被害妄想とブラックマヨネーズ | 日本の構造と世界の最適化

日本の構造と世界の最適化

戦後システムの老朽化といまだ見えぬ「新しい世界」。
古いシステムが自ら自己改革することなどできず、
いっそ「破綻」させ「やむなく転換」させるのが現実的か。

最近の若い人にはノイローゼ気味の人が多いといわれる。また、男の子が軟弱になったともいわれる。


ブラックマヨネーズはこうした世相をえぐるようなところがあって好きだ。


一言でいうと吉田のチキン・ハートぶりや被害妄想がおもしろい。

一見、ぶっきらぼうで先輩格でもおかしくない年齢の吉田は、ぶつぶつ顔でもへこたれない強い男にみえる。その風貌からはナイーブで繊細な男には見えない。


漫才ではこの吉田がまずは懸念を示し、だんだん不安をエスカレートさせながら被害妄想ぶりを見せつけていく。吉田のもつ精密な洞察力やシュミレーション能力なるものは、もはや彼を苦しめるのにしか役に立たない能力である。


漫才には、世間の姿のディフォルメを示しながら、ストンと落として別の世界に移行させるようなところがあると思っている。


ブラックマヨネーズが見せているのも世間のディフォルメであるが、それはどうしようもない内面だ。僕も結構に被害妄想的なので、強い共感をおぼえてしまう。それでいて自分の被害妄想のありさまを笑えるというか。


ある意味でネガティブ思考という世間で封印されている部分だ。


われわれの社会生活ではポジティブ思考が奨励され、ネガティブ思考はタブー視されている。われわれは常に笑顔でポジティブに前向きに生きなければならない。

「ポジティブになろう」本は書店に山積みされている。

たしかに、企業において、「何を間違えばこのプロジェクトは失敗するか」なんて後ろ向きなことは許されない。マイナス思考は生産や売上を減退させるものとされるだろう。ただ、逆説的にいえば、何度も不祥事を起こす企業は、ネガティブなシュミレーションが嫌なので危険予測が下手なのだろう。


ブラックマヨネーズはこうした社会の封印を解く珍しい芸人だと思った。

吉田の不安に最初は相談に乗ろうとする小杉。吉田の被害妄想がエスカレートしていくに従って、小杉は怒りをヒートアップさせる。


そう、本人にとっては恐怖というくらい深刻なことだが、それは客観的には理解しづらく、どうでもよくイライラすることなのだ。この対比がまた絶妙だ。


さらに吉田はチキンハートなのに傲慢という、どうしようもない性根を見せつける。自信ないくせにプライド高いとか、この屈折もただの創作というより、ほんとリアルなのだ。そんな奴多いし、ああ、俺もその一人だ。


不安という恐れは、実は欲望の裏返しで、欲しいものがたくさんあるからこそ生まれるのだろう。獲得もしていないものを失うことを恐れる。幸福になりたいと思えば思うほど、恐れの種は多くなる。チキンハートだから欲が少なく謙虚なのではない。不安や恐れが多い人は、欲深で傲慢なのだ。


そして最初の心構えが被害妄想だから、どんなシュミレーションによる予測もマイナスの結果しかもたらさない。だから小杉の怒りは、他人というものを代弁している。それは小杉には理解できない吉田個人の内心の地獄にすぎず、小杉は、ただポジティブに合理的に目標達成あるのみという社会と同じだからだ。


小杉と吉田は掛け合いながら次第に高速化してヒートアップし、最後は爆発して終わる。小杉には吉田の被害妄想を止めることはできない。


結局、自分という地獄からは逃れられない。


ブラックマヨネーズは爆発してしまうが、解決法は2つくらいしかない。不安や被害妄想などムダなものしか作り出さない自分を壊すこと。または恐れる不安をさっさと実現させること。そうすればムダにエネルギーを消費することから逃れられる。


ちょうど、フラれるのを恐れて逃げまくるよりも、フラれてしまえ、ということである。


不安や被害妄想はいくらでもある。人間に欲望があるかぎり。


ただ、小杉が「被害妄想やんけ!」と言葉で片付ければこのリアルな面白さは消えてしまうだろう。


今後もブラックマヨネーズの被害妄想シリーズが見たい。