発達障害の娘と共に〜理解、安心

 

一昨日の講演会でのアンケートでは、こちらの活動をしてきてよかったというご意見を山盛りいただき、本当にありがとうございました。

 

当事者の声はまだまだ日本では届くことが少ないような気がします。Youtubeを見ても、海外での当事者の発信は山のようにあり、それぞれの特徴や過ごし方なども自ら語っている動画が簡単に見られます。

 

日本ではそれがなかなか少なく、お子さんの成長と共に見せる動画は拝見することができますが、大人のそれは機会がすくないのが現状です。

 

多くの自閉に関係した本が書店の棚に並ぶようになりましたが、、

 

なんとかこの定型発達の社会でうまく生きるにはどうしたらいいか?というアドバイス本はあっても、彼らがそのままで生きていくには?というものは、少ないですね。

 

「一般的にはこういう行動をすることが良いとされています、だから、頑張ってできるようになりましょう」

 

そんな本もまだまだ見られます。彼らの立場からものを見るのではなく、定型発達の立場で物事をみて、さあ、こちらの社会に慣れましょうね、、そう言われているようなきがします。

 

一昨日は 「理解」が「安心」を生むお話もしました。

 

もちろん理解は簡単なことではないと、私も承知しています。

 

ただ、「自閉症ってきっとこんな人」という認識を最初にもってしまうと、そこから認識がそのままになってしまう。

 

漢字からの印象で、「外の世界から閉じこもって一人でいるのが好きな人たち」なんて誤解がうまれます。

 

娘たちは、人と関わるのが大好き。でもコミュニケーションがうまくいかないので、だんだん臆病になってしまいます。なので、わからないことは聞いてほしい、そう思います。

 

が、「聞いては申し訳ないのでは?」と、これまたこちらの気持ちとは真逆に思われてしまうこともありますね。

 

まちがった解釈よりも、なんでも聞いてください、そして、そのままの自分をわかってほしい、、そう彼女たちは思っていると感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

発達障害の娘と共に〜今日は講演会

 

今日は藤沢市での講演会です。

 

親子で話すことによって、みなさまにありのままの我らをみていただくことができる、そんな午前中になります。

 

Hが一人でステージで話す、、一方的に話すのでコミュニケーションをとらなくてもいい、つまり堂々とできることの一つです。

 

が、私が横に座ると、それが少し変わります。

彼女の話を膨らませたり、別の視点ではなしたりすることになりますが、それがHにとって予定外、打ち合わせになかったことですと、ぴたりと会話が止まります。そしてHが、、

 

「え?そんなこと、きいてない」

「それは、、、話そうなんて予定になかった」

 

と、口に出していうこともありますね。これが私たちの日常でもあります。だから、そのままお見せしています。

 

多くの人がみていても、その方々が何をかんがえていらっしゃっても、Hは、自閉スペクトラム症をわかっていただきたいという思いで話すので、そこに迷いはありません。

 

もちろん、ケースバイケース、人によって違う自閉スペクトラム症ですが、彼女の実体験、日常での困りごと、助かること、などなど彼女にだからわかること、彼女しか体験できないこと、それによって、社会に思う事を発信するこの会は、12回目?になります。

 

今回は藤沢市のリートという発達障害支援センターの主催ですが、そこにはHと私がほぼ毎週通って、いろいろ話を聞いていただいています。

 

聞いていただくこともあり、こちらがお聞かせすることもあり、双方向のエネルギーが人のお役にも立てたらとひたすら思います。

 

知的障害がない重度の発達障害者だからこそ、できることを、できるだけさせていただければと思っています。

 

 

 

 

 

発達障害の娘と共に〜楽しみが義務になるとき

 

好きなことをするといい!よく言われることです。

皆さんも小さい時にあったはず。夢中になること。

これをしていたら、時を忘れるもの。

 

ご飯ですよーって呼ばれても気づかないぐらい夢中になること。

 

子供達にとって宝物ですね。

それを伸ばしていったらどうなるのか、親も楽しみです。

 

そして段々と大きくなると、それが夢につながることもあります。こうなりたい、ああなりたい、こんな人にあこがれる、

こんな職業につきたい。。。

 

親はそれを応援したい。

だから、いっぱい褒めました。

 

ただ、彼女たちは「すきなこと」をやっていると、、

「好きなんだから、もっとやらなきゃ」といつのまにか義務にかわってしまうことがあります。

 

歌が好き、習いに行く、もっと上手くならなきゃ。

手芸が好き、材料を買う、買った分つくらなきゃ。

 

好きなことが見つかった後のフォローは難しい。

 

生きているだけで儲けもの。

生まれてきたってすごいこと。

生きている今日に感謝。

 

なのに、、

これができなくても、こんなにできることがあるじゃない!

