ベンチャー企業の人材難 | 日本の構造と世界の最適化

日本の構造と世界の最適化

戦後システムの老朽化といまだ見えぬ「新しい世界」。
古いシステムが自ら自己改革することなどできず、
いっそ「破綻」させ「やむなく転換」させるのが現実的か。

ベンチャー企業は、カリスマ経営者が脚光を浴びるのが常で、起業家の卵は講演などへ出かけていってそのオーラを感じようとする。なかには実績も乏しければ社会の注目もなく、創業したとまでいえない経営者までもが本業そっちのけで起業家の卵から講演料をとっている。


たしかにベンチャー企業の成功は、不屈の精神をもちアイデアと行動力に富む起業家(創業者)にかかっている。単に会社を設立してもベンチャー企業とはいわない。新しいビジネスを提起する起業家個人の才覚や人間力がすべてのはじまりといえるのだろう。


しかし、妥当なビジネスプランが書けて融資を受けられれば成功だろうか?

ベンチャー企業の人材

いがい、友人を経営パートナーとして巻き込んで起業しようとする。こうした会社は、人間関係が調整できなくなると分裂または崩壊する危険がある。能力でなく、単なる信頼で結びついた場合、能力のない友人が役員(社長のイエスマン)として居座ることは会社の士気を下げる(社員がいれば尚更)。だが一方で、能力の高い友人の場合は、処遇が難しく経営方針などでもめる可能性もある。


さらに、起業した会社が、小規模プロジェクト会社を超えて成長しようとするときに、社員というものに頼らなければならない。このとき、若き社長にとって経営者は友人(心の友・身内)であるが、社員は他人(契約関係)という意識になることもある。


そして、どんな人物を社員として採用しよう?


①人物本位
信念で事業を育ててきたベンチャー経営者は、人物の魅力にこだわる。ときに能力を度外視して魅力的な人間に惚れこむ。ただ、会社が必要としている役割をこなすには能力がいる。たとえば裏方に最適の人間は、必ずしも雄弁でプレゼン能力が高いわけではない。会社が必要としているのがプレゼン能力でない場合、プレゼンのうまさというのは絶対的な採用基準にはならない筈だが、プレゼンのうまい人間のほうが魅力的に映る。


またベンチャー企業は急成長を望むものだし、リスクマネーが入っているときはそういう方向性は強化されるだろう。それなら、人物を育成している暇はないし即戦力がほしい。ほしいのが実績をあげる能力なら、能力本位であるべきだ。


人間的魅力 ← → 即戦力


ベンチャー経営者には人を育てるのが好きな人もいる。新卒を好み「お前という真っ白いキャンバスに俺の絵を描くのだ」という。だが、「板前5年で一人前」のような時間をかけて育てるつもりはない。長くても3ヶ月で育て終わりたい。たいがい、ベンチャー経営者は自ら採用に取り組み、魅力的な人物に惚れこんで採用するが、3ヶ月後に失望する。そこで、自らが能力を度外視して能力を軽くみたことが仇になる。


だが「俺は見ただけで人間がわかる」などと言っている経営者は、なぜ年中求人しつづける羽目になっているのか自問自答しないのだろう?「働き口をくれてやろうというのにバカばかり」という悪態をついている。


②能力本位
では、転職者など必要とする能力がある即戦力を採用していけば済むか?


そういかないところが不幸だ。即戦力となれる人材は、もっと大きな会社などで仕事をばりばりこなしていた場合、すでに仕事の仕方が身についている分、他の会社や業界の常識も染み付いている。そこで、独創的な起業家と摩擦がおこる。嫌われる。起業家のほうは仕事の仕方を手作りで作ってきている場合も多い。感情が仇となって採用すべき即戦力を嫌う。


また転職者はあきらかに会社に対する忠誠心は弱い(だから転職しようとしている)。前の会社が嫌だったから、というのが根底にある人物の場合、ベンチャー経営者にはまったく魅力のない人間に映るだろう。より高給のためにステップアップとして転職するような環境は日本では乏しいし。そうであれば過去のある転職者を雇うのには大きな抵抗感がある。


こういった感情をもたらすのは、起業家は自らの小宇宙・小帝国・小国家を築きたいので、異なる文化の流入をひどく嫌う場合もあるのだ。会社とは自分の生命で一心同体か子供のようなものである。純粋に投機家のように自分の事業を見ている起業家は少ないだろう。むしろ浪花節だ。


