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Yellow Revolution.






スタバのバナナフラペチーノが、

おいしかったので、バナナをイメージして、

イエローのチュリップを、

撮ってみた。



ビートルズの、イエローサブマリンの、ジャケットも好きだなぁ。

オブラディ、オブラダ♪

イエローというと、スーパ戦隊ものでは、三枚目なのだけれど、

だれが、決めたのだろう?

そして、イエローは、卵黄の色である。

目玉焼きの真ん中は、世界の中心で、あるように、

イエローが、ある。

そう、絶対的に白身は、脇役で、

そして、絶対君主のように、太陽のように。

自己中心なイエローだなぁと、思う。

白身だけでは、悲しいかな、成り立たない。

でも、黄身だけじゃ、だめなんだよね、

「黄身にいっている、君だけじゃだめなんだ、白身も必要なんだ」

なんか、格言みたいだ、まぁ、いいや。



メロンイエローは、ぜんぜん、

イエローじゃなかった。

目玉焼きの話が、でましたが、

また、卵にもどると、

ぼくは、オムレツ、オムライスのイエローがすきです。

ほんわかしてて、なにか、包み込むような、感じがある。

そこに、ケチャップが、あると、最高です。

卵のシンプルな味が、楽しめて、

あたたかい気持ちになる。

時に人は、オムレツのような、あたたかさを、

求めているのかもしれない。

オムレツ用のフライパンというのが、あるらしくて、

形として、はいる、ぼくは、

なんだか、オムレツに挑戦したくなってきました。

シンプルだけど、深そうです。

そうだなぁ、レパートリーに、

おいしいオムレツとおいしいコーヒーが煎れられれば、

なんだか、日曜日の午後はしあわせな気がする。

オブラディ、オブラダ。



実は、水泳の事を書こうと、前置きに写真の説明を、

入れようとしたら、即興的に、

黄色についてかいちまったもんだから、まぁ、いいか。

オブラディ、オブラダ、だよ、人生は。

私は、こういう人間になりたい!!より、

オムレツをふわふわ、トロトロに、うまくできたら、

なんて、なんか、いいよね♪

呪術的な側面としての、髪をきる孝。

・美容院というのは、ものがたりの行き交う場なのかなとも、思います。

あるいは、あらゆる個人的な、あるいは、世間話が、

行き交う場なのかなとも、思う。

そこでは、なかでは、

中には、世の中で、かぶっている仮面を、とりはずして、

素の自分を、ある意味、だす人がいる。

まるで、占い師に、話すように、

今日の天気のことや、さいきんの出来事や、

さしさわりないことから、お悩み相談まで、

髪を切る過程で、髪を切るごとに、

紡ぎだす。



・一ヶ月に一回、あるいは、何ヶ月に一回、

定期的に、特定の美容師に、

ひとは、最近のお話や、あるいは、きょうの天気や、スポーツの話をする。

まるで、それは、ひとつの呪術的な儀式のような気もする。

聴く人は、また、一流の聴き手であることも条件なのかもしれない。

髪を切る過程を仕事にすることは、また、

そんな要素から、にんげんの進化とともに、

あらわれた、職種なのかもしれない。

お酒のバーテンダーも、そうかもしれないし、

そういう、中立的な場所が、

必要なのかもしれない、

常識をふまえながら、はなす、という行為を楽しみ、

聴いてもらう、という、

ニュートラルな、関係。




・もちろん、なにも、はなしたくないという人も、

もちろん、いるので、

それもわかるし、また、面白いところだなぁ。

けっこう、美容師さんは、いろんな人生を聴いている。

昔でいうと、もっと、儀式的な職業、じゃないか?

