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日本の構造と世界の最適化

戦後システムの老朽化といまだ見えぬ「新しい世界」。
古いシステムが自ら自己改革することなどできず、
いっそ「破綻」させ「やむなく転換」させるのが現実的か。


芸術も身内主義


芸能人が賞を取るとき、いろいろ裏話が取り沙汰されたりもする。事務所の政治力、芸能界のドンの意向などなど。しかし、それは芸能界に限った話しではない。


書道や絵画などの芸術にもそういったところがある。


日展の問題は、割と爽快にぶちまけられた。そういう意味では、日本社会はまだまだ健全だとも思える。
日展審査問題 真相解明して出直し図れ(2013/11/14西日本新聞)
揺れる「日展」開幕 入選数調整問題(2013/11/1産経新聞)
日展「書」で金銭授受の慣行=会派別調整も確認-第三者委報告(2013/12/5時事ドット コム)
自会派の日展審査員に謝礼の慣行 洋画の会派「白日会」(2013/12/1西日本新聞)
我が国にっぽんの恥「日展」(亜 真里男)

日展では、顧問や理事のコネが幅をきかせることを懸念し、各会派にまんべんなく入選を分配して「喧嘩なし、独占なし」を図るための事前調整が行われたという。


岡本太郎の「芸術は爆発だ」は改めなければならない。

日本において「芸術も地位の分配である」


なぜなら、これは個人の過失でも悪意でもなく、長年の慣行=文化・システムだからだ。相思相愛でできあがった純日本産である。


「地位の分配」という生活保障文化


「作品よりも会派の方が大事だ!うおおお!文句あるのか!俺達の文化だ!」と叫べばいいではないか。


「ノウハウよりもノウフーさ!」そう嘯いてきたではないか。さあ「コネ、縁故、身内社会バンザイ!」と叫ぶのだ。それが日本の姿だ。


入選回数や入選者の多さが会派など組織内で幅を利かし、序列を生むような構造、こうした地位・序列は日本芸術界でのサクセスの前提となるとされる。そして安全に飯を食うための保障システムであり平和主義である。


例えばゴッホのような伝統的なデッサンを無視した絵画が生まれると、デッサン派の大御所や講師が大量失業することになる。それは保障を壊し、平和を壊す。芸術家が作品だけで勝負して、サラリーマンのように右肩上がりの生活ができるわけではない。

*ゴッホは生涯1枚しか絵を売ることができなかった。同士と思って共同生活を送ったゴーギャンに切りつけて人間関係も破綻し、孤立し村人からも狂人扱いをされて死んだ。

*ゴッホを英雄視するルオーらが、フランスの保守的なサロンに対抗するため個人が展示できるサロン・ドートンヌを打ち上げ、「なんだこの絵画展は!まるで野獣(フォーヴ)の檻だ」と評判になり、フォーヴィズムが名声を得ることでゴッホも称えられるようになる。


■権力よりもさらに不健全な権威

それゆえ「芸術もコネだ/それで身の安泰」が真実である。そして芸術は権威として君臨する。権力が官憲のように目に見えやすく容易に批判できるのに対し、権威はじわじわ影響力を行使するので権威を批判することは難しい。

ある意味、公的な保障を受けた私的権威ほど不健康なものもない。


   権力(見えやすい・批判しやすい)← → 権威(見えにくい・批判しにくい)



無冠の帝王のような鮮やかなスターが出てきてこういう馬鹿げた世界を壊してほしいもんだ


国家国策による芸術権威


日展だけが問題ではない。芸術の世界には、「日本芸術院」などの戦前からの国策システムがある。


日本芸術 国策的権威ピラミッド

              
                官僚(文科省)
                   ↓

    文化勲章(1937年)(文科省が推薦・内閣審査・閣議決定)文化功労者から選考
    *ノーベル賞受賞者には自動的に授勲
                   ↓

   文化功労者(文科省文化審議会が選考)=終身年金年額350万円

                   ↓      

       日本芸術院(文化庁)芸術家が終身制定員120人
         *非常勤国家公務員扱い(年金毎年250万円)

                   ↓

        人間国宝(『文化財保護法』認定保持者

             *年額200万円の特別助成金


陶芸家の河井寛次郎は、文化勲章・芸術院会員・人間国宝を辞退し、無位無冠の芸術家として生きた。これがあるべき姿ではなかろうか?


民間の私的な賞や特典はともかく、公権力のお墨付きと税金がなければ芸術も幅が効かないのか?


そんな芸術は滅んでしまえ(現実には、こういう仕組みがないとかつて実績をあげた芸術家も老齢になるまで稼ぎ続けて生活できないようだ/芸術は食えない)。


■腐った楽園/国家にすがる芸術家

日展問題は氷山の一角。芸術の頂点を公権力が決定するようなシステムが問題だ。
〈文化変調〉第5部・ゆらぐ権威(4)時代とずれ 芸術院(2010/12/6朝日新聞)
"芸術"という腐った楽園(橘玲)

現代美術の村上隆に言わせれば「エセ左翼的で現実離れしたファンタジックな芸術論を語りあうだけで死んでいける腐った楽園(『芸術起業論』)」なのだという。


部外者を排除したムラ社会国家の権威を借りて食べていく。


丸山眞男は日本の近代にメスを入れた哲学者だが、こうした日本のムラ社会を「タコツボ型と呼んだ。それは一つの大きなムラなのではなく、幾つものムラが無数にあり、お互いに対して閉じている。そしてそれが日本の生活人生システムになっている。


そしてそれは高度成長の後で不安な低迷を続けているように見えるのだ。囲い込み年功序で保障されてきたはずの生涯保障システム(日本型社会主義)が劣化し、おののいている。


「ノウハウよりもノウフー」ならば既存秩序を打ち壊すようなイノベーションも起こらない。また社会主義者「技術革新/合理化」を労働者の生活を脅かすものとして敵視してきたが、シマを囲い込んでいたはずの地主的経営者らも「技術革新/パラダイム転換」を市場荒らしのようなものとして憎んでいる。つまり日本人の多数が戦後型システムに甘んじ予定調和を壊すような変革を忌避している。なぜデフレになったのか不思議がってはいけない。これではデフレにならないほうが不思議なのだ。


かくして、華族や大地主を滅ぼして成り上がり者が勃興した戦後の発展の躍動感は失われ、身の保全ばかり考え、オカルトに興じた帝政末期のロシア貴族のようになっているのかもしれない。それは長い時間をかけて律令制(官位序列)が滅んだように滅んでいくかもしれない。