身分制の導入に成功した厚労省 | 日本の構造と世界の最適化

日本の構造と世界の最適化

戦後システムの老朽化といまだ見えぬ「新しい世界」。
古いシステムが自ら自己改革することなどできず、
いっそ「破綻」させ「やむなく転換」させるのが現実的か。


派遣に堕ちたら最後か?


日本学術会議は「大卒3年間は新卒扱いして!」と企業に頼み込んだことがある。
「大卒3年程度は新卒者扱いに」日本学術会議提言(2010年8月18日)


日本の構造と世界の最適化-断末魔 それは「大卒→新卒入社→正社員」という構造があり、新卒でないと正社員の階段を上がれないという日本社会の現実を物語っている。もし、就職活動時期が大不況であったりすれば、派遣等を余儀なくされる者が増え、生涯派遣ということだ。大学側は「大卒後派遣社員からスタートすれば人生は台無しだ」と考えているのである。まるで派遣というのは社会の汚物・落伍者みたいではないか?というのは我々が派遣制度を追認したはずである。我々は汚物・賎民を認定したのであろうか?


また、司法では人身傷害や生命損失における損害賠償の算定において「生涯収入(逸失利益)=命の値段」を計算に入れるが、「派遣の生涯収入は低いのだから、正社員並みで計算するのはどうか?」という議論もある。
*これは女性の生涯年収の算定でも問題になる。なぜなら司法が「女はどうせ男より給料は安い」「派遣は一生派遣」という見方を法廷で確立してしまいかねないからだ。
「命の値段」、非正規労働者は低い?(2010/09/18朝日新聞)



正社員を守るためのバッファ=派遣


総じて派遣制度の沿革を見ていくと、「工場派遣」が解禁された時点で大きなシステム変更が生じたといえる。というのは労働運動というのは工場労働者がその起源を担ってきたからだ。


工場の生産の投入リソースである労働をどうやって変動する経済に対応させるかは、大きな問題だった。だが、正社員労働組合を守るため、派遣等のバッファを導入することで問題は一見解決されたかのように見えた。それは、正社員労組と経営側の同意によるものであろう。
*欧米では正社員の休暇を代替する要員として「temp staff」という用語が昔からあった
*日本の場合、正社員は休暇を消化せず、消化しない場合は消滅し、代替要員確保は正社員同士でカバーしあうので「temp staff」は当初は制度化されていなかった

*国際会計基準IFRSでは休暇代替の費用を計上させ未消化の休暇は負債となるが、「休暇は恩寵であって対価でない」という日本サラリーマン社会へどう適用されるのだろうか?


問題は、それが経済・労働の流動性に適応するものというより、「正社員という身分」を守るという目的に偏ったバッファに派遣制度も活用されている可能性が高いことだ。正社員には流動性は適用されない。せいぜいボーナスが減るとか、その程度である。つまり経済合理性ではなく、身分制的安定を好む戦後慣例の要請である。


 現在の「派遣制度」もまだ戦後雇用慣行の補完的延長


■偽物の流動性・正社員は守る

派遣会社がらみの人間で自由主義的なことを語る輩もいるが、こうした現在の二重体制(守られた正規+自己責任の非正規)という構造は、「労働市場の流動化→ダメなゾンビ企業から資本と労働力を奪って市場原理で自然にぶっ潰す」ではない。


ゾンビ企業のダメ経営者を甘やかし、子育てできない給料でも人材獲得できるように政府のカネがばらまかれている。


日本の構造と世界の最適化 なぜ日本の家電が・・、なぜ日本の半導体が・・、なぜ日本産業は・・、なぜ日本は「失われた20年を」・・とか、不思議がることはない。このような体制では負けるのは当然だ。


政治家のポケットに札束をねじこむような既得権型ゾンビ企業社長が自然死しないかぎり、「産業再生うおおお」と500回叫んでもムダだ。政官財は総じて現状維持・逐次投入でごまかしてきているだけなのだ。現在の派遣制度も中途半端な「偽物の自由主義」である。