いずれにしても小さい会社は人間関係が乱れるとダメージを受けやすく、人材採用の失敗は、退職者を生む。そして何度も不足を補う人材採用を行なわねばならず、同じ間違いを繰り返す。社員が育たない、または社員が定着しない会社は、常にフレッシュな新人だが中堅がおらず、経営者が走りまわって事業をまわし続けなければならない。そうすると、事業の拡大はやはり限られてくる。人材が成長のボトルネックになる。会社組織が「ねずみ講」のように層が分厚くなっていくことが必要なのに、自分が天才であることを信じている社長と何もできない新人がしっちゃかめっちゃかやっている混乱した会社になる。仮にビジネスプランが妥当で融資が受けられても、人材の課題によって大きくなれないままということもある。

*年中求人しているわりには社員数が増えていない会社には気をつけよう


人材派遣などは、登録労働力を活用する事業なので社員を大量に抱えなくて済む。それでも、人材は重要だ。急成長したグッドウィルは社員の入れ替わりが激しいために、事業所に一人派遣元責任者を固定することが困難で、ごまかしてしのいでいた。また派遣会社ではわずか入社後数ヶ月で支店長として事業所を担当することもあり、コンプライアンスなどの社員教育も当然ずさんな放置状態になりうる。


「勝つためには違法は仕方がない」と言っている会社はともかく、社員を育成できずに売上至上主義でどつきまわすと、誰かが苦し紛れに違法を行うし隠蔽もする。そういう違法は成長企業に大きな痛手を与えうる。業績低迷で倒産するならともかく、違法で客が逃げて倒産するのはビジネス以前の問題だ。


情緒を捨てた選択が可能か

なぜ新人(新卒・未経験者)は3ヶ月で一人前の即戦力に育たないのか?


こうした疑問を抱いている経営者にかぎって「人間力」を重視したりする。ところが、3ヶ月で即成栽培できないのは人間であるからこそである。人材育成は農業を念頭にするとわかりやすい。


農業で開拓地(起業会社)を土壌改良(社内体制整備)して好きな作物が育成可能(優秀な社員)になるまで3年ではすまない。スパルタ教育でも褒めて育てるにしろ、3ヶ月では育たない。たとえるなら、ベンチャー経営者は苗を植えてから3ヶ月で米が収穫できないから怒っているのだ。
*農業という第一次産業が儲からないのはこうした気の長すぎる時間軸のせいでもある


ファースト・フードは徹底的なマニュアル化で一人前のレベルを下げアルバイトが現場を切り盛りできるようにしている。そこでは人間的魅力のひとつである差異を作ることはできない。あなたはマックの店員の人間力にほれこんでハンバーガーを買っているのか?


あなたがベンチャー企業の社長で、3ヶ月で新人を育成する場合に一人前のレベルを下げられるだろうか?(→それはできない。急成長するためには、大手の社員よりも優秀でないといけない)


支店ももたず、5人程度で完結するプロジェクト的事業の会社で組織拡大もいらないならば、こうした正社員の問題について悩む必要はない。


ただ、多くの起業家は、「成功」とは多くの店舗・各地の支店展開など、事業がかなり拡大することをイメージしている。その場合、最低3年間給料だけとって何もできない新人を仕事の時間を削って育て続けるか、即戦力が稼動しやすい体制にするか、情緒を捨てて選択(究極の選択)しなくてはならない。


ベンチャー経営者で資本主義を否定するような人間などいないと思うが、人材に関してはベンチャー経営者は情緒にひきずられ「反資本主義的行動」をとっているともいえる。彼らはカネのために合理的になることができない。儲けるために嫌いなことすら選択するといったことができない。なぜなら、多くは好きではじめたからだ。


■なぜ社員は毎日会社にくるのか?
ベンチャー経営者は、社員にも自営業者のような経営者としての厳しさを共有させたがる。サラリーマンという言葉自体が大嫌いだ。しかし、本当にそういう人材なら「雇われ人」にはならない筈だ。


「仕事を与え、給料まで支払ってやっている」という経営者の想いは伝わらない。なぜなら社員はなによりも生活のために「雇われ人」になっているからだ。生活に困らない人間が、あなたの会社に入社したいというなら、よほど得られるものや学びたい気持ちがあるのだろう。カネがなく、起業家になれない人間が採用面接にやってくるのである。


だが、たいていのベンチャー経営者は、社員が本質的に「生活のために会社に従い、言うことを聞く」という事実は受け入れられないだろう。


しかし、大阪のような街に他地域からたくさんの人が移り住んでいるのは風光明媚だからではない。そしてサービス業従事者が多いのは人にサービスをするのが好きな人が多いからではない。サービス業の求人が多いためだ。それは生活のためだからだ。


