疑似科学的スピリチュアリズムと欧米権威 | 日本の構造と世界の最適化

日本の構造と世界の最適化

戦後システムの老朽化といまだ見えぬ「新しい世界」。
古いシステムが自ら自己改革することなどできず、
いっそ「破綻」させ「やむなく転換」させるのが現実的か。

疑似科学的スピリチュアリズムと欧米権威


擬似科学スピリチュアリズムについて「科学的」「権威的」「精神的」というキーワードがあり、前回(疑似科学的スピリチュアリズムは神なき世のカルトか )は科学について述べてみた。


日本の構造と世界の最適化 今回は「権威的」という部分を考えてみたい。前回扱った「科学的」というのが実は既に「権威的」でもある。






欧米という権威


擬似科学スピリチュアリズムは、日本由来というより欧米由来のものが存在感があるような気がする。


なぜ「欧米」なのか。それは「欧米」=舶来で権威だからであろう。それは明治維新以来であろう。「鹿鳴館」に象徴されるような西欧導入において、西欧ブランドは日本において権威となった。確かに当時は製造品の品質は西欧が上だったので「舶来品」=高級という実質もあったた。舶来品を愛でたのはまず財閥家であった。
*明治保守思想家はキリスト教文化流入を恐れていたが、肝心の上流階級は子女をキリスト教系学校にどんどんいれてしまう
*西洋美術を購入し美術展を推進したのも財閥である


現在でも、欧米文物のプロは「ブランド的権威」をふりかざすこともある。ある。日本はトレンドのように無批判欧米を受け入れるところがある。欧米の最新のものに飛びつくさまは凄まじい。イスラム原理主義者ならそれほど欧米文物に飛びつかないだろうに。明治維新のせいなのだ。。

また欧米では売れてないが、なぜか日本でだけ売れている欧米学者や物書きもいる。


外国人に日本の良さを褒められると嬉しくて小躍りしてしまう日本人がいるわけだ。まるで劣等感の塊だ。欧米学者が、ちょいと日本を高評価すると日本から講演や出筆以来が殺到する。その学者は自国ではあまり評価されず本もそう出していないのに、日本では次から次へと本を出すことになる。


良い商売なのだ。


「欧米学者=欧米権威」を手に入れることは、日本人にとっては国内で優位に立つ強力な手段なのかもしれない。


擬似科学スピリチュアリズムも、ネタが外国だったりする。外国のことはウラが取りにくい。未来学者とかわけのわからない欧米学者がやたら台頭したりもする。



シュタイナー信者


ところで、ルドルフ・シュタイナーというドイツの神秘思想家がいる。日本では「シュタイナー教育」として教育分野でもっぱら有名らしい。「人智学」という分野を作った。その思想には「カルマの法則」とかいろいろある。「オカルトは科学だ!」と言ったので批判の的のようだ。
日本人智学協会
シュタイナー教育の理念(上野縁子AllAbout)
*やらせ問題が起こったスピリチュアリスト江原啓之はシュタイナーにいれこんでいる


だが、シュタイナーは教育にとどまらない。医療・建築・農法まで口を出す。占星術を重視している「バイオダイナミック農法」とか。
*シュタイナー思想はドイツの「緑の党」結成に影響を与えたともされる。
*シュタイナーはナチスドイツの危険性を「ミュンヘン一揆」時点で予言したとされる。
バイオダイナミック農法協会


霊的体験のための修行とかでシュタイナーに登場してもらわなくても、明治政府が弾圧した「山伏」を復活させればよいではないか?
シュタイナーの科学と霊的世界の融合(Arizona銀の月)
*富士講など、歴史的にさまざまなスピリチュアルな民衆宗教が日本にあった


山伏なら信用できないし権威もないが、欧米のインテリが語る霊的世界と「科学っぽいもの」には日本人はぐうの音も出ないのだろうか?


      欧米のインテリの霊科学 > 日本古来の山伏


ドラッカー信者


ドラッカーに、戦後型日本組織の改革を志向する人が集まるのは、その出発点として無理もない。
*ファーストリテイリングの柳井社長ドラッカー経営なのだという。
*柳井社長は、ドラッカー経営というより何度でも失敗できる二代目社長があくなき挑戦をした結果のように思える。サラリーマンはプロジェクトを何回失敗できるか?起業家は何回失敗できるか(投資家の少ない金融発達不良の日本で)?二代目が野心的な挑戦者であった場合、これは強い。任天堂も同じく花札やカードからの脱却を図るべく他業種転換を試み何度も失敗したおかげがあるようだし。


だが、ドラッカーは経営学者というより思想家であり、ニーチェのようなアフォリズム理想や啓示が多いようだ。つまり科学というより「心の糧」になってしまっている気がする。ウォールストリート・ジャーナルは「三井商事の社員の公用語は英語だ」とかいう事実誤認がドラッカーに多いと指摘した。ドラッカーは「私はアフォリズムを語っているのだ」と反論したという。これはもはや学者の態度ではない。
*ドラッカーは世界中25の名誉博士号の称号を得ているが、創価学会会長池田大作の名誉博士号の取得数(創価大によれば全世界308)はそれより多いであろう。つまり似たもの同士のような気がする。
ドラッカーはなぜ経営学者ではないのか(人事組織の研究ブログ)
*現在経済学者では米民主党系のポール・クルーグマン(修正ケインズ)がいるが、名誉博士号を大量取得している話は聞かない。
*なぜ名誉博士号がそんなにたくさん必要なのか?学会は論文はすべてであろうが、世間は「権威」のはんこで売ることができるからか?


