MOTHER.

・ひさびさに、実家(話すと長くなるので…、浅間ではなく、親のいる山辺に)
で、ノンビリしています。
昨日は、疲れたのか、ぐっすり寝てしまいました。
ちょっと、歴史の本でも読もうと思って、
邪馬台国の特集を読んでいたら、夢の中。。
・そう、「母の日」なので、
今日は、一日、家族ですごそうと考えたわけです。
カーネションは、花好きの母は、すごく喜んでくれて嬉しかった。
事前に、信頼している大好きな花屋さんに手配しておいてよかったです。
・ただ、残念なことに、
両親は、昨日、食べた貝にあたったのか、
お腹の調子が悪い…。
ごはんを、どこかで、ケータリングして、
みんなで、食べるという計画は、少し無理ですね、
心配ですが、今日は、ゆっくり休んでほしい。
・同世代は、おかあさん、おとうさん、になっているかたが、多いと思います。
感謝する側と、感謝される側になっている。
だから、おかあさん、おとうさんになっている友達は、
また、いろんな意味で、特別な日ですよね。
感謝って、循環すると思う。
そういうことで、自分の親のありがたみって、
すごく実感するんだと思うし。
・ぼくは、まだまだですが、
親への感謝の気持ちは、とても年々、強くなっていきます。
親は、いつまでもいないけれど、
だから、準備というか、心構えは大切だとは思います。
人生は、一期一会だとは、ほんと思うから。
でも、いつまでも元気でいてほしいと、
心から、思っています。
今日は、晴れてよかったですね。
それぞれが、良い日を、過ごせたらよいなぁ。。
命日。

高校時代の親友の命日でした。
もう、13年前、
知り合ってからの期間より、彼がこの世にいない期間が、
ながくなってしまったことに、
昨日まで、話した気がするのに、
時の流れを感じます。
ただ、彼との、
高校1年から、亡くなるまでの、大学4年までという、
約8年間は、とても、かけがいのないもので、
それは、とても濃く、ぼくの中に残っています。
毎年のことなのですが、
お線香をあげさせていただきに、
実家にお伺いして、
彼のおかあさんに、カーネションを渡しました。
忙しい日だったので、
あまりお話はできませんでしたが、
これからも、見守っていてくれ、
そして、また、
それに恥じない生き方をするように努力するよ。
と、願いました。
特別な日。
ぼくにとっては、なにより、
身のひきしまる、そして、懐かしい日です。
亡くなった人に、対して、
ぼくらが、できることは、
忘れないで、思い出を大切にして、
日々をがんばることだと思います。
田んぼのカエルの声が聴こえていました。
最後に、親友とあるいて、語り合った時も、
カエルがなく季節。
そう、5月でした。
いいことばかりではないし、
ぼくも、あのころのように、若くはないけれど、
がんばっていくよ、見守っていてくれ。。
富士山。

・世界遺産に富士山が…、
のニュースをみていて、
富士山といえば、今でも、
覚えている思い出がある。
・ぼくは、絵は下手なんだけど、
なにかを、作ったり、いわゆる美術や、
創作系の科目が好きだった。
たぶん、保育園ぐらいは、
絵を描く事がすごい好きだった。
ある日、なぜか、わからないのだが、
親に「ぼくは、富士山を描きたい」
と自分でもいったのを、覚えている。
・親は、すぐに、つれていってくれて、
富士山の見える公園で(山梨だろう、たぶん。)
富士山を、とてもワクワクしてかいたのを、
覚えている。
それは、ぼくの親に対して、
人生のいくつかの感謝の中で、大きい部分をしめている。
・いまでも、衝突はするときは、あるんだけど、
今、思うと、
親の仕事って、そういうもんなのかなぁ?
と漠然とした気持ちだけど、思う。
浮世絵の富士山から、ぼくの画用紙に描いた富士山、世界遺産の富士山。
日本人の心であり、ぼくの原風景なんだと思う。
たぶん。
今日のハタマロ:連休あけの、仕事は、やっぱり疲れますね。。
カメラ散歩する時、ぼくが考える事。