しかし派遣だけでは凌げない


「時代の趨勢で派遣制度・非正規の拡大は仕方がないのさ」というのは「労働市場の流動性」という点からは一理ある。


だが派遣制度だけでは対処できない。正社員が解体されない限り「労働市場の流動性」は活性化せず、せいぜい総人件費抑制効果しかない。


■低コスト・低賃金の競争には限界がある

ところでスマホで一人勝ちの様相のアップルだが、その製造はアメリカではなく中国フォックスコンである。たとえ派遣社員を安く使い正社員のボーナスを抑制しても、コスト的に太刀打ちできない。また消費市場に近いところで作るのも、当然の理だ。日本家電のビジネスモデル(日本工場での製造・垂直統合型)は大きく揺らいでいる。派遣制度が確立され工場稼動のバッファがあったとしても、その程度では足りない。
シャープ勤務30代「一生安泰といわれたのに人生設計狂った」

日本型経営に異変 いよいよリストラが正社員に波及(2012/09/02サンケイビズ)

・フォックスコン(wikipedia)

*なお、フォックスコン工場での連続自殺が話題になり、また賃上げ圧力の結果、大規模な産業ロボット導入が中国ではじまる予兆がある。こうすると、ますます中国の産業の機械化が進むことになる。

*中国を出る際は、相対的に低賃金となった東南アジアへ向かう。日本に工場が戻り、これを支えるホワイトカラーが増大する予兆はない。。



フォックスコンの工場・1日15時間労働・月収3000円相当

       ↑

 どんな日本の派遣制度でも対抗できない

 大人気のスマホの製造に日本の組立て工場はいらない



■肥大化した間接部門・ホワイトカラー・ゼネラリスト

それは日本産業全体が抱えている問題だ。つまり「間接費」がでかすぎること。ホワイトカラー・ゼネラリストが多すぎることである。こういった構造は、成長期に会社がどんどん拡大していく場合のみ可能だ。現在の間接部門は大きすぎる。

*成長期には、「のれん分け」のように子会社を作り、本社出世コースから外れた仲間を子会社の役員等にした


また国家戦略会議では「40歳定年制」も言われている。パフォーマンスがないのに年功だけでサラリーマン高い賃金を払い続けることには経済合理性はない。とりわけ日本経済の長期的低迷を見るかぎり、そんな余裕はなくなってきている。それが日本経済エンジンの現状だろう。
国家戦略会議の「40歳定年制」に賛否両論(2012/08/02サンケイビズ)

つまりサラリーマンを派遣制度というバッファで守ることもできなくなっている。派遣・非正規という問題は氷山の一角にすぎず、本丸は、多すぎるホワイトカラー・ゼネラリスト・多すぎる中間管理職である。


サラリーマン65歳まで雇用義務化の法制化


しかし厚労省はあくまで「サラリーマン」を聖域化するつもりだ。
改正高齢者雇用法成立:「65歳まで雇用」義務化(2012/08/29毎日新聞)

このサラリーマン65歳まで雇用義務化は、違反企業公表等の社会的に厳しい内容となっている。


■年老いた正社員だけは守りたい厚労省

本来は会社から「残ってくれ」と言われなかったサラリーマンは、再就職かアルバイトか派遣か、探していくしかないだろう。また最初から派遣であった者は誰かが正社員に採用しないかぎり、生涯派遣である。つまり派遣や非正規という制度が公認された以上、会社から望まれない者は仕方がない。多くの人は「派遣は仕方がない」と考えたはずである。ならば、自分が正社員から降ろされるときも「仕方がない」とすべきだ。


現実問題として成長が止まった日本で、間接部門や管理部門が肥大化すべき理由はない。むしろ縮小しなければならない。つまり、40歳定年には合理性がある。ホワイトカラー全員を管理職にするような階段がもうないのだ。


厚労省のやることなすことに、経済合理性はない。

「経済成長を命令する」ことはできない。それが「できる」というなら経済を指導管理する「社会主義」も可能だということになってしまう。厚労省は工場派遣を許容した段階で解散しても良かった。


こうした中で、それにも関わらず「サラリーマンだけは守れ」というのは、身分制なのだ。そう言っているのは厚労省で、また与野党合意ということだ。民主党も自民党も同じだ。


年金受給開始までの生活が大変なのは、派遣・非正規も同じだろう。大昔は商店等を構える自営業が国民年金の対象の中心であったかもしれないが、現在はバッファ要員として渡り歩かざるを得ない人達も対象だ。当然、派遣・非正規が年老いてゆけば稼いでいくのは以前より厳しくなる。


