり虚偽報告である。
この根底には、発注元と請負側の絶望的なコミュニケーションの現実がある。
上意下達の世界では、おカネに関する相談は尚更やりにくい。下請けは言いなりになることに慣れ、赤字採算でも断れない。また「これではウチは赤字です」という声をあげることは既にあきらめている場合もある。
ホワイトカラーであるあなたが「ちゃんとやってください!契約どおり!」では、再発するだけである。誓約書を更に10枚追加で書いても同じである。それは上意下達に過ぎない。
*「雨天等で日数が延びたら貴様らは赤字だがそれは発注元の俺は知らんぜ」と契約が読めるならば、赤字でプロジェクトに縛られないよう悪しき工夫が現場に蔓延する。
*「これじゃあ請負は赤字だな。」ということすら読めていないならばマネジメントなどしていないに等しい。
*請負が発注元を騙しているという道義的側面は内部問題に過ぎず、「安全な工事」というのは公益であり発注元が親亀として責任を負う。
ゼネコン型請負体質は、こうした悪循環のような体質がある。
上意下達の書類主義
ゼネコン体質では、上層は現場に行かず書類だけで仕事をしている。これは念書を何枚も取れば仕事をしたことになってしまうようなマネジメントである。
・原子力保安院密着ルポ 「伝言ゲームの参加者が多すぎる」(2011/3/18日経ビジネス)
そして、特に一過性のプロジェクトでは書類フォーマットが確定されないまま工事が進むこともある。途中で「やっぱりこの情報を付加して/写真はそれだけでなくこの角度からも」となる。そして「美しい書類」を提出しなければ出来高払いの報酬は支払われない。
現場作業員に現場技術はあるが、こうしたホワイトカラー書類主義とうまく噛み合わないことも多い。中間の中請が現場にも行かず、そして監督者としてやるべき「現場確認書類」作成まで現場に投げているという実態もある。
そこで現場では奇妙な工夫が生じてくる。
例えば、現場写真撮り忘れに対応するサービスまである。これで工事提出書類には「加工された写真」が添付されることになる。
・【写真修正・画像修正サービス】工事写真修正・現場写真修正例
しかし、これは正直言うと偽物の現場写真である。裁判ならば証拠偽造となる。つまり、これも一種の虚偽報告である。「写真は撮り忘れました/工事後に言われても撮れません」と言うのが真実である。だが現場での罪の意識は薄いし、写真がうまく撮れていないだけでもその分の作業賃がもらえないことになる。
もちろんゼネコン内部の書類作成上の問題に過ぎないが、深刻な実態を提起している。つまり現場は不平や問題を上にあげることにほとんど絶望しており、現場の工夫で「つじつま」を併せてしまう。
*発注元が想定したものとは異なる実態が現場にある時もある。その場合、本来は現場への指示内容も調整されなければならない。発注元の指示は神様の指令ではなく、非現実的な場合ですらある。上意下達では何も問題は解決されない。
これでは、ゼネコン上層が実態・現実を把握できなくなっていく。情報が加工されている。「結果オーライ」マネジメントである。
あなたの下請けに裏マニュアルはないか
また、赤字採算を避けるため工夫として「裏マニュアル」が現場で横行することは、作業員だけでなく地域の安全にとっても深刻な問題となる。
・東海村臨界事故で問題となった現場の裏マニュアル(改悪版)、作業員2名死亡(広報21)
・関電美浜原発腹水管事故、内部規約無視、作業員5名死亡(失敗知識データベース)
現場が「おおせの通り!ハンコは何枚でも押します」と言いながら、どんどんルール外の道を走っていく危険が現在のゼネコン体制にはある。上意下達で現場の問題も吸い上げられない。問題は隠蔽され「結果オーライ」でプロジェクトが片付いていく。官僚のような形式主義にはまり込んで行く。
*必要なのは「絶対間違いありません」という念書を何枚も取って「僕には責任ありません」の証拠を作ることではなく、現場の現実を吸い上げる体制を作り、現場に作業員以外の監督を派遣することである。要するに人手とコストがかかる。
*現場の現実が克明に把握されていれば、イザという時の改善は容易となる。
現場で事故や作業員の死亡が発生しているようなプロジェクトでは、ホワイトカラーはもっと真面目にマネジメントを洗い直すべきだ。受験とマニュアルで育ち、ブランド競争に憧れ島耕作を目指しているだけでは、こうしたマネジメントと現場との乖離は避けられない。やがて現実離れした「良きに計らえ」という公家になる。
*徳川家綱将軍期に検地を実施して石高を現実に併せようとした時は、「裏マニュアル」の生じやすい代官に任せずに直接に勘定奉行とその直属が調査を実施した。
マネジメントの想定 ← 乖離 → 現場の実態
マネジメントを語る颯爽としたコンサルタントがいる。
しかし、そういう人達はプロとして安全神話崩壊をもたらすこうした日本のゼネコン体質のマネジメントにもっとメスを入れるべきではないか?ビッグデータの活用よりも先にすべきは、日本をダメにするゼネコン構造の分解ではないか。
技術立国だがマネジメント無責任では最後は敗北に至る。