・カメラ片手に、浅間を散歩するのが好きです。
ほとんど、同じ道で、ほとんど変化はないはずなのに、
カメラを向けて、被写体をおいかけていると、
自然と、なにかが、変化していることがあります。
それは、その景色をみる、ぼく自身の心の中や、
あるいは、四季のうつろいも、そうさせてるのかもしれない。
よくわからないけれど。
時々の、趣味なので、
ぼくが、いうのは、おこがましいんだけれど、
写真を撮るって、あるいは、なにかを作るということは、
自分自身を、被写体を通して、写しているのかもしれないですね。
・みなれた風景もまた、自分の変化で、見え方がかわる。
仕事や、人間関係も、同じ事がいえる。
毎日のなにげない業務でも、あるいは、患者さんと向き合う時も、
たえず、自分は変化している。
あるいは、周りも変化している、みえないだけで、大きく。
その変化にきづいて、そして、また、
変化しているからこそ、
そして、一見わからない、同じ事をしているように思えるからこそ、
毎日を大切にしなきゃならねえぞ!!
なんて、みなれた浅間の風景を、撮りながら思いました。
家と職場の往復ばかり…、なんておもってるけれど、
いや、実は「家」も、「職場」も、「その道」も、「世の中」も
「関わる人達」も「自分の健康」も、たえず変化しているんだと、
その大事さを、感じています。
それが、生きてるって感じじゃねえの?
なんて、ぼくは勝手に思っています。
ちょっと、ここ2日間なにも、やる気がおきなかった。
あるいは、歯痛がまた、あります…。
でも、散歩したら、すこし元気がでました。
GW最終日、野球場から、元気な応援が、聴こえてきます♪
暇なので、野球のことも、書きたいなって思っています。
小さい事。

・「工芸の5月」の松本。
ぼくは、松本市民美術館の、柳宗悦さんの、
民藝の展示をみにいきたいと思っています。
明日、いけたらいってみよう。
・人はあたらしいものが好きです。
それは、流行となり、そして廃れることは、
必ず来ると感じます。
・ぼくの実感としては、
もう、いい歳だし、モノにとらわれる生活は嫌だなぁと思っています。
適度な質の良い、長く使い込んだモノに、
ぼくは、美学的な感じや、共感を覚える。
モノに対する、人間の尺度や、心の寸法を、
見直してみたい、そんな気がします。
で、そんな時代だと思う。
・小さい事は、豊かなことである、
と、ぼくは、考えています。
愛情や、夢も、適度な大きさの、
現実につながっているからこその、
ものであると思います。
大きくする事は、ある意味、とても、簡単なことだけれど、
いろんな副作用が生まれるような気がします。
あるいは、小回りが効かない。
車も、家も、人間関係も、そんな感じですよね。
・人が集まって、共同作業をすることも、
人が増えるだけ、いろんな、つまらない、
もめ事がおきたりする。
マネージメント的なものが、そこには、必要になってくる。
まっ、それも、また良い仕事をするには、
大切なことなのかもしれないけれどね。
・だからといっては、なんだけど、
ぼくは、コンパクトカーを好んでいます。
いや、運転が下手ということもあるけれど、
やっぱり、自分の車や、N-BOXをみていると、
やっぱり、小さな事って、
自分にとっては、大きな意味を持つんだなぁって思っています。
・ちいさい幸せを、ちいさな喜びを、ちいさな夢を、
1つ1つ、咀嚼していきたいものだなぁ、
と、改めて感じています、最近。
紅茶はじめました。

・最近、茶こし付きの、ティーポットを購入したので、
ちょっとずつなのだけれど、
研究をしています。
コーヒーは豆から、ミルで挽いて、
楽しんでいるんだけど、
紅茶にも、興味が出てきたので、
ここは、レパートリーを増やそうと思ったわけです。
こないだも、ミルクティーを作ってみて、
レシピ通りとは、いかなかったけれど、
なかなか、香りも味もおいしくて、
いろんなことを、試してみようと思っています。
・ぼくが、個人的に好きなシチュエーションは、
コーヒー、紅茶を、飲みながら椅子にすわり、
読書をしながら、
レコードで、クラシックのピアノソロを、
聴くということ。
あるいは、野外で、コーヒー、あるいは、紅茶をその場で、
作って、やっぱり本を読む事だろうか。
料理は、まったくダメなのだけれど、
ちょっと、一息っていうような、楽しみが、
ぼくには、すごく大切みたいです。
ハタマロカフェは、少しずつ、
レシピを増やしていきたいなぁ、
と思っています。
まぁ、日々、いそがしくて、
缶コーヒー、インスタントも多いけれど、
そういう時間は、大切にしたいですね。
・恥ずかしいことなのだけれど、
最近、口臭がひどいことに、気がついた…、
結構、ショックでした。
タバコを吸っているから、ある程度は仕方ない、
歯を磨けばいいさ、と思っていたのだけれど、
そんなに、単純な問題じゃないみたいだ。
胃の調子の悪さか、歯周病が原因か。
うーん、歳をとると、
いろんな不都合が生じてくる。(または、自分がだらしないからだと、いうことだ。)
プライベートでも、仕事でも、エチケットは大切にしたいし、
なんとかしないとなぁ。
GW明けの、土曜日は歯医者です。
どうなることやら。
相談してみることにします。
アプリ。

