芥川の時代と羅生門 | 日本の構造と世界の最適化

日本の構造と世界の最適化

戦後システムの老朽化といまだ見えぬ「新しい世界」。
古いシステムが自ら自己改革することなどできず、
いっそ「破綻」させ「やむなく転換」させるのが現実的か。


崩れ行く王朝と不気味な力


芥川龍之介は、ごちゃごちゃ説明ではなく、写実的な描写だけで世界を表現してきたように思う。だが、それは一理ある。われわれは「認識」したものしか本来は「認識」できない。感情や観念より、常に「認識」のほうが早いかもしれない。


また芥川は平安期などの古典を題材に選んだが、実は内容は古典ではなく、「個」の内なる葛藤という極めて近代日本知識人的なテーマが隠されていた。


『羅生門』は、崩れかけた平安の羅生門の描写からはじまる。

それは平安京の玄関であり、そこから遠く内裏まで、今の下京から上京までまっすぐ公道が延びている。華美壮麗なる平安の都の象徴かもしれない。それも今は昔

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そういえば『NHK大河:風と雲と虹と』にも衰退する都の様相が描かれていた。主人公、平将門が都でしがない警護の職に就いていた。貴族達はコップの中の権力闘争・出世競争にあけくれ、賄賂や不正が横行し、華やかな都も夜になると強盗団が徘徊する世界になった。人々は、出世できない官人から庶民にいたるまで、神となった菅原道真に祈った。それは「神と悪党」の時代の幕開けでもあった。

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羅生門に暇を出された貴族の奉公人があらわれる。現代的に言えばリストラされたのだ。


素晴らしかった過去の威風・そして何もかもうまくいかなくなった現在。

これは鮮やかなコントラストだ。


芥川は描写だけをもってこの男の精神の劇的な変遷を描いてみせた。



①臆病な負け犬

元奉公人は身寄りも行き先もなく、行き倒れの死体が折り重なった羅生門に来たのだが、雨が降り夜になる。今夜は死体の傍に泊まるしかない。腐臭死体の匂いも耐え難かったろう。消えてしまいそう心細さ・みじめさが伝わってくる。「これからどうしたらいい?」


②正義漢

ふと気がついたら死体が動いた。「ぎゃー」というところだが、それは死体みたいな生きた老婆であった。老婆を観察していると、死体の髪の毛を抜いている。すぐに合点がいった。髪の毛は売れるのだ。


男の中に「正義の炎」が燃え出した。


先の「臆病な負け犬」からガラっと変わった。

「ここで死んでるのは、かわいそうな人達だったのに!金儲けの足しにするとは。なんてババアだ」


男は老婆をつかんで詰問した。「おいキサマ!やめろ!」


③悪党

老婆は弁明した。

「わたしだって生きてかにゃならん。ここで死んでいる人も私を生かすことができるのなら(髪の毛を抜かれても)きっと喜んでくれるよ」


男の心の中で何かが壊れ、変わった。


老婆の身ぐるみを剥がし「そう、俺も生きてかにゃならんのでな!」と。


男は力強い足取りで、闇の中に走り去っていった。闇の中に


そこには当初の「臆病な負け犬」の姿はなかった。

男は「一握りの米」のために人も殺し、強盗もいとわないたくましい男に生まれ変わったのだ。


しかし一人ひとりこのように変身していくことは、一元的国家の解体と衰退を意味する。


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芥川は「芸術至上主義」を唱え、芸術のためには自己の人生も周囲も犠牲にしてかまわないという論をはり『地獄変』も書いている。地獄で焼け死ぬ人を描くために「実物が見てスケッチしたい」といった絵師。天子はこれに激怒し、その絵師の娘を焼き殺した。しかし、絵師は焼け死ぬ娘を前に筆をとる。それは常人には異様な光景であった。

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芥川への嫉妬


戦前に『文藝春秋』という雑誌を創刊し富を築いた菊池寛は『無名作家の日記』という作品を書いている。

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菊池は芥川と同じく文芸作家を志し、そして挫折した。


『無名作家の日記』という作品は芥川をねたみ嫉妬する菊池自身を書いている。それはまるでサリエリ(凡人または秀才)とモーツァルト(天才)の関係である。


主人公はA(芥川)の作品や同人誌が出るたび、けなそうと血眼になるのだが、文芸を志す者としてA(芥川)の作品の素晴らしさに「ぐうの音」も出ない。


権力システムと日本社会-芥川と菊池寛 A(芥川)から同人誌に誘われると主人公は躍り上がってしまう。しかし「協議した結果、君の作品は
われわれの同人誌に掲載する水準でない」という冷たい返答が返ってきた。「あんな奴の誘いに躍り上がってしまった!」と情けなく恥ずかしくなる主人公。凡人の劣等感がありありと綴られている。


何も理解できず評価できないなら幸せだ。


しかしサリエリがモーツァルトの才能やその曲の素晴らしさに涙を流したように、自分の能力のなさ嫌いな奴の才能を理解する能力だけはあるのだ。神はなんと残酷な宿命を課したことだろう。一生ねたんで暮らせというのか?


菊池は結局、作家をあきらめることになる。

*写真中央が芥川・左が菊池


皮肉なことに文化事業屋として成功しカネに困らない人間になった。


そして菊池は「芥川賞」「直木賞」を創設した。一流大学に行きながら官僚にもならず市販小説に身を投じた者達。サークルを作り同人誌を出して商業的にはあやしい世界を泳いでいた者達。菊池は芥川を「ピンセットで人生を操るがごとき」と解説した。


            Ars longa vita brevis

            芸術は長し、人生は短し


芥川の死


だが芥川は最終的に「ぼんやりとした不安」という言葉と、走る痩せた不気味な河童の絵を残して自殺した。


権力システムと日本社会-芥川の描いた河童


それは近代国家としての礎が整い西欧列強の仲間入りを果たした大正時代が終わり、昭和の到来(まず不良債権化した震災手形が「昭和金融恐慌」という形で破裂する/その後に世界大恐慌)の直前であった。芥川の不安はなんだかその先にある「制御不能な時代」を暗示していた。


それはバブル崩壊からおかしくなって自信喪失し、「失われた10年」を過ごしサブプライム金融危機によってますます支離滅裂になっていくこの列島の様相に似てなくもない。