そういう場所が、失われてるのかなぁ、

と、思ったんだけれど、

飛躍しすぎたので、この辺で。

遠い太鼓。

村上春樹さんの、「遠い太鼓」をよんでたのだけれど、

ぼくの、いまの心境に似ていて、共感してしまった。

歳を、とる、40に近づくに連れて、

ぼくは、なんだか、この国を、

他の国から、眺めたい、

なんだか、この息苦しさから、逃げ出したい、

そんなことを、思うようになった。



思う所が、あって、

ここのところ、大事なものを、

失っている。

それは、ある意味しかたないことも、あった。

ただ、お金がらみや、仕事がらみや、

いろんなことで、周りとの距離が、

みょうに、おかしくなったり、離れたり、

そんなことが、多くなっている気がする。

それは、ぼくにとって、大切な物だったから、当然つらかった。

たぶん、ぼくは、家族を失ったら、この国にいる意味を、失う気がする。




ぼくには、まだ、やるべきことがあるのは、認識していて、

薬剤師としての、じぶんや、あるいは、親の介護や、家族を守る事。

主に、医療に関する、もっと、勉強したいということが多い。

でも、ちょっと、まとまったお金が蓄えられて、いろんな問題を解決したら、

海外で、勉強したいな、と思う気持ちが、強くなった。

いまのところ、結婚より興味がある。



勉強したいこと、は漠然としていて、

まだ、あまりにも、チープで形をなしていません。

やることも、やらなあかんことも、成長したいことも、多い。

けれど、1つの過程として、

ストレンジャーとしての、じぶんも、認識してみたい気がする。

そんなことを、考えていた。

ラフ。

あだち充の、「ラフ」を、
よんで、後が気になり、
中古で、全巻大人買いしてしまった。
面白い!!

水泳の物語というのが、
タイムリー、
青春時代(ぼくの、青春はそんな甘酸っぱいものではないけれど。)
を、思い起こさせる。
できるかぎり、泳ぐ時間を作りたい。
こころと、肉体の、鍛錬、というより、ケア。
そして、なにより楽しいからね。

サクラだより、が、やってきています。
先週は、日曜出勤だったので、
ほんと、お休みが嬉しいです。
なにかと、ノンビリします。

少しずつ、少しずつ、あたたかい、くうきを。
与えたり、もらったり。
そんな、感触が、大切だなぁ。

顔の見えない悪夢。

じぶんは、基本的に、

これって、なんだかわからないけれど、嫌だなぁって、

思う事を、思い返して見ると、

それは、鏡でみるように、自分の嫌な部分だなぁ、

自分の中の見たくない部分だなぁ、

ということが、多いです。

だから、目をそらすことが多い。



テレビや、ネットや、週刊誌で、

非は、あるとはいえ、

あること、ないことを書く人たちに、

なんだか、嫌だなぁ、

というのは、潜在的に、

ぼくが、その「叩く側」に、

いつ加担するのか、わからない危険性を秘めているのかも、

と思います。

彼らは、責任の持たない言葉に、よって、

なにかを、損ない、自分も、損ない、

そして、なんら書いた事に、責任を持たないのです。

顔、がないんです。

これは、村上春樹さんの、「沈黙」から、

感じたことです、一部、引用です。



でも、どこかで、

ぼくは、自分の、そういう部分、

自分が、いつ、そうした「叩く側」や、「叩かれる側」

になるかなんて、わからないと思うんです。

いつしか、表情が、なくなって、

自分で、考える事をやめるような、

じぶん、間違ってないか?その気持ちが、なくなるのが怖い。

ぼくが、一番、怖い事は、

それなのです。

世の中で、なにが怖いといえば、そこなんだと、

ぼくは、思うんだけれど。

まぁ、少し、休みながら、コーヒを飲もう。

愚痴や、悪口や、批評より、じぶんで、考えてみよう。

できることから、しよう。



今日も、読んでくださってありがとうございます。
釣りが、したいなー。

最近の楽しみ。

にんげんの、奥深い部分や、

深いところまで、潜ると、

それは、生と死のこととか、病のこととか、

ひとの、矛盾や、嫌な部分とか、

あるいは、大変な時で、あっても、

強く生きる姿や、

そういうものを、みていくと、

ああ、なかなか、難しいもんだなぁ、

と、今さらながら、

思う事があります。

でも、それがなきゃ、

感じなければ、やっぱ、だめだよな、

なんて、思う。



まぁ、けれども、

深い所に潜ると、やっぱり、

酸素が、足りなくなり、

どこか、人としてのリズムが、

おかしくなる事があるんだよなぁ。



そういった意味で、

ぼくは、仕掛け絵本のきにいったものを、

時々、購入しては、

楽しんでいます。

すばらしい、ファンタジーや、素晴らしい物語や、

色彩や、アナログの面白さは、

スマートフォンや、ITでは、

得られない、なんか、

大切な事が、なんか腑におちるし、こころ落ち着くのです。

ひととおり、落ち着いた後は、

薬局の待合室の本棚へ。

こども達が、喜んでみていると楽しい♪

おとなの方が、呼んでいてくれても嬉しい。

待ち時間は、苦痛そのものですが
(くすり自体は、本来なら、飲みたくないものだから。)

