兄弟、姉妹がいて、常に一緒。仲良しさんほど一緒。
我が家はそうでした。
一緒ではなかった時はお風呂。小さい時からお風呂がそうでした。
赤ちゃんの時には危険回避のためでしたが、そのあとは私と二人の時間を持つためにお風呂だけは別々に。
赤ちゃんの時、一人がベッドに残されるわけですから、それは当然、泣きますよね。
でも、大丈夫でした。一人ずつ入れるまえに、話しておりました。
「あのね、これからHをお風呂に入れるわけ、そうするとあなたは一人になるでしょう?
でも、これは仕方がないの、私、おっちょこちょいだから、うんぬんかんぬん、、」
わかってもわからなくても10分ぐらい話して、彼女が言葉を喋っていない時から、説明をしておりました。
それをしておくと、ちゃんと??NもHもサークルの中で待っておりました。
別々の時間、これは心してつくらないと、なし崩しになります。
だから、毎日、お風呂はその時間に充てていました。
これだと確実に、毎日できたからですし、その日にあった心のゴミや傷をその日のうちに癒せたからです。
私は彼女たちに、「私は心の掃除機だからなんでも吸って捨てるから」と申しておりました。
今日は帰国中のNから申請がありました。今日は二人の時間を作ってほしい。。。
仕事の前に、その時間を作ります。
3人で話す時と、2人で話す時は内容も、話し方も違います。
私とN、私とH、それぞれに重なっているところが違うので。
あなたの気持ちが わかるなんて
私はとても 言えません
あなたは、あなたの世界をもち
私に 虹をかける
これは私の「あなたがいい」という歌の最初です。
よく人様に対して「わかる、わかる」と相槌をうつことがありますが、実はそんなにわからないことが多いと思うのです。
だって人が違うから、、。人の数だけ心があって、その分だけ感じ方も違う、似ている人はいたとしても、そっくり同じ思いなんて方はいませんね。
しかも我ら日本人、同調することで仲間だと認識するので、思わず言っちゃう、わかる、わかる。。。
でも、わかっちょらんことも多いのが事実。
ときどき「そんなに簡単にわかられてたまるか!」って思うこともありませんか?
それが、当たり前、そう思っています。
でも子供は親を真似したり、親が正しいお手本だと思うので、
子供は自分と同じように感じているのだと勘違いします。
が、どっこい、実は。。。ぜーんぜん違ったりします。
親は勘違いしちゃって、途中から「わからない」と慌てたりします。
でも実はまったく違う生き物なんですね。子供って。
確かに髪質だの、鼻の形だの、見えるところは似ているところもあります。
が、みえないところは、、、だれにも見えなかったり。。。
それが、自閉スペクトラム症だと、余計にそのすれ違いを感じます。だからって諦めませんよー私。「とことん」という数日前の投稿でも書きました。諦めません。
彼女たちは私の脳とちがう。予想以上に違った。
はるかに違いました。
「そうよねえ、わかるわかる」と言えることがそんなにない。
そのギャップは、、、やっぱりトコトン話すしかない。
そして、時々は「寝かせておいておく」
そして、時には、、、逃げたいこともあります。
これ、説明するの?面倒臭いいいいいいい。
でもやります。「とことん」をね。諦めませんよー私。
今日はピアノの練習曲の話題になって、、、
練習曲集は、だいたい、番号が振ってあるだけで、題名はありません。〜曲集 1番 2番 と、ついているだけ。
でも、弾いている生徒さんたちに題名をつけてもらって、そのイメージをもって弾くと、とても音楽的なものに変わる、、という話をしていました。
NもHもキョトン。。。
だって、1番とか、2番とか、それが題名なんでしょ?って。
私もキョトン、それは整理番号のような物で、、題名じゃない、、話し合って、、、彼女たちは、それはページ数のようなものだとわかります。
物の見方のギャップは、お互い異星人、異種族のようです。
遅くまで起きているとお腹がすきます。。。何かちょっとつまみたいところですが、それはやめておいて、、カフェオレだけにして、書き始めます。
時間を有効に使いたいと思うのは誰しも思うことだと思います。
もちろん人間ですから、
こうしている間に、あれも、これもできたはず、、、
なんて思うこともあります。
でもそれは「休みが必要なときだったんだ」と解釈しています。
いま、NとHが一緒に暮らしています。(二月の下旬までの予定)
小さかった時から二人を平等に、といつも思っていました。
でもそれは、測りで測ったように「同じ」とはいきません。
Hのパニックは激しく、ご近所に、周りにいた方々に、音でも行動でも、「どうしたんだろう」と思わせていました。
当時、私は本当にこのASDについて全く無知であり、普段の平等第一?!はどこへやら、騒ぎを起こしているHに集中しておりました。
Nのパニックは、全く違うものです。
恥ずかしながら、私はずっと見逃してきたので、特にHがパニック中はNに対して「ちょっと待ってて」を連発してしまったのです。
Hの大変な時間は、H自身も苦しめていましたが、Nも同時に苦しめていました。そして私はことの重大性に気づかなかったのです。
二人は大きくなり、いままでの蟠りや、誤解、そしてなにより相手を思いやる気持ちなども言葉にできるようになり、ここ数年「あの時の気持ち」「この時の辛さ」をお互いに話しています。
それでも「事件」は起こります。
予定と違う、予想とちがう、私の脳内がわからない(話が噛み合わない、それはないだろう!という行動をする)、などなど。
二人のことが何もわからなかった頃、できなかった平等に接すること、今、頭をよぎらない日はありません。
昔の時間はもどってきませんが、これからの未来の時間をすこしでもいい時間にと思っています。