ドラッカー思想の原点となったのは大企業GMでの組織の研究によるものらしい。


戦後にGMのような世界大企業が登場する段階で、企業がひとつの理想コミュニティーとなる夢をみた。ドラッカー
思想には「もうマルクスの呪い(労働者と経営者のすさんだ闘争)から解放される」という安堵感がある。NPOやCSRともドラッカーは重なるところがある。
*産業革命期にイギリスの工場オーナーが理想コミュニティを思考したことがあった。労働者が健康でやる気があるほうが生産性もあがる。それゆえ積極的に病院や社宅を整備し、「理想の町」を工場オーナーがデザインする。

空想社会主義とよばれたロバートオーウェンもいる。理想コミュニティの実践的実験は若い頃のガンジーもそうであったろう

「幸福の科学」の大川隆法はマルクスや松下幸之助の霊言を引き出し、さらにドラッカーを称賛している。つまりこれがドラッカーだ。


だが経営者が株主のカネを利益以外のために使って自分らが社会公共を主導するというCSRの発想は、市場原理に反した番頭の独走になりかねない。株式会社は他人のカネで儲けるという原理構造だ。その他人のカネを儲けとは関係ないところに使ってしまうのは違背だ。
*経営者が株式市場から自らを保全するためのポイズン・ピルなどの手法がある
*現在米共和党大統領候補になる確率が高いロムニー氏は、そういう意味ではM&Aで社長を取り換え儲けた資本主義的人間としてドラッカーに逆行するだろう
*戦時中に新官僚と呼ばれた岸は『商法』改正により、企業経営者を資本の番頭ではなく、国家公共に貢献する存在として強制しようとしたが、日本財界の反発で見送られている


ドラッカーは要するに「資本主義」を修正したいが左翼に陥りたくない、そういう問題点をもった人には響くのだろう。会社が単なる優秀な金儲けマシーンであることを嫌がる人は多いかもしれない(給料が安く、儲けておらず、補助金や助成に頼るダメ企業が多いのが現実だろうが・・)。


修正資本主義については戦前戦後をまたいでさまざまにあった。
*あなたの街の信用金庫も「修正資本主義」であるが、バブル崩壊後に多くの人が資金を大手都銀に移している


ドラッカーのポスト冷戦観は、ドラッカーの中では最も陳腐だろう。「湾岸戦争」をみて「おお!これが21世紀の国際社会の連携だ!」としたが、「イラク戦争」によって様相はずいぶん変わってしまった。またフランシス・フクヤマのような「冷戦終焉後は先進国の退屈な平和・経済ゲーム」という楽観が支配しているが、現実には先進国の中流には瓦解というべき大きな不安・将来先送りの莫大なツケがのしかかっている。迫りくるグローバリズム、福祉国家の破産など大きな問題があり、それにはドラッカーはまったく役に立たなそうだ。だがドラッカーの言葉は、あなたの気分はよくしてくれるだろう。


大きな予言がかなりはずれている。経営マネジメントだけやっとけば良かったのに。


また生産管理・ISO、ITIL(ITマネジメント)、システム開発手法等で今日あなたを支配しているマネジメントの背後にドラッカーはいない。それは他の学者らのものだ。


ドラッカーはまるで未来学者のようであり、ナポレオン・ヒルのようでもある。



●アフォリズムが問題

名言集とか、アフォリズムは、いわばニーチェがその最高であるかもしれない。ニーチェには「わたしはダイナマイトだ」という言葉もある。


これにあなたが「おお!」と直観的にビビッときたら、それで信奉できる。さあ理屈や根拠やデータは捨てたまええ、ということか。一切疑問を持つな!ただ前に進め!必ずいける。おそらくAIJ浅川社長もビビッときてみんなの年金で危険な投資を続けたのだ。「必ず取り戻すから疑問を持つな!」と。


       おれの生涯年金をビビッときて投資しちまってくれ!

            そんな人はいないだろう


何が正しいかわからない、「客観」なんてあるのか?という疑問がある。


●実証主義・プラグマティズムとの差

神以外は何が絶対正しいのかはわからないという発想が欧米とりわけ英米にあり、実証主義・プラグマティズム実践が盛んだ。


それゆえ仮説をたて前後のデータを記録し、変更を重ねるという具体的行動になる。マネジメントの世界でもITと融合してデータ取得とその検証はますます盛んだ。「客観」の追及ゆえにGoogleは、他サイトのリンクをランキングに反映させる。ちょうど第三者評価を重んじる態度だ。客観性を担保しようとする。こうした実証主義・プラグマティズムの根底にあるものは「人間という不完全な存在が神の代理人にはなれない」というプロテスタント主義にも通じるものがある。

