発達障害の娘と共に〜

自分のポジティブ思考は、どこへいく??

 

 

 

ポジティブ思考は、いいものとされていますし、私はなぜか小さい時からどうしてもネガティブになれない性格のようでした。

 

あまり落ち込んだ覚えもなく、妄想癖もすごかったような気がします。なぜか当時住んでいた「荻窪駅」が日本の中で一番偉い駅だと思い込んでいたり、おめでたい人だったと思います。

 

なんど忘れ物をしても、懲りず、まあ、いいや状態でした。

 

そして、このポジティブ思考が取り沙汰されると益々、やっぱりね、、へへへと思ったものでした。

 

ところが、娘たちが生まれてその状況が全く変わります。

娘たちの特性がまだまだ判明する前でしたが、転んでないている彼女たちに、、、

 

「痛かったねえ、、、でも今転んできっと良かったんだ、なにかもっと大きな事故から守ってくれたんだ!!、さ、レッツゴー」

 

的に申しておりましたら、、、、彼女たち。。。

「転んで痛い!って言っている私たちと、もうちょっと一緒にいて、痛い気持ちと一緒にいて欲しい」

 

そう言われたのでした。

 

そんなこと、考えたことがなかったので、びっくり。。

 

そして私は彼女たちと居ながら、

自分の感情と居たのだということがわかりました。

 

子育てで大事なこと、、その子たちの気持ちをわかること、わかろうとすることなのに、なにかハプニングが起きた時には自分の感情に翻弄されますね。

 

コップを倒した、ミルクこぼした、こどもだってキッと、やだーって思ってる。でも「せっかく注いだのに、、」という自分の感情で動いてしまう、、、「なにやってるのー!!!」

 

とかね。

 

私はその逆でした。どうってことなーい!!はい、前に向かって進みましょう!!! をやっちまっていたんですね。

 

全てのことは必然で、偶然など無いという考え方がありますね。この事件も、あの転倒も、意味があるにちがいない、よかった!!と自然に思ってきたので、痛い気持ちと一緒にいることはなかなか大変でした。

 

が、その気持ちに寄り添うという行為は、娘たちだけでなく、人と関わる時に大事なことだと思っています。

 

発達障害の娘と共に〜元気でいることがデフォルト

 

ちょっとご無沙汰をしていました。

其の間の三寒四温、体がついていかずに、、、

 

凍える。。。

汗かく。。。

凍える。。。

汗かく。。。

 

そこにNとHとの話し合い。なかなか難儀なこともあり、リラックスさせたい気持ちと、自分も昂ってしまう衝動もあり、、

けっこうズタボロになっていき。。。そこに母の介護も入り、

 

おっとっと。

 

とうとう月曜日、「今日は、、、1日、、、寝てる、、」となりました。常に元気でいることを デフォルトとされてきましたし、事実、私は丈夫であります。滅多に医者にも行かずにここまで生きてこられました。ありがたいことです。

 

彼女たちが幼い頃、私は元夫の帰宅がまちまちでした。

Nは最近、居たり居なかったりの不安定さが、いまでも影響していると申しておりました。

 

結局は蒸発するわけなので、不安定はより不安定になり、、、

シングルマザーは何がなんでも「元気で居なければならない」となります。

 

彼女たちには両親がいない。片方しかいない。これは大きな大きなハンデですね。

 

いまさら、なぜ蒸発したのかは問題ではなく、彼女たちを不安定にさせたのは、大いに問題あり!!もいいところであります。

 

私が具合が悪くなると「どうしよう、どうしよう」とHはパニックになります。Nだって心配なはず、でもHがパニックになっていては、自分は「心配しない」ぐらいに思っていたかもしれません。

 

親がシングルの場合、夏休みなどのプールはなかなかきつい。

一家総出の楽しそうな場面に、おちこむ彼女たち。

 

大丈夫!我が家は我が家の楽しさがある!とか言っちゃって、「凛としなきゃ」とおもっていたことを思い出します。

 

どこか屋外で、「ここでまってて、缶ジュース買ってくる」と言った時、「だめー!!!一緒にいくーーー!!!」とついてこようとします。

 