・昨日、乗鞍高原に、いってきました。
かなり前にいったことは、あるのですが、
ひさびさに、雄大な景色、スロウな時間、硫黄臭の温泉、
とても、開放された気分。
今度は、山小屋に泊まってみたいなぁ。
信州って、やっぱり自然が強みですよね。
写真は、カメラを忘れました。
でも、紅葉の景色に、また、ね。
楽しかった~。
とりあえず、アクティブなGWは、終わり、
今日からは、普段できない、
読書など、ノンビリと過ごします。
なんて、普段、書かない近況を書いてみたりしました。
たまには、いいよね。。
・スマートフォンになってから、
アプリが、たくさんでました。
その中には、既存のモノを、スマホで代用できるものが多いです。
たとえば、ナビ、たとえば、ゲーム、たとえば、カメラ。
ぼくは、ゲームはやりませんが、企業としての、任天堂のファンであり、
また、写真は、カメラであくまでも撮りたいタイプです。
でも、そういうところが、スマホに、
飲込まれ、一つのアプリというカタチに飲込まれ、吸収されていく。
便利だけど、はたして、それがいいことなのかなって思う。
古い感覚なのかも、しれませんが、
1つ1つの、産業や、プロダクトが、
恐竜に食べられて、その身体の一部に、なってしまうみたいに。
・同じような感覚を、
街の歴史として、感ずる部分がある。
小さな、そして堅実なお店が、電気屋さんとか、本屋さんとか、
最近は、喫茶店のコーヒーみたいなものが、(セブンカフェとか。)
コンビニや、大型ショッピングモール、amazoneに吸収されていく。
1つとして、自立していたものが、
スマホのアプリの1つみたいになってします。
多様性が、うしなわれ、ここでも、また、
肥大化した、ビッグブラザーに、飲込まれていく。
大切な地域の店が、時として、失われることがある。
・医療業界にも、同じ事がいえる。
大きな力で、世の中の動きで、
どこかの、アプリの1つになってしまうんじゃないかと。
そう、考えると、どこまで地域の医療施設としての、
薬局が、真摯に、地域医療に、貢献し、
丁寧な、小回りのきくものになるか、
時代の流れをみていきながら対応していきつつ、
いろいろ、考えています。
・だから、ぼくは、地元のお店を大切にしたいと思う。
例えば、amazoneは、便利だし、
同じものでも、実店舗で買えるものが、
ほとんど、通販で買えてしまう時代だけど、
そこには、あまり、血がかよっていない気がします。
片倉モールの大型ショッピングモール計画も、
どうなるんでしょうね。
町づくりは、地元の人との、
共存と理解が大切だと思います。
本部だけの意向ならば、どうかなぁ?なんて思うけれど。
日本経済や、ITの世界は、
本当にどうなるんでしょうね。
・ぼくは、ただ、自分に正直に、
地道にやっていくことだけです。
ぼくらは、自立している心をもっています、
誰にも、変わる事ができない、自立した、固有の心。
それが、アプリのアイコンの1つにならないように、
しないといけませんよね。
そんなこと、おもってるの、ぼくだけかもしれないけれど。
科学の発展。

