「談合しなくてすみません!」
これは冗談ではなく、日本経済社会で数年に1回は起こっていることであろう。
公取委がベアリング・カルテルの捜索に入ったが、いずれも名だたる大手企業であった。そこでは、露見する前はカルテルに従わないことを謝罪する行為があった。とても面白い。違法に加担しないことを謝っているのである。これは今回だけでなく、過去にあったことで、経営陣レベルがカルテル破りを同業者に謝罪するらしい。
・ベアリングカルテル 日本精工など大手メーカー捜索(2012-04-20産経ニュース)
・カルテル破り、他社へ謝罪も…ベアリング4社(2012-04-22読売新聞)
カルテルはなぜ止まない、それも「平和主義」
カルテルや談合が起こるのは、そこに一定の合理性があるからだろう。
値崩れ防止 → 会社経営安定 → リストラ・賃金カットの回避
「競争」という世知辛い傷つけ合いをやめて、同業者との「平和主義」に入る。そうすれば、最終的に従業員の人生も守れそうである。
*日本人の競争は受験競争で終了しており、あとは社内の出世競争という閉じた世界であった
「談合しなくてすみません!」
この言葉には、同業者でシマを分け合うという「平和主義」の破壊、抜け駆けに走った「利欲」などに対する反省がある。
「あんた自分のとこだけ儲けたらそれでええんか?市場食い荒らして同業者つぶす気か?」(自由競争ならそれでいいが)
それゆえ、シェア多数を占有する強い者同士がケンカをせずに、平和的に協定を行う。
「お互いつぶしあいはよそう」→「競争せずに談合へ」
ところで、マイクロソフトがベンチャー企業から躍進していくとき、「同業者つぶし」だと嫌う人もいた。確かにマイクロソフトに蹴散らされてつぶれた企業もある。またいいものを持っているソフトウェア開発会社等の買収も繰り返した。
*そもそもMS-DOSもInternet Explorerも買収したものである
*国内シェア8割以上もあったNEC独自パソコンはIBM互換機の流入で消滅した
日本でマイクロソフトが生まれないのは、談合平和主義とゼネコン型業界秩序という構造も一因かもしれない。むろん日本経済の末端や底辺には純粋に価格競争があるが、日本の大御所たちには別の守られた世界があるようだ。
*しかし日本の中で威張っていても世界では通用しなくなっているから昨今の家電メーカの苦境となっている
自由主義を信じているか?
競争だとか、シェア奪い合いだとか、そういうすさんだこと言わないでよ・・、という感情も人間にはあるようだ。みんなで仲良く暮らそうよ・・と。
*しかし競争を排して国家指定会社が供給を担当することにすると、社会主義経済である
*結局、日本人の根っこには社会主義的なものがある気がする。軍国主義も経済面からみれば社会主義である。
では、談合等を犯罪とするのはやめて表彰してみたらどうだろう。
「談合するなんて素晴らしい!分かち合い精神だ!」と。
■『独占禁止法』の存在
なぜ違法になるかというと『独占禁止法』があり自由競争原理を侵すものを禁止しているからである。
経済政策の多くが①経産省などによる目標設定、②省庁が親心で足元の業界を指導育成する③零細保護という国家がおぶっている形態の中で、『独占禁止法』はひときわ異質な経済制度であり自由競争原理に根差している。
もちろんそれは「独占」だけを禁止しているのではなく、「交換経済」が円滑に流れ市場原理のメリットを引き出そうという主旨で多くのルールと罰則が設定されいる。
その中で価格カルテルは古典的かつ基本的な違法行為として禁止されている。完全な独占はむしろ不自然だが寡占は起こりやすい。
*アメリカでは、工業化の過程の中で株買い占めで独占企業をつくり、最後に独占価格で高い利益にあずかるというモデルがあった
*元来自由独立の気風の強いアメリカの中小零細を吸収合併して大企業形成にも貢献した
*しかしロックフェラーが鉄道を支配し競合の石油輸送料金を不当に吊り上げて石油業界のライバルを倒し利益と優位を確保する等の事態から、『反トラスト法』という形で独占禁止が法制化されている
問題は、日本人が「自由競争」を信じているか?ということだろう。
それとも「自由競争」よりも「共存的平和」秩序を重くみているか?ということだ。例えば、ヤクザ同士が潰しあいを避け、それぞれの縄張りを温存し、共存する。そこには「自由競争」はない。
自由競争 < 談合共存
価格形成と談合社会
価格というのは経済において重要な指標であろう。
そして素人的認識として、価格形成には次の常識がある。だが、これは談合があると機能しなくなる。
1)需要と供給で価格は決まるのさ → 業界大手が談合で決める
→ 供給は川上が支配できる
2)通貨量が価格水準に影響を及ぼす → 業界大手が談合で決める
市場経済の果実のうち、素晴らしいものは権力や支配なく、自由な参加者により価格形成されるというメカニズムであろうか。自由競争を憎む人がいるのは、市場経済の果実がうまく循環しておらず、自由競争が誤魔化されて実際は自由がないからであろう。
また、競争に勝とうする中で生み出される合理化やイノベーションは、多くの人々にリーゾナブルで進化した製品やサービスをもたらすことになる。
合理化やイノベーションと無縁なのは、奴隷制や封建制である。なにしろ、そこでは合理化する理由もないし、イノベーションも必要ではない。自由でない人間を支配し・物質や供給を支配できれば、もう合理化やイノベーションなどいらない。
*どうも日本ではホワイトカラーの世界にイノベーションがあるように思えない
*「ノウハウよりノウフーだよ」という言葉は、合理化もイノベーションも不要であることを示唆している
法律が建前と化すとき、「ばれたら仕方がない」「人殺しや窃盗ほど悪くない」「建前違反しただけ」「誰だチクリやがったのは」となってしまう。
談合自体は、自然的・有機的な人間社会が生み出すが、なぜそれがいけないのか?
「自由競争」に対する罪なのだということがもっと強く意識されてもいいと思う。