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日本の構造と世界の最適化

戦後システムの老朽化といまだ見えぬ「新しい世界」。
古いシステムが自ら自己改革することなどできず、
いっそ「破綻」させ「やむなく転換」させるのが現実的か。


これは雑居ビル火災のカラオケ店ではない


三菱マテリアルで5人死亡12人負傷という大きな事故があった。
爆発の交換器8年洗浄せず 三菱マテを三重県警捜索(2014/1/11産経新聞)
「勘」に頼る危険な作業… 動揺収まらず、操業停止に(2014/1/10産経新聞)
四日市工場爆発:熱交換器のふた 作業マニュアルなく(2014/01/10毎日新聞)
5人死亡事故の工場で再び爆発 三菱マテリアル(2014/1/16朝日新聞)
三菱マテリアル・リスクマネジメントの徹底

この件について、三菱マテリアルは企業として「想定外の悲劇」だったとは思えない。2年前の事故4年前の内部告発があり、「安全管理」の体制に問題があったように思える。事故原因調査中にも爆発が起こった。
・2010年:四日市工場=トリクロロシランを法定基準を上回る高圧力で扱い操業停止2カ月
・2012年:四日市工場=洗浄作業中に、排水にたまった内容物とアルカリ水が反応して爆発
・2014年:四日市工場=洗浄作業中に爆発事故5人死亡12人負傷


三菱マテリアルは洗浄解体の作業に関し「過去からの経験値」に最大の信頼を置いていたとされる。洗浄のタイミングも現場の勘だったようだ。前の社長時代からの流れである。


前回爆発事故があっても抜本的対策が取られていなかった可能性がある。そうならば経営陣・管理職の責任は重い。危険管理はどうなっているのか?


これは倒産寸前の自転車操業の零細会社や火災を起こした雑居ビルのカラオケ店の話ではない。


連結売上1兆円以上の上場企業で天下の三菱グループである。多結晶シリコン国内2位で、日本の素材産業の強さを物語る企業である。また東大、京大、一ツ橋などの一流大学の出身者が歴代の社長を務めてきている。しかし報道される情報では、危険物に対して現場の勘まかせだったのか。


今回の事故が、最終的に「想定外でした・・文化のせい・・」で終わるなら、日本全体にとっての不幸である。


もし失われた命そして危険物取扱での不幸を減らしたいというのなら、三菱マテリアルの失敗事例を深く分析するべきである。どうしても刑事責任や民事責任で戦犯をつるしあげる傾向があるが、それよりもダメなマネジメント手法を認識し、良いマネジメント手法に変えていくことは、今後のためにもっと重要ではないだろうか?
*マネジメントシステム認証組織ビューローベリタスジャパン(株)は、何かマネジメント上の欠陥を発見するであろうか?認証というのは最低限のもので、認証があればOKというわけでないということが良くわかる事例となった。認証合格でも死亡事故や操業停止は起こる。


長年の勘(現場丸投げ)=結果オーライ=臨機応変なのか?


解体作業にはマニュアルもなかったのだから、現場丸投げマネジメント=結果オーライ=臨機応変だったと言うしかない。現場の熟練頼みだから、経営陣や管理職は何も具体的にはしていないということだ。「がんばれよ頼むぞ」と声援くらいは送ったかもしれない。


ただ四日市工場では、過去にトリクロロシラン関連の問題があった。経営陣がそのことですら知らなかったはずはないだろう。その時に、何ら抜本的措置も取られなかった可能性がある。例えばトリクロロシランを法定基準を上回る高圧力で扱ったことは「昔からやっていた」慣行で、尊敬すべき先輩方の違法は後輩はきちっと違法を継続して、挙句の果てに人が死ぬようなことになったということである。騒ぎにならなければ今までどおりなのか?一流企業や一流の関係者を守るために隠蔽なのか?「人が死なない限り安全対策は熟練の目分量だ!」と叫んだらどうだろうか?

*ヒヤリ、ハットを記録するだけでは足りない


どうも日本の危険物取扱には「長年の勘で」というマネジメント手法があることが鮮やかに判明した。三菱グループがそうなら、怪しげな零細企業はどうだろう?三菱マテリアルが一流なら、三流企業はもっと恐ろしく危険な「結果オーライ」で人が死なずに済んでいるということではないか。



経営陣は、当初爆発事故でも生産には問題ないという姿勢だったが、自主的操業停止に踏み切った。死亡事故になったから?マスコミが騒いだから?


■もはや「阿吽の呼吸」だけでマネジメントできない
三菱マテリアル
に限った話しではないが、終身雇用が解体され契約社員や非正規、外部人材が現在で増えていく中で、経営者や管理職、ビジネスマンは、今までの「阿吽の呼吸」では安全なマネジメントはできないことに気がつくべきである。担当がころころ変わるような世界を想定してマネジメントがされなければならないのではないだろうか?