「お荷物を見てて、すぐ帰ってくるから」という言葉も全く無視。考えたら、一人しかいない親が、万が一、帰ってこなかったら、、と思うと恐ろしかったのだと思います。

 

それと同じでディズニーランドに行った時のこと、ある時、「疲れたからここで休む」と言いましたら、、、

 

「死にそうなの?だんだん死に近づいている?」と大騒ぎ。

年をとることも恐怖しかない。だから今でも、意地でも全ての乗り物に付き合います。

 

私は彼女たちの障害を見つけるのがとても遅かったので、其の分、生きていくための小さな知恵の積み重ねを遅く始めました。

 

小さい頃から少しずつ、だんだんと積み重ねていくべきものは、積み重ねていかないと、こちらもおちおち安心して風邪もひけません。

 

病気ー死んじゃう。どうしよう。

疲れたー死んじゃう。どうしよう、、、に直結してしまいます。

 

知っておくべきことは、少しずつ知らせていかないと。

 

おかげさまで、体調は戻りました。今日からまた、元気な母さん登場です。

 

 

 

発達障害の娘と共に〜双子ゆえに 姉妹ゆえに

 
双子であるがゆえの楽しさ、双子であるが故の厳しさ、いろいろ書いてきましたが、今日は大きくなるにつれ変わっていく二人の成長について。。
 
二人の発達障害は、どちらが重い、軽いということはなく、それぞれに特徴が違いました。
 
が、その特徴が目立ったHと、言葉にできない特徴があったNがいます。
 
目立ったHはよくパニックを起こし、床にひっくり返り、大声を出す。目立たなかった子は、頭の中でいっぱい葛藤をしていた。
 
まわりは「目に見える方」を優先してきたことで、「頭の中でいっぱい葛藤してきた」Nは、寂しい思い、悔しい思いをしたと思います。
 
それでも、Hを目一杯、精一杯ケアしてきたけれど、同じ年では無理がありますし、なにせお腹の中から一緒の親友のようなものです。
 
その時の大変さ、寂しさ、だれか助けてといいたかった思いなど、大変だったにちがいない。そして、そのままに大きくなりました。双子であっても、私がなんとかしなきゃ、、、だったと思います。
 
もう一人はその自分のパニックを、自分でもなんとかしたいと思っても、止めることができず、頭ではこんなこと大したことないと思っても大きな声がでてしまう、暴れてしまうことに、自分で嫌悪感を持ちます。ごめん、もう最後にしたい、これで最後にしたい、、と彼女はパニックのあと、泣いて話します。
 
まだ、そういう日は来ていません。
 
二人で楽しかった思い出もいっぱい作れた一方、
 
嫌な思い出は、パニックにまつわること、また、予期せぬ出来事が起きるとパニックに発展しないかどうか心配してしまう瞬間に対する恐怖がずーっと底に横たわっています。
 
そして一人一人の成長の形が変わってきています。
 
この二人の関係は私にはわかりきれるものではありませんが、
諦めてもいません。どこに幸せがあるのか、落とし所は、まだわかりませんが、ここ数日のやりとりを見て、なんとも言えない気持ちになっています。
 
この二人が、生まれたままの勢いと、明るさがそのまま続いていたら、と思うことが時々あります。そのためには、早く私が気づいて、医療機関や、カウンセラーに見せるべきだったと、他のことではあまり後悔しない(人にも言われます、、、)私ですが、
これだけは、二人の人生がかかっていましたから。。。
 
やるだけやったのだから、仕方がないのだ、、
これは後悔先に立たずだから、そう思おうとしているのかもしれません。
 
もしかしたら、、、我が子は、、、とお思いの保護者の方々、
1日も早く、発達障害の機関につれていってあげてくださいね。
 
今は教育機関でもよく発達障害のこと、知られるようになりました。だから、必要なケアをしていただくためにも、お子さんの観察、よくしてくださいね。
 
 
 
 

 

 

発達障害の双子と共に〜

双子を産むときめていた!?