ここで、65歳まで雇用義務化は「サラリーマンだけは守れ」ということに他ならず、経済原理を無視して「身分制」を作るという声なのだ。それは「自由の敵」であろう。


■現代の身分制は維持できるか

さて「良民」「賎民」という区分は古くは7~8世紀の律令制成立によって確定したが、その後の日本では「良民」の税負担が大きくなり律令制も瓦解していった。



日本の構造と世界の最適化 サラリーマン・大卒新卒の入社・生涯1会社という「大学から墓場まで」という日本型構造は維持できるだろうか?サラリーマンだけは生涯安泰、せいぜいボーナスが減るだけという構造は維持できるだろうか?「大きな政府」としての官僚・公職員も重しとして大きくのしかかっている。




戦後レジームとしてのサラリーマン社会


安倍元総理が「戦後レジーム」という言葉を頻発したが、それは安倍氏が念頭にしていた旧態依然とした日教組等だけではない。戦後政権政党であった自民党も「戦後レジーム」であり退場することになった。まだまだ残っている。最大の「戦後レジーム」の砦はサラリーマン社会であろう。


おそらく正社員3:非正規7というような構造でなければ、長期低迷の中で経済エンジンはまわせないだろう。パフォーマンスにより連動した経営でないと世界でも負けていく。

*ものづくり制御システムともいえるMESの横河電機は、「今こそ終身雇用だ!」と2000年に本を出したが、中高年に偏った年齢構成で余剰人員削減を迫られているという。投資家の評価は「ぬるま湯」。


そもそもサラリーマンという形態は普遍的なものでもない。戦前はサラリーマンより自営業の方が多かった。戦前は熟練職人の転職は多かった。


経済成長をあてにして作られた戦後サラリーマン制度は、企業年金その他でも限界に達している。これを無理に守ろうとすることは長期的な経済軸を狂わせるだろう。サラリーマン構造は、戦後経済が生み出した一過性のものである。成長がとまったならば、コース型終身雇用は高コストで産業の重しになる。
企業年金 積立不足額を一括計上へ(2012/05/10産経新聞)


日本の構造と世界の最適化-負担 実際、年寄り名誉社員の年功を守るために、若者の採用が激減している。企業が積極的投資を行わず「内部留保」に走っている理由は、劣悪な経済状況の中で年寄り社員に渡す退職金や年金のためでもある。こうした内向きな経済では、ますます衰退していくだろう。ただし国民の金融資産のストックも膨大なので、ゆっくりと時間をかけてこれを食いつぶしていくことになろう。


『罪と罰』富裕な老人を殺す貧しい若者


あなたは、世界恐慌が起ころうとも、無事生涯を切り抜け、介護を受けながら老後の最後を迎えることができるかもしれない。


日本の構造と世界の最適化
ドストエフスキー『罪と罰』
では、人生残り少ない富裕な老人を介護する「将来のない若者」が登場し、その若者が老人を殺してしまう。あなたの世話をしている人間は、充分な賃金をもらって働いているのであろうか?


「団塊の世代」最後のサラリーマンらしいサラリーマンかもしれない。東電は数兆円の損害賠償で困って国有化され、東日本大震災の復興には15兆円以上の国費が投じられる。だが「団塊の世代」全体に渡される退職金等の合算は50兆円以上ともされる。もちろん日本企業は「団塊の世代」の入社時にした約束を守りたい。社長だってサラリーマン社長なのだから、仲間を守りたい。「老人がもてる時代」はあと10数年は続きそうである。
団塊世代退職金で50兆円(退職金働く人の退職金マニュアル)

だが一方で若者の不運・公共事業減少による土建業の代替産業がない・ロスジェネがいずれは老人になったときどうするか。金の卵を産む鶏が将来に金を産まなくなることもありえる。長すぎる停滞は産業の足腰を弱らせ、国富を少しずつ減少させてゆく。


新卒入社でないと生涯チャンスがないという「労働市場の硬直性」も日本の重しになっていくだろう。


そして2030年から食料高騰と人口減少は顕著になる。その先は現状を維持する日本人すら足りなくなる。


「パンを買うとき、その小麦を白人が作ったか黒人が作ったかは関係ない」というのがミルトン・フリードマンの自由主義であった。


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厚労省には身分制を作っている罪を問わなければならない。白人には高い給料を支払い、黒人は安く使うという制度は作ってはならない。経済原理からの逸脱や歪みが大きいほど、経済の病の根は深くなっていくだろう。