発達障害の娘と共に〜食べる順番

 

もう、本当に毎日驚くことがあって新鮮!!

 

学校の先生方がいつまでもお若いのは、常に6歳、7歳の子供たちが入学してきて、刺激をいっぱいもらえるから?!かもしれませんね。


高級料亭ではなくとも、イタリアンでも、料理がすこしずつでてくることがありますね。その度に給仕の方がテーブルにちかづいてくる、、、彼女たちは落ち着きません。

 

よく知らない人が、次にいつくるかわからない、お水はいかが?とご親切にテーブルに来ていただくことがよくありますが、彼女たちは、できれば、、、、放っておいてほしいんだと思います。

 

だから、コース物は好きじゃ無いってこと、知っていました。

 

が、、、

 

お弁当やお膳ものは別の理由で困っていたらしい。。。

ちょこちょこおかずが分かれているものは、とても食べにくいらしい。

 

おべんとうなど、何から食べたらいいかわからない、、というのは、本能?で選んで食べられないってことですね。つまり食事の時にも頭をとても使うってことで、、、そりゃ疲れますね。

 

今日、食べ物を前にしたときに、頭をとても回転させているって初めて知りました。

 

わ、おいしそう、どれから食べようかな?が楽しみではない。。

 

じゃあ、何が食べやすいのか?、どこから???が無い物。

寿司なら、バラチラシ・

中華そばも、どこから食べる?は迷わずに済むらしい。

 

もちろん、だからといって、毎日丼もの、麺物を食べているわけではありませんが、彼女たちは、「選ぶ」ことに時間がかかります。

 

定型発達では、何気なく選んでいることが、彼女たちには難しい。

 

こちらと、あちら、どちらの用事を先にすませる?

これと、これ、どれをバックに入れていく?

こちらとこちら、どちらを着る?

 

小さなことから大きなことまで、優先順位をつけるのがとても大変。だから段取りも大変。ひとつひとつ彼女たちに合ったやり方を見つけていくことが大事な積み重ねです。

 

発達障害の娘と共に〜自由は不自由

 

毎日、時間割を書くのが日課です。

 

何時に、何をする、どこへ行く、食事はいつする、、

決まっていると落ち着くのですね。決まっていないと、線路がどこに向いていて、どこの駅にとまったらいいのかわからない電車のようになるらしいのです。

 

だから学校はとても過ごしやすいはず。。。

ただ、当時は今ほど発達障害が知られていない、そして私も無知でした。

 

なので、周りに合わない、話題も、反応も、興味も、話し方も、そしてその訳もわからなかったことは、思い返しても残念な、私の認識不足でした。友達もできなかった。

 

今だったら、、、きっと特性がわかってくださる学校を調べて、そこに行かせたと思うのです。本当に「残念」。

 

さて、学校を終えてから、社会に出ると、自由業には「時間割」がなくなります。音楽、絵画、写真、彫刻、学校を出るまでは様様な授業によってやることはきまっていますが、社会にでると、、、、途方に暮れますね。

 

自分で決めて、うごくことが難しい。

よくお子さんの支度などで見かける やること、やるべきことの表示が、必要です。

 

時間がしっかり決まっていることは、彼女の生きる道しるべ。

 

私にとっては窮屈、、、と思えることも

彼女にとっては安全、安心の大元。

 

 

 

 

 

 

 

発達障害の娘と共に〜片付けのコツ

 
片付けるということと、掃除をするということは違う、、、これ、「断捨離のすすめ」や、「片付けて運気アップ」など巷には多くの記事が出ていますね。
 
ASDの方々、うちの娘を含めてどうしているんでしょう。いっぱい試行錯誤をしてきましたが、やはり「わかりやすい」ことがとても大事であると、判明。数字化する、見える化する、ですね。
 
いまごろ???と思われるかもしれませんが、いろいろな局面があり、アイデアを提案すべき時、そういうことは控えた方がいい時期、などいろいろありました。
 
卵を破りたいヒヨコと、外から突いて破りたい親の力が同時の時を見極めることが大事ですね。
 
早すぎた!遅すぎた!いろいろありました。
 
靴をしまってね。。。2日続けていうと、私はどうして覚えられないんだろう、本当にダメ、、、と落ち込むこともよくありました。
 
靴箱に入れなくてもいい靴は2足まで!と決めた途端に、お見事、よく片付けていますね。(本当は全部しまった方がいいのでしょうが、ハードルは低めに設定)
 
洗面所を△の洗剤で、このスポンジで5分間掃除して! きれいになっても泡が のこっていても5分間ときまっているとできます。(そうでないと終わりがみえないので、不安になります)
 
そしてなんと「居間」、ここ2週間、美しいものです。
私の仕事の都合でホテルに宿泊、ホテルはどうして気持ちがいいのかをその時に話し、我が家もそれに近くしていこうと狼煙をあげ、、
 