*相場師の長年の直観に委ねられていた投機も、システムトレードというように仮説・目標設定・検証という実証主義に沿ったものに移行している


      実証主義 ← → 神がかり的直観


だが、何が正しいかわからないとき、過去の威光の残照である「○○のDNA!」にすがって世襲化したり、「ビビッときた、直感だ、おれ信じる!」という形で決めてしまうのは、社会としては不合理かつ危険だ。


アフォリズムは科学とは無縁である。



トフラーも人気だった


トフラーの『第三の波』も日本でよく読まれたようだ。


書いたアルビン・トフラーは未来学者のような訳のわからない学者だった。トフラーはIBMがらみの人間だったせいか「技術がつくる未来!」的な技術偏重の姿勢だった。「脱工業化社会!」と言っても根底にあるのは人口や石油等資源・グローバル化、むしろもろに物質的な循環やこれを媒介するマネーのシステムの不調が世界を揺るがしている。ハイテク企業が未来技術によるユートピアを描いても、それは半分は広報なのではないか?
*ブリティッシュ・テレコムの研究所にはインターネットのハイパーテキストっぽい技術研究がもうあったのである。標準にならなかったが。。
*商用ではないが、「デスクトップ」の概念はずいぶん前にゼロックスの研究所にあった。
*だから、「すげえ20年前にインターネットのこと予言してんだよ」と言っても、大企業研究所の人間だったらそれは予言できないわけではない。


富士通や日立のような技術企業も20~30年先の研究をやる研究所をもっている。そこから未来学を語る人もいるはずだが、やはり欧米人でないから有名になれないのだろうか?

*IBMはモノづくりでもモノを売る会社でもなく、IT戦略のコンサルを売る会社になった。つまり「脱工業化」している


また「脱工業化社会だ!」と言いつつ巷では谷垣総裁のような人物も「ものづくりだ!」と言っている。これは矛盾しているのだ。産業流出すれば、「日本は脱工業化した!なんにもなくなった」といえるかもしれないが。。


●社会進化論にとらわれた我々

こうした動向は、我々が「社会進化論」というものに捉われているところからくるのかもしれない。また人間は育ち未来に向かって生きていくゆえに、進化・成長を欲する。しかしそこに盲点があるような気もする。


「技術でこんな素晴らしい世界が」
オリンパスは素晴らしいハイテク技術を持っているが、損失隠し事件を起こした。人間の問題は、技術では解決で
きなそうである。

*オリンパスは社内の不正通報者を「チクリ」とした冷遇したすばらしいハイテク企業である

*オリンパスは総会屋らしき株主も動員して外国人社長返り咲きを阻止したすばらしいハイテク企業である


技術大国日本では生活保護が増えており、つまり優秀なあなたの税金を重くしていく必要がありそうだ。残念!術は道具にすぎず、政治的問題はむしろ不変である。またGDPと幸福も相関性は低いが、技術と幸福も相関性は低い。
*企業は取引先と24時間チャット・コラボレーションを迫る
*あなたは休日も上司から携帯やメールで仕事の指令を受けるが、休日勤務とはみなされない。良かったなあ、技術の進歩のおかげだゾ
*チャップリンの『モダン・タイムズ』は古い作品だが、コールセンターや物流倉庫では小刻みな管理(チラシ封入1回○円・15分単位計測)が行われており、その流れ作業は全く同じである。良かったなあ、お前ホワイトカラー管理職候補で。


●われわれは何世代にもわたり何度も繰り返す

われわれは円環のように繰り返すのかもしれない。


日本の構造と世界の最適化-循環 「社会進化論」
ではない。まずは棍棒で殴り合い、青銅器で切りあい、鉄剣で切りあい、火縄銃をうちあい、ライフルをうちあい、ミサイル
をお互いに装備する。社会は国家が暴力手段を独占し、私刑や私的報復を禁止することで現在のような穏やかなものにはなったが、根っこは同じことを繰り返すのである。今後もである。円環だ。技術がどんなに進歩しても。


「技術でこんな素晴らしい世界が」ではない。それはハイテク会社の広報だ。マクドナルドが食育を語るようなものだ。


また、社会問題の基軸は、そう変わっていない。税や年金などという問題は古代から存在する。目立たぬよう、強い勢力に組みして・・召使は純朴な山育ちを使えとかいう処世術シュメール文明の碑文にもある。持てるものは既得権としてこれを固定したいし、持たざる者はキーキーとわめく。これも歴史的に変わらない。食糧危機になったりすれば暴力が吹き荒れる。
*米価が10倍になったとき大阪町人は「打ちこわし」に走った。
*西成暴動のようなものが底辺で爆発する場合もある。それはサロンでルソーを語るようなオシャレなものではない。


軍事・税・格差そういったものから逃げられないのが現実ではないか。高度経済成長はそういった問題を忘れさせてくれるものだった。低成長または低迷・そして二番底の懸念があれば、縮んでいく社会の中で奪いあい殴りあうことになる。


ただ個としての人間はそういったザラリとした世界には耐えられない。


それゆえ、もっともらしい「心の糧」として疑似科学的スピリチュアリズムが商業的に用意されているというわけだ。