・ともだちが、少ないので、
ぼくは、割と、携帯電話がなったり、メールがきたりすると、
なにか、悪い知らせなんじゃないか?
と結構、ネガティブに考えます。
でも、ネガティブな知らせも、
迅速に対応しなければならないので、
電源オフというわけには、いかない。
SNSも、時には、いろんなことが、
あるわけで、災害用にアカウントは、
残してあるんだけど、あんまりは見ません、ちょっとだけ。
でも、これって、ほんと、昔は考えられなかった事ですよね。
・考えてみれば、
科学の発展とともに、
新しい、良き側面もあれば、古き良きものも、
破壊されていくわけで、
進歩って、なんなんだろうなぁ、
なんて気もしています。
子供達がスマートホンをいじっているのを、
いいことなのかなぁ?なんて思いながらも、
自分も、スマートホン片手に、
知らなきゃよかったことや、知るべきでない事や、
そんなことを、しているぼくも、いるんだよね。
・ファミコンを買うとき、
ぼくの母は、すごく反対したし、
小学校時代なんかは、みんなでゲームをMSXというパソコンで作ったりした。
だから、ぼくも、そのころも、
30代には、心配されていたと思うし、
それが、時代の流れなのかなぁ、なんて思います。
同時に、山へも、よく遊びにいった子供なので、
(でも、スポーツは大嫌いだった。)
まぁ、トータルでいえば、いい子供時代だったのかなぁ。
・科学の発展は、どこまでいくのだろうか?
人間の欲望は、どこまでいくんだろうか?
そんな中に、生きてるって、シンプルな喜びを、
味わえたら、それは、素敵なことだなぁと、思うけど。
・どこでもドアは、世界が、革命的にせまくなるけれど、
いきなり来客がきたら困るし、移動の楽しみがない。
ほんやくコンニャクは、便利だけど、語学を学ぶ、楽しみがない。
あのころに、ワクワクした様々な、秘密道具は、
便利さとひきかえに、「なにか」を喪失するもののような気がする。
タケコプターならば、楽しそうだけどね…。
夢を映画のようにみえる機械は、発明はしないようにしてほしいですね。
面白そうではあるけれど。
暗部が、見えて怖そうだ…。
まぁ、いいや、おやすみなさい。
GW前半。

・昨日は夜中に、熱が出て、今日、だいぶ、よくなったもんだから、
クリーニングした冬物をとりにいったり、
洗車したりと、まぁ、
この3連休は、仕事&雑事&爆睡でした。
ほんとは、東京いく予定だったんだけどね、残念。
・ぼくは、本当に心配症です。
人間関係でも、健康面でも、家族や身近な人の心配も、
極度に、マイナスに考えてしまいます。
とくに、歯は少し、異変を感じると、
物事に、集中できないです、ほんと、
治療を繰り返してるから、少し、今日も、
冷たいものがしみて、なんだかなぁ、またかよって、感じです。
気になって、ほんとに大変なことになってたり、
単なる気のせいだったりと、
まぁ、いろんなことに、通じる部分は、ありますよね。
・伊坂幸太郎さんの、「仙台ぐらし」を読んで、
懐かしい仙台での生活や、
あるいは、あの日以来の、複雑で、
言葉にできないことを、いろいろ考えた。
思い浮かぶのは、大学の先輩のことで、
こないだ、相談したいことが、あって、
ひさしぶりに、お話したのですが、
短い時間だったけど、
変わらないエネルギッシュな感じで、嬉しかったです。
何回も、紹介していますが、
生の声として、先輩のブログ「がんばろう東北」は
心に響きます。
ユーモアもあり、でも、がんばろう!!という気持ちになれる。
「がんばろう東北」を、読み直すことに、よって、
ぼくは、いろいろ考えます。
お時間が、あったら読んでみてくださいね。
様々な、活動をされています。
桜の季節が終わって。。

・桜の季節が終わりました。
また、今年も。
短いからこそ、
一瞬だからこそ、
それは、ぼくらのなかに、
来年まで、思い出として、刻まれる。
・一年中、桜が咲いている世界が、
もし、あるとするならば、
それは、フェイクで、作り物の世界でしょうね。
なんの、矛盾もない、見せかけだけの世界。
・藤沢周平さんの、「山桜」という短編が、
大好きなのは、いつも、
いっていることですが、
ぼくは、山桜が、どれなのか、(ほとんどが、ソメイヨシノさんの気がします。)
最後まで、わからないまま、
季節は終わりました。
Googleで検索すれば、すぐ、わかるでしょう、
でも、なんか、そんなの趣が、ないなぁ、
と、思うんですよね。
・山桜って、この木なんだね、
って時に、
藤沢さんの、「山桜」に思いをはせ、
その物語の話しを、語りながら、
コーヒーか、紅茶を飲みながら、
山桜を眺める、
そんな時が、きたらいいなぁ、なんて思います。
いつ、わかるか、わからないけれど。
それだけ、特別な桜です。
毎年、十全に桜を、眺められる生活、
それは、プライスレスだよなぁ、なんてことを思っています。