ものを捨て、ある程度(私的にはもう3歩ぐらい足りないけど)片付けた時点で、「はい、これがデフォルト!テーブルの上も、棚もね!」と二人で確認。
 
そのあとは、間違い探しが得意なHですから、寝る前にはそのデフォルトに戻すことは得意技。
 
ホテルみたいに、、、と言ったことで、今日はベッドメイキングもしていました。
 
数字に表すことで作業を「見える化」する、デフォルトを覚えてゴールを「見える化」する。
 
これは彼女の得意を活かしたやり方。
それぞれの得意を活かしたやり方がどこかにあるはず。
 
決めすぎると、がんじがらめになる。
でも、決めなきゃ、わからない。
 
じゃあ、何て言えば、しっくりくるのか?
これが文字通り「鍵」です。
彼女の心の扉にあう「鍵」をみつけること、、、
前は、むずかしい、、っておもっていましたが、
最近は、パズルを解くように楽しめるようになりました。
 
試行錯誤は必要ですが、はまった時の嬉しさは格別です。
 

 

発達障害の娘と共に〜

来月は自閉症啓蒙の月間です。

 

3月は卒業の時、ここ湘南にも雪が舞った3月ですが、お風邪などひいていらっしゃいませんか?

 

こんなに降るなんて、、大阪にコーラスのレッスンをした帰り、新横浜でびっくりでした。

 

桜の蕾も膨らんではちぢんで膨らんて、の繰り返しかもしれません。

 

4月の1日、私はエイプリルフールの日にコンサートをしますが、その翌日は、自閉症啓蒙デーですね。あれからもう1年、といつも思います。

 

セサミストリートのジュリアが自閉症のキャラクターとして登場していますが、グッズは他のキャラクターよりもずっとずっと少ないんです。

 

ときどき少しの期待をもってお店に入りますが、バリエーションは増えておらず、しゅんとなる娘です。

 

Hはいまでも人形が大好き、ジュリアは分身のように好きで、人形も我が家の居間に座っています。ジュリアの登場はセサミストリートが多様性を教育に組み込んでいるのがわかります。

 

あの番組には、親が刑務所にいる子供、シングルマザーの子供、同性の親の子供、なども出てきます。それだけ社会で共存していく意識があるということなのでしょう。

 

日本は4月2日の啓蒙デー、またニュースでもほとんどやらないのかなあ。。。と今から気になっています。

 

昨年でしたか、どこのチャンネルでも大谷がホームランを打っている画像が映し出されていたものの、その日が 自閉症啓蒙デーであることはほぼ、ニュースにはなっていませんでした。

 

あらかじめ録画された映像を数分、何回か流していたに過ぎなかった気がします。障害者のことを取り上げることの多いEテレは別として、一般の方々が見る民放や総合テレビでは、短いコマーシャルのようでした。

 

ことしは、どこかちゃんと取り上げてくださったらうれしいですね。

自閉スペクトラム症(自閉症)の人たちって人それぞれで、色々な人がいるんですよ、人と関わることが好きな人もいる、一人でいることが好きな人もいる、音に敏感じゃない人もいる、肌がとても敏感な人もいる、そんなことだけでも皆さんに知っていただけたらと思う母です。

 

 

 

 

発達障害の娘と共に〜「安心」は大事

 

人間に必要なものはなんでしょう。衣食住、そうですね。

私は彼女たちを見ていて、全人類に共通する大事なものは、これじゃないか?と思ったのです。

 

「安心」

 

彼女たちには 街に出た時、常に不安がありますね。音、光、ハプニング、

定型発達の人にもある、もちろんね。自分の健康、親の介護、子供の就職、などなど。

 

人間にとって「安心」はかけがえのないものだと、最近つくづく思うのです。

 

世界ではあちこちで「安心」が奪われていますね。明日生きていられるか?

明日も父親は元気に「ただいま」って言ってくれるだろうか?そんなふうに毎日を過ごしている人たちがいるなんて、本当に言葉がありません。

 

戦場で、また被災地での障害がある方々はどうするのだろうといつも思います。

我が子たちがもしも、避難所に行くことになったら。。。

 

慣れないところで寝泊まりをする。。。これだけで人一倍ならぬ、人十倍不安、

仕切りのないところでの生活は、ただでさえ「人の目」が怖い彼女たちにとって(情報量が多すぎるのだそうです)大変。細かいことが気になる、知らない人との会話は声が出せないほど緊張するし、、

人の声、雑音にも耐えられそうにありません。

 

きっと、、

車椅子の方、耳が不自由の方、どんな障害があっても困難を強いられますね。

マイノリティにも優しい環境がどのぐらい届けられるのでしょう。

 

ASDの本人たちもパニックになりたくてなっているわけではないのです、

でも、なってしまったら、、と思うと私自身も不安です。

 

どこかの新聞記事で読みました。じっとしていられないADSDの子供が、あちこち動かないようにと言われて、避難所にはいられないと家族で途方に暮れていた話。

 

だからこそ、そんな時にも、発達障害、ASD、ADHD などの障害に普段から理解をもっていただきたいと思います。安心して生活できる社会をと願います。