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日本の構造と世界の最適化

戦後システムの老朽化といまだ見えぬ「新しい世界」。
古いシステムが自ら自己改革することなどできず、
いっそ「破綻」させ「やむなく転換」させるのが現実的か。


先輩後輩の関係は、日本文化として特徴的なものである。


日本人であれば、先輩後輩の関係は日常必須のエチケットであり、これを破れば平和は破られ無秩序な戦闘体制に入ってしまいかねないのである。


また芸能界では上下関係が厳しいとされるが、さんま、鶴瓶、タモリなどでは微妙な関係があるようである。タモリは奇妙な変態的キャラとして登場してきたが、正確にはさんまよりも後輩格であった。しかし後輩として振舞わないことに成功してしまったようである。
「なぜ“兄さん”と呼ばない!?」。実は先輩。さんまが“後輩”タモリに疑問を投げかける。(techinsight)

さらに先輩後輩関係は年功序列サラリーマン社会にもそぐうという実益もある。


そして「こいつ俺の目上か目下か?」というのは日本人特に男性が生涯で何万回も繰り返す所作であろうか。


マニュアル不要の人材育成=先輩後輩


マクドナルド的なマニュアル主義ではなく、先輩後輩関係を利用して長いOJTにより従業員教育が自動的に達成される。先輩と後輩は通常はプレイヤー同士なので「いじわる」も入りつつ教えてもらいながら下が育っていくという寸法であろうか。こうした日本の集団主義が極めてうまく機能する局面もある。


また、欧米ではシックスシグマという品質管理システムがあるが、これにはブラックベルト・マスターなどが指導員になる。日本のような先輩後輩文化がない場合、明確に上長でない者が「そうじゃないだろ?」と指導をするのは難しい。それゆえ黒帯マスターなどの達人格付けが欧米ではわかりやすかったのかもしれない。

シックスシグマの落とし穴(ITmedia)


先輩後輩文化は、組織がスムーズに自発的に階層化される点で有益ではあった。


初年兵=奴隷、二年兵=鬼、三年兵=神という平等な世界


若者は「先輩後輩秩序なんてばかばかしい!」と言う人が多いかもしれない。


しかし、それは戦前の平時徴兵3年制のように平等なものである。初年兵=奴隷、二年兵=鬼、三年兵=神という序列は、年功なので、奴隷は必ず鬼となって奴隷を使役する立場になることができ、除隊前には神の地位にまでなれる。つまり時間軸的平等があるのだ。


日本の年功序列は、商家の丁稚というより戦後の大量の復員兵が好んだ軍隊式組織が起源のようである。隊長、班長、命令、任務という組織規範が植え込まれているため、こうした組織構成だと教育訓練なしで組織がまとまっていく。班長などは「ハンチョー」と英語になっているくらいであり、日本的な小単位グループのまとめ方である。

honcho(investopedia)


それゆえ、サラリーマンは若い頃はともかく、年を取ってからは「最近の後輩は生意気だ!」と感じるであろうし、50歳を過ぎると「30や40の頃のようにガツガツとは働けないから年功序列は大賛成だ、後は養ってもらおう」という気になる。


将来後輩ができた時のためにも、先輩後輩秩序は後輩にとっても実は大切だと言える。


若者には上下関係を無視してつき進む人もいると思うが、上下関係/先輩後輩というのは年を取る度に自分に有利になるものだから、きっとその若者も先輩風を吹かす日がくるだろう。それはただ単に「唯我独尊」でいたいだけだ。
先輩は見下し、後輩には過剰な“先輩風”!?(2012/12/3ダイヤモンド)


また「僕は先輩風吹かせたくないんだ」と言っても、突然「おいおめー」と後輩に言われれば気分は悪いはずである。要するに、先輩後輩規範がなくなってしまうと、日常には動揺があるだろう。それならば、上下を問わず敬語という関係になるが、敬語ではストレートなやり取りや指導ができない不都合もある。日本人はなんとも複雑である。


先輩後輩がすべてに優先する?


自由・平等・民主主義そして公益よりも、この先輩後輩日本文化は絶対保持すべきものだろうか?