欧米では地域紛争などの事態に対して「管理できる危険」「管理できない危険」という区分けをしている。もちろん欧米が自分の利益のためにも管理しているということであり正義か悪かという問題ではないが、「管理できない危険」も現実に存在している。金融ではテールリスクというやつか。


しかし管理できるものはしっかり管理していくべきだ。過去に事故があった以上備えるべきもので、「管理できない危険」ではなかったのではないか?


  「そんときはそんとき」  →   「そんときが来た!うあああああああああ!」
    超楽観主義


あるべきマニュアル主義


■マニュアル一辺倒も危険
日本人はルールを極めて尊重するところがあるが、マニュアルがあると今後はマニュアル一辺倒になるところもあるのだろう。マニュアル主義が好きな日本人は少ないのではないか。

*まして終身雇用・年功序列そして長いODJによる訓練学習からすると、現場以外の者が作った現実を反映していないマニュアルなどくそくらえというのが本音ではないか?
*マニュアルが実態にあっていないから無視するという現場も見たことがある。誰も「これは違う、これはこんな状況では順守できない、現場をわかっちゃいない」という声を上にあげないし、上げる仕組みすらない。これは資本金3000億円以上の上場企業での作業での話しである。


マニュアルの出来が悪く、マニュアル一辺倒の場合は現場の作業が困難になる。また作業をやってのけるため裏マニュアルなどがはびこる可能性も出てくる。


裏マニュアルで行われた成果は、結果オーライでしかない。

*うまくいってもまぐれだった場合は喜んでいられない。


■マニュアルはバージョンアップを重ねるもの
しかしマニュアルは完璧ではない、という発想で現場の実態調査と併せて更新していくべきものではないだろうか?


ところで「欧米人はルール自体を変える、卑怯だ!」という声をどこかで聞いたことがあるが、欧米特にプロテスタントの観念では人間の人為はすべて不完全である(それゆえ神の代理人だというローマ教皇が嫌いである)。人間は神ではない。だから完璧なものなどなくPDCAなど実証主義が入ってくる。そしてルールも法も「不完全」なので次々と更新していく。更新していくことがルールやマニュアルへの信頼性の高さでもある。英米コモンローでは、法廷に法創造機能すらある。裁判官による判例や判例変更が新法として機能すらする。さらには民主立法を否定する力(違憲判断)まである。これを「法の支配」と言う。つまりルールは創造し続けるもので、神のごときものではないのだ。
*米軍にも大艦巨砲主義があったが、真珠湾攻撃を目の当たりにしてすぐさま航空機動部隊重視に切り替えている。
*日本軍の焼夷弾による重慶絨毯爆撃は新たな手法であったが、米軍は日本爆撃の時にはこれを取り入れている。
*欧米のサービスは規約を年に数回も変更してくる。まあ不快だが、彼らは更新こそが仕事である。
*投資であればシステムトレードといった具合に仮説をたて、ターゲット価格、損切り価格が事前に決められる。これは実証主義的な方法と言えるだろう。外れる時もあるが、その場合外れた理由を分析することになろう。ヤマ勘主義ではない。もちろん個人が自分の金を「そんときはそんときや!」という形で張るのは勝手である。
*欧米が優れているという意味ではない。例えば米量販店ターゲット等でのレジでのクレジットカード情報窃盗が大きく取り沙汰されているが、欧州や日本のようなチップ型カードやレジ内情報暗号化をコスト増を理由に導入したがらない米量販店のあこぎさの罪がある。わかっててやらないというのは一層性質が悪い。


またルールやマニュアルの策定・更新にトップが責任を持つことで、現場に対して責任を持つことができる。また現実にすり合わせていくことで現場を把握することになる。「亭主元気で留守がいい」的な現場丸投げ主義では、イザという時は謝るだけである。


長年のODAや勘で培ったものだけで進んでいくと、それは実質的には現場だけの責任となって管理できない。管理できないなら、組織として無責任ということになる。「それしか方法がねえんだ仕方がねえ」と言うならば「それで人が死んでも仕方がねえ」と言うべきである。


東海村JCO臨界事故では、裏マニュアルの改悪版を用いてステンレスバケツで溶液を扱っていたことを忘れてはならない。


最悪の場合、管理されていない請負による危険物取扱はそこまでひどい状態になる。これはおとぎ話ではない。「運が悪かった」ですべてを片付けて「喉元過ぎれば・・」と不祥事の忘却を待ってはいけない。組織のトップにいる高学歴の偉い人のメンツや関係者を守るため、失敗事例を封印してしまうようなことがあっては、日本は進化しないだろう。


「一度あることは二度ある」と考えるべきではないか?その因子を我々は持っているのだ。だから具体的防止措置などが必要となる。ホワイトカラーで管理職そして経営陣となる者は、「昔からの悪しき慣行」維持ではなく、命を助けるために安全改革を行うべきだ。人の命は「身の保身」よりも大事なはずではないか。

*昔からの悪しき慣行を否定すれば、これに関与していた先輩や大御所から嫌われることになる。では放置すべきか?


それとも、こんな非科学的マネジメントで「うおお科学立国日本!」と自画自賛しているのか?