 
自分の夢を叶えるためには、この一冊を読めば!!とうたっている本がいっぱい出ています。
Youtubeでもさまざまなサイトで「夢を叶える術?」が語られています。
 
私も見えない力や、見えない「何か」があるであろうということは理解しています。
潜在意識、顕在意識などあちこちで耳にしますね。
 
ただ、
 
そういう知識は全くないままに、「あら、叶っちゃった」ということが、何回かありました。
もちろん、箸にも棒にもかからなかった願いも、望みもありました。
 
叶わない夢は、欲が絡んでいるものなのかもしれませんね。
これに関しては、まったくの無欲でした、産むなら、という気楽な感じでした。
 
でも、そこには確固たる想いがありました。『産むなら双子、一卵性、女の子』って。
 
子供は2人欲しかったのですが、音楽界は出入りも激しいので育児のための休暇を2回も取れない、、そうこうしているうちに、音楽界に復帰できなくなる、かといって、3歳までは自分で育てたい、、などなど考えて、「双子だ!!」ととても軽いノリできめてしまったのでした。
 
ですから、本当に双子だと分かった時にはビックリ。出産前に一卵性だということもわかり、女の子であるということも。。。
 
ただ、彼女たちを産む前に、「赤ちゃんに障害があるかどうかの検査をしますか?」と聞かれたことを覚えています。
 
生まれる前に検査ができることで、親がいろいろな決断を下すことが可能になりましたが、私は検査自体をお断りしました。
 
双子を産むということは、リスクが高いということを後で知ります。障害があることは、もっと後で知ります。
 
遅すぎた発見です。それがわかるまでに、こころにいっぱい傷を負っていました。そのままで生きていくのは大変、だから自分があたかも障害がないかのように全神経をつかって生きてしまった。
 
いま、できることは、すこしずつ、本来の彼女たちを取り戻してもらうことです。
 
 
 
 

 

発達障害の双子と共に〜

知らず知らずに強いていたこと

 
自分の歌にもあるのですが、親と子は、違う生き物だと思っています。
 
娘たちがどう感じて、どう思っていたのか、そのままわかるわけもないのですが、ある程度想像したり、観察したりしてわかろうとします。
 
でも、こちらとしては「よかれ」と思って言ったことが、全く逆の形になってしまうこともあります。
 
小さい時から私は彼女たちに何かを「強いる」ことはするまいと思ってきましたし、それをしていたつもりは全くありませんでした。
 
ただ、自分たちの好きなことを突き詰めなさいという話はよくしていたと思います。
 
好きなことのプロになったら人生たのしいいし、人のためにも役立つと言ってきました。
 
音楽家じゃなくていい、八百屋さんでも、魚屋さんでもいい、ただ、なるなら胸を張って仕事ができるように、その道のプロになるようにと。
 
それは私が専門職だったからだと思います。それ以外の道を知らなかったから。
 
会社に入って、安定して生きること、そして会社以外に趣味を持ち、余暇を楽しむ、そんな幸せもあるのに、何かの専門家になることをどこかで強いてしまっていました。
 
現実は、、、スキルは上がっても、その環境には慣れないという、自閉スペクトラム症の『ソーシャルコミュニティ苦手!』がその道を阻みます。
 
また、不安定この上ないという金銭面も、彼女たちには「不安要素」です。人間「安心すること」はなにより大事なのに。
 
そして、得意なことを成功させるために、専門外のことをする時間が多く必要です。
 
音楽を専門としている私ですが、資料をつくり、アピールし、デモデータをつくって営業をする、ファンをふやすために、あらゆるSNSを駆使する、などなど、音楽よりも長い時間をこの「広報」「宣伝」につかうことになります。
 
そこが得意か?すくなくとも「それはそれ」として消化できるかが大きな問題です。
 
そんなことは全くわからなかった数十年前、記憶力のいい彼女たちに、「好きなことでプロになること」を強いてしまったことは、私の視野が狭かったということに他なりません。
 
いろいろな生き方があるよ、、
なにかの専門家になっても、
会社の一員になっても
工場の一員になっても
お店で一員になっても
 
どれでもいいんだ、あなたが幸せならどんな生き方でもいいんだって、言えなかった自分ができることは、、
 
こうしてブログに書いて、これを読む方々に参考にしていただくことです。
 
なにかのお役に立てれば幸いです。いつも読んでくださってありがとうございます。