■JR北海道で露呈する先輩のメンツ意識

JR北海道では、先輩が後輩に対してミスを隠すためにATSを破壊したという。「先輩のメンツ」について、「わかるよ~うん!」ということになるのであろうか?もちろん誰もが公益や安全の方が大事だとするだろうが、この人物は「どんなことをしてでも先輩のメンツは守りたい」という気持ちがあったことは確かであろう。つまりその因子は、日本人ならあるものである。
ATS破壊男性が保守担当 JR北海道、出勤停止も(2013/10/2産経新聞)

■PL学園が露呈する暴力による上下関係

体育会系の上下関係は長らく素晴らしいものとされてきた。だが、人間と人間が上下関係を作っていくのは、やはり何か仕掛けがある。一つは暴力である。PL学園では複数の上級生が下級生を病院送りにしたことが問題になったことがある。対外試合禁止処分を受けたために、何らかの対応を迫られたようだ。
PL学園、上下関係「付き人制度」「後輩が洗濯」禁止(2013/10/16産経新聞)

■元復興相が露呈した「長幼の序」のこだわり

また松本龍復興担当大臣が宮城県庁を訪れた時に村井知事の出迎えがなかったことで激怒し、命令調で「長幼の序」を説きながらしゃべっていた。だが、「国を代表する大臣」「県を代表する県知事」なので、長幼や上下関係で動くべきでもない。国が県に命令するというのも変である。「うるせー地方自治なんてくそくらえ!都道府県なんてしょせん国家官庁の出先機関だ!」と言える人でない限り、もっと自重するだろう。首長が若かろうと、芸人出身であろうと、それぞれ民主的システムによって多数を代表する立場にある。「おいコラ!」でつき進もうとしたこの親父は。。更に復興予算を大臣が牛耳っているから威張っているともされかねない。この松本大臣はほどなくして辞任した。しかし国の要職者までがこのレベルなのだから、あなたは自分の振る舞いについて何も心配しなくていいということだ。
松本龍復興相が宮城県知事にブチギレ!(2011/7/4rocketnews24)

■暴力で結束し、人を殺す集団

半グレというものがあるが、この集団にも強固な上下関係があるようである。先輩への絶対服従は、先輩ともめている相手を後輩が暴行死させるほど強かったようである。関東連合の石元太一の『不良録』では「警察に捕まったときに、初めてゆっくり眠れた。(中略)先輩からヤキを入れられることもない」という箇所があるという。あたかも、上下関係は国法や他人の生命よりも尊うといようである。
六本木集団暴行死 「先輩の言うことは絶対」背景にゆがんだ上下関係(2013/10/14iza)
いびつな絆(下) ヤキ入れ恐怖心植え付ける “鉄”の上下関係(2013/1/22産経新聞)
*野生のチンパンジーの集団行動はまだ研究途上であるが、オス同士の殺し合いがサルの中では圧倒的であるようだ。またアルファというリーダーとナンバー2以下には忠誠以外の微妙な緊張関係があり、アルファは自分の強さや賢さを誇示しなければならない。弱いアルファはナンバー2以下に殺されてしまう。こうして最も強いものが常に群れのリーダーとなる。また群れのメスはすべてアルファのものだが、メスが嫌がらない場合は、いわゆる子分がボスの女を盗むという乱婚もチンパンジーの特色である。すなわち「忠誠と反逆」という高度な知性があるようである。またあるチンパンジーはパックマンのゲームを完全に理解してプレイできるという。こうした暴力による序列は、人間だけのものではない。


最悪の集団=盲目的集団


ハイエクは、なぜドイツ人が愚連隊のようなナチス党に権力を与えてしまったのかを考察している。それは集団主義や社会主義の志向の強い風土では「最悪の集団」が民主的議会で強い力を持ちうるということであった。つまり、自由があれば多数の意見はなかなか一本化されず、鉄のような一本の政策を掲げることですら難しい。人々は「議会は無能だ」と不満を持つ。一方、自由がなく盲目的な集団はリーダーを中心に何でもやってのける。それは困難な時勢では「頼もしい強さ」に見えるのである。しかし盲目的で批判精神の欠如した集団は、ナチス党やオウムのようになってしまう。