こうした社員の本質に直面できないベンチャー経営者は、それゆえ、なおさら社員教育にはこだわりがある。しかしそれはやはり上述の即成栽培であり、精神論教育に偏るのだ。だが、これだけ職探しが厳しい中でも、辞める人が後を絶たない会社もある。社員を社長の分身に育て上げるという困難な作業より、社長が社員の力量にあわせて使うほうが合理的なのだが。。


人材に関する歴史の教訓


日米戦争の敗因として「物量の差」という負け惜しみを聞くことがある。日本が生み出した優秀なゼロ戦は日本人の誇りでもある。しかし、ゼロ戦は無理な設計によってパイロットの腕を必要とした。軽量化のための防弾の貧弱な機体ゆえに、多くの優秀なパイロットが失われた。当時の軍部は、ゼロ戦を一機生産するより、パイロット(ゼロ戦の性能を発揮できる人材)一人を育成する時間のほうがかかることを認識していなかったかのごとくだ。敗戦が濃厚になった頃には、あの運動性能を発揮できるパイロットは少なくなっていた。


ところで城というものが城主を守ったことは聞いたことがない。火災にはひどく弱いし、兵糧攻めにも弱い。援軍が来るまでの時間稼ぎの場所が城であろう。外交戦略で負けた場合には、孤立無援の城主が城に閉じこもっても生存を維持できない。武田信玄は「人は城」という言葉を残した。殿様が落ちぶれれば家来も零落する。それゆえ家来は自分の利益のためにも殿様を守るのであろう。それゆえ物理的な城よりも人材をより重視した言葉なのだ。


徳川家康は主君と共に逆境を耐え抜いてきた三河武士という強固な家臣団を擁していたが、織田信長は譜代の家臣を失態もないのに追放したりした(それは織田家の強勢が信長一代で終わる遠因といえよう)。豊臣秀吉は子飼いの家臣団がいない不利を認識して、育成しようとしたが、やはり分厚い家臣団を形成するには時間が足りなかった。


人材について、人材ビジネスの発達によって安易な考え方が普及してしまった。社内のさまざまなものが、簡単に外部からアウトソーシングできるという考え方である。e-learningなど一見注目を浴びる新しい教育ツールは、IT関係会社の売上のための商品にすぎない。また研修屋だって儲けたい。こうした彼らの口上を素直に丸呑みしてどうするのだ?いずれにせよ、それまで輩後輩という年功序列世界で気の長いOJTで育ててきた会社もまったく変質していかざるを得ない。組織内文化もかなり変わるだろう。相変わらずOJTによる自然育成に頼っている会社は、社員の育ちが悪いことに驚くだろう。「同じ釜の飯を食う仲間」が消滅すれば、昔ながらの育て方の延長では当然うまくいかない。


また、派遣制度が産業空洞化を防ぐための人件費低減システムであったように、人材ビジネスは人材という経済基盤などには関心がない。やはり産業空洞化は避けられず、資本流出も起こり、皆、新興国への投資に走るだろう。日本経済もまた、耕作放棄地のようにその基盤は放置され痛んで荒廃していくのだろう。


ベンチャー時代の終わり


そもそも、ベンチャー企業は産業のパラダイムを変革してイノベーションをもたらすからこそベンチャーなのだが、多くのただの新零細企業がベンチャーの名を悪用しこれを貶めてしまった。


また、日本でもっとも成功したベンチャーはNTTドコモやソニー・プレステなどの社内ベンチャーともいわれており、既存企業資本の強さが改めて認識できただけだった。変革が起こり、既存企業から新興企業に資本移動が起こったとも言えないだろう。むしろITバブルという空虚なマネーが流入しただけだ。日本のこれまでの政策の中に、新興企業が既存企業を倒壊させるといったシナリオも見あたらない。ITゼネコンと呼ばれるようにITベンチャーも既存大手IT企業の下請けで満足する。ベンチャーというのは次第に古いものを壊す希望から、日本国内に限定した新たな儲け方(ビジネスモデル)といったものに変遷し、さらに小粒になってきている。うまくやりやがった、というビジネスならベンチャーという言葉以前から存在していたというのに。


やがて10年も20年も前に起業されたベンチャーを名乗る不採算企業が補助金漬けになって居座る。資本移動が起こらず、逆に生活保護に頼るように政府の補助に頼って税金を食らうベンチャーばかりになる。


もうベンチャーなどという言葉を使うのはよそう。


優秀な会社とダメな会社があるだけなのだ。そして人材の弱い会社は、これからもコンプライアンスなどで問題を発生させていくだろう。