すこし、そんな楽しみがあったらいいな、

と、いつも、思うのです。


なんだかね、コンビニに並んでる、

週刊誌の記事が、チラッと、

あるいは、ワイドショーの文面みてると、

なんだか、みんな、それで、楽しいのかなぁとも、

思うんですよね。

まぁ、その人のうわさや、人の事で、

楽しめているのなら、それは、それで、

うらやましいな、とは思うんですけどね…。



ファンタジーというものは、

普遍的です、

架空の世界に、実は大切なもん、

含んでる。

ロック、ってより、ファンタジー、

そんな風に、思うのは、

ぼくが、一回りしたのかなぁ。



今日も、読んでくださってありがとうございます。

すこし、げんきです。

すこし、フクザツです。

円、縁、◯。。。

循環的な、円を描くような、

そんな、思いやり、関係っていうのが、

最近、大切なのではないかな、

と、ふと、思いました。



自分が、ひとつの、

円の中の一つになったり、触媒になったりして、

その円を、豊かにしていく。

円の中の、他の人も、

また、その円を豊かにしていく。

自分の、なにげないことで、まわりもヨカッタ。

円の中に、いる人がいてくれてヨカッタ。



自分さえ、良ければ、自分が面子を、

保てば、自分を良く見せられれば、

そういう気持ちが、あると、

円は、循環しない。

たぶん、それは、経験上、

確信できる。



それは、大きな事じゃなくていいのだと思う。

ほんとうに、微量でも、

少し含まれている、穏やかな心持ちが、

あればいいんじゃないか?

激しくなくとも、大きくなくとも、

円のように、循環していく、

心持ちや、思いやりが、

あれば、いいのだと思う。



円のように、循環していくこと。

しあわせって、なんだろうって、考えたら、

自分が、というより、

円のように、循環していくことが、

まわりを笑顔にするような、

そんなものが、プライベートでも、仕事でも、

大切だなって、思う。

そこには、思いや、配慮や、そういうものが、

含まれるはず!!

でも、それを揺るがす、誘惑が、

人には、あるのも、事実だ。

それを、通り抜けて、

円を描けたら、いいなって思う。



特別じゃなくても、

円の中に、いると安心する人がいる。


周りに迷惑をかける、周りを悪い意味で、

巻き込む、しあわせは、しあわせじゃない、

と個人的には思います。



円は、プライベートでは、「縁」になり、

誤解をおそれなければ、悪い意味ではなく、

良い、お金のつきあい方として、

仕事では、文字通り、「円」になる。



吉本ばななさんの、「ハゴロモ」

という小説は、まさに、

「円」の物語で、ある。



円のような、そんな、関係。

ぼくは、公私にわたって、

そんな風に、考えている。


まぁ、3%増税分、
円を、大切にしていきたいなぁ、なんて。

準備、はじまり。

・ぼくらの、人間の、

死亡率は、100%です。

と、いってしまえば、

当然、なのだけれど、それは、はっきりした事実なのです。


・ぼくは、思うのだけれど、

スポーツ選手が試合前にする準備や、

仕事の、準備のように、

別れる準備を、日々、

どこか、片隅においていてもいいんじゃないかな。

思い出や、してもらったことや、それからのこと。

残された人の、生き方や、

いなくなったひとの、それからを、考えながら。



・ぼくは、死ぬのが、小さい頃、すごく怖かった。

クリスマスに、「無限の命」を

サンタにリクエストして、

困った親は、なにも、おけなかった(ごめん。。)