また、先輩が酔っ払った女性を犯しはじめたら、後輩が「絶対服従」でこれに従う場合、準強姦の集団強姦罪となる。そういった事件も過去にあった。

*刑法には「共犯離脱」に関する法論がある。実行の着手があった場合、見張りが「こんなのイヤだ」と言って持ち場を離れるくらいでは、共犯から離脱することはできない。つまり、刑法は犯罪に関して個人主義的に法論を構成している。「なんとなく寄ってたかって」という空気のような日本人心情を日本刑法は斟酌していない。


「先輩後輩」規範は、公益や人間の尊厳を凌ぐほど重要なものという意識がかくも強力に刷り込まれているわけである。


現在の混乱:役割序列と年功序列


ずいぶん前に30代の社長が、取引先の葬式でうつら寝をしてしまった40代の社員を殴って警察沙汰になったことがある。


これは、難しい事態である。

お客様に対して失礼なバカ社員を殴る、というだけでは済まない論点がある。

1)昔風軍隊式 ⇒殴って当然 ⇒ 年齢ではなく階級・若年でも上長は上長
2)長幼秩序  ⇒殴るのは不当⇒ 年長者を殴るとは!
3)暴力統制反対⇒殴るのは不当⇒ ダメな社員でも殴ってはいけない


あなたがどんな立場かは知らないし、あなたの本音など知らないが、会社や社会の役割序列と、年齢序列は現在は崩れてきているのだ。


昔は、先輩や目上は目下に「おう!てめえー○○!」と言い、目下は目上に対し「あのー、○○さん」とか言えば済んだ。自動的に役割序列年齢序列がほぼ一致していたからである。つまり年功序列はしっかりとしていた。


現在はそうではない。また「同じ釜の飯を食う仲間」だけで業務が遂行できるわけでもない。派遣や契約社員、出向者など様々な人が横断的に関わっている。日本は確かに変質しつつある途上である。


          役割秩序 ← 現在は不一致に → 年齢秩序 


結局、先輩後輩というコアな文化も、経済の変遷の前に変質していかざるを得ないだろう。あるいは、役割・契約という部分を重視して目下目上に関係なく敬語で職場が回るようにすべきかもしれない。


■日本人の集団は何を理想とするのか?

ところで日本人が未知の無人島に流れ着いて集団生活をしていくことになったら、どうなるのであろうか?


アメリカ人は『大草原の小さな家』ドラマにあるような教会を中心とした裕福ではないが「対等な社会」を理想視しているようだ。上下関係はなく、貧富があっても対等に声をかけあう。あれはアメリカの共和主義を映し出している。

*アメリカではイタリア・マフィアも結局は共和制的な委員会制へ移行してマフィア同士の潰し合いを抑制することになった


日本人の場合は、無人島に流れ着いて新しくコミュニティーを立ち上げる時、やはり土下座、先輩の鉄槌という日本人集団を死守していくのであろうか?ムラを形成していくのであろうか?

*誰にも指導されずに自然発生した集団=ヤクザや半グレなどの人間関係はある意味、日本人の本音を具現化している。


ムラ社会といえば山口県連続殺人事件「現代の八つ墓村」と騒がれた事件では、当地出身だが都会に出ていた者が集落に戻ってきて・・・という「本当の有縁社会」が展開されたようだ。加害者は若者ではなく中年だがムラの中では若い方で、しかもムラにずっと住んでいたわけではない。このことからすると、あなたが有機農法に憧れて農地を取得しやすい過疎地に入ったとする。あなたは体育会系とは一味異なる先輩後輩/上下関係/古株という圧迫・元祖ムラ社会に直面するだろう。
山口連続殺人!容疑者は村人にイジメ受け・退職金強要・胸刺され・農機焼かれ・嫌がらせ、パシリ・農薬・犬(2013/7/27)
*「無縁社会」を嘆く声があるが、日本本来の有縁社会は「八つ墓村」的な閉じた村社会であり、戦後みな「しんきくせー」と言ってそれを捨てたのだ。



日本の文化・伝統=お茶、お華、着物などと上品貴族のサロンみたいなくだらないことは言わないでくれ。「日本を知れ!我々自身を知れ!」というならば、「先輩後輩」規範というものもよく考えてみる必要もあるだろう。つまりこういう文化は人間国宝として骨董品として取っておくべきものではなく、日々の矛盾・軋轢の中にある。明日あなたが直面することである。