そうなのだ、死は、必ず訪れる。

どうなるの?ということは、疑問にありましたが、

最近、大切な人の、別れがあって、

いっそう、お別れの準備というものが、

大切だと、感じました。



・診断的には、亡くなっても、

みんな、どこかで、見守ってくれている。

そして、それは、始まり、なんだと感じます。

そういう、意味で、

絵本「かないくん」(谷川俊太郎、松本大洋)

は、すばらしい作品です。

短い物語に、死とは、

というものが、漠然と、そして、明らかに、

なにか、を感じます。

ぼくらは、常に準備し、どこかで、

先に行ってしまった人の、人生を、持っていきながら生きたいですね…。



そんなことを、思う日は、
雪です。
なかなか、春はまだかいなって、感じですね。

エイプリル。

エイプリルフールと、言う事さえ、

忘れてしまうような、

診療報酬改定、消費税と、

バタバタしています。



ただ、ぼくは、

この日は、うそをつくよりは、

うそをつくことに、ついて、

いろいろ、考えたい日でもあるのです。



たいていの、うそというものは、

その人自身を、ぼくを含めて、

蝕み、そして、深く、ひとを傷つけます。

できるだけ、正直でありたいと思うのが、

ひと、だけれど、

時に、人は、うそをついてしまいます。

オトナになるほどに。

とりかえしの、つかない、

どれだけ、傷つけたんだろう、

という、うそを…。

それは、自分自身も傷つけます。



善意でも、悪意でも、

うそは、うそです。

ぼくは、かなり、

うそということに、ついて、

去年から、考えてきました。

自分の面子を、保つ、ウソ。

自分を、よく見せる、ウソ。



結局、うそをつくのは、

じぶんの、保身のためなのではないか、

ひとは、自分がかわいい、

そういう誘惑に、相手への配慮や、気遣いをなくしてしまうのではないか。



だから、いつも、思うんだけど、

明らかに、これは、うそですよ、

でも、そういうの、あったらいいね!!

っていう、ウソというより、

明るい、現実とはなれた、

だれも、傷つかない、上質なうその、

ために、こんな日が、

あるのかもしれませんね。



にんげんは、常に、本当の事をいっていたら、

疲れてしまいます。

だから、ときどき、ほらを吹いて楽しむ、

そんなのが、大切だなぁと、思います。

社会では、うそをつきたくないけれど、

河合隼雄先生の、ウソツキクラブに入会して、

ウソを楽しんで、

普段では、大切な事では、

ウソをつきたくない、って思う。

できれば、そう、思う。

ほんと、それは、去年から、

ずっと、考えてきた、

ぼくの、テーマであります。

結構、人生の、テーマかもしれない。

新年度、がんばりましょう。

これは、ほんとの気持ちですよ。

咲く。




暖かくなって、

ふと、みると、

花が咲いていた。

きいろの花。



大雪が、昨日のことに、おもえるのに、

あぁ、知らないうちに、

花は咲く準備を、していたのだなぁ、

と、ふと思った。

当たり前の、話だけれど。



すごく、寒い中でも、

花は咲く準備をしている、

日々、芽吹くときを、

待ち望んでいる。

でも、自身は、芽吹くのは、咲くのは、

いつなのか、実感はないのだろう。

あくまでも、感覚として、

なのだろう。



様々な、ひとの、

営みの、物語において、

混沌としたり、あぁ、なんだか、うまくいかない、

つまらない、なんでこんなことを、

理不尽、自業自得、力不足、迷い、悩み、

そんなことは、いっけん、

無駄なように、思える。

でも、それは、

芽吹くため、花を、咲かせるために、

ひとつの、大切な物かなぁ、とも思う。

思春期が、必ず、あるように、

そういう時期は、必要なのだと思う。



花を、咲かせたい、

というより、

花を咲かせる時期を大切にしていきたいと、

ぼくは、常々、思うのだけれど。

そういう時期は、いろんな、

通常とは、見えないものが見えるとも、思う。

そんな風にして、物語を紡いでくものなのかなぁ、

誰もが、咲くのを、望んでいて、

けれど、咲かないかもしれないとも、思いながら、

花開くときを、待っているのかなと、

そして、ぼく自身も。

そう、感じた。