すごいすごい!!なんて褒め方になっちゃって。。。

 

『いろいろできないこともあるけど、これだけは絶対に上手くならなきゃいけない。』そう思わせていた日々も長かったはず。

 

励ましたつもりが、、、「生まれてきてくれてありがとう」

なんて大事なことを傍において、応援したつもりになっていました。

 

 

 

発達障害の娘と共に〜

家が休まるところでありますように

 

家に帰った時の気持ち、、、ホッとする。

ああーつかれたと言って、ドタっとソファに座り込む

お腹すいたーって冷蔵庫を見る

ひとまずお風呂にはいるわーって浴室にいく

ちょっと一人になりたいと自室に行く

トイレーっって駆け込む

 

それらができるところは 家ですね。

家は無防備になれるところで、殻が必要ないところ。

 

ここにも気を遣わなくてはならない状況はかなりキツイですね。

もちろん家族とはいえ、お互いに気を配ることはありますが、、、。

 

家に帰っても また、叱られる。

家に帰っても 話をきいてくれない。

家に帰っても どこかリラックスできない。

 

これでは「家 HOME」ではなくなりますね。

 

娘たちはそれをしていたらしい。

 

それは、私の話を、楽しそうに聞く(あまり興味がなくても)

慌ただしく、けたたましく動く私に ずっと合わせてきた

つかれていても その頃は唯一のコミュニケーションだった「話す」ことを一生懸命してきた。

 

 

本来ならば、、興味がないものには無表情(我が子のASDの特徴です)

本来ならば、、1度にやることは1つで、私のようにマルチで動かない。

本来ならば、、筆談を(今ならばAAC)するぐらい疲れている時もあった。

 

みんな私が彼女たちの特性を診断名としてわかっても、理解が浅かった時のことです。

 

いまなら、わかる、、、それが押し入れに隠したいほどいっぱいあります。

 

特性を知るだけではなく、その特性をどう理解した上で、せめて家の中ではどうしたらリラックスできるのかを、今からでも遅くない!!と行動しています。

 

一昨日仕事で人と長い時間あっていた昨日、一昨日なので、今日、明日、Hは休憩。

様々なことが気がつき、情報として入れてしまうので、脳がへとへとになるから。。

 

Nはイギリスで5年のビザ取得のために孤軍奮闘。

マルチでうごかなければならない、書類のやりとりでメールのやりとりをしなければならない、

 

自分の一番やりたいことのために、一番(特性として)できない、、に近いことをしなければならないのは、本当に酷だと思いますが、やりたいことがある、、、という幸せはなにものにも変え難い。

 

そしてそれを見つけられるまでは、親は頑張るーでありますね。

 

 

発達障害の娘と共に〜

変わらない「誕生日」のイメージ

昨日は彼女たちの叔母の誕生日でした。

幼い時の誕生日のイメージは、、、

 

お友達が祝ってくれて、

家に帰るとケーキがあって、

好物が並んでいて、

プレゼント授与があって、

主役になって、

みんなでワイワイ、、

 

姪としては、そんなイメージでいたのだと思います。

誕生日を迎える本人は、すでに60も越え、あまりパーティが好きなタイプではないので、別にいいわよ的でありますが、、

 

やはり、Hはプレゼントを届けて、、のイメージ。

あらかじめ用意してあったものを持ち、彼女と同居している母は96歳なので、みんなの健康も考えてケーキをやめて果物に。

 

本人は、骨粗鬆症の検査で、われらが先に彼女の家に到着。

彼女の帰りを待ってパーティ!!!のはずが、、、

 

病院が混んで、本人(彼女たちの叔母)の帰りは遅くなると知らせが来たので、Hは歌の練習に入りました。

 

が、それからまもなく帰宅。

そんなはずじゃ、、がその1)

じゃあ、すぐやめてパーティにしなきゃ、、がその2)

 

歌の練習はHの日課でもあり、エネルギー循環に大事なツールであり、ましてやビデオを撮るなんていってたので、途中でやめることはない、、と散々申しましたが、、いや、今日は誕生日だからと頭の中は「昔の誕生日会」

 

結局歌は途中でやめて、後回しにしましたが、こういう「こうするべき」と「本当はしたくない」が拮抗することがよくあります。

 

彼女はなかなか英語を話す機会がないからいわゆる、だれでも参加できる「英会話カフェ」(開催者は英語が第一言語の方)に行って話すようにしていますが、、、。

 

途中で気分がわるくなっても、

ちょっと、Hには言葉が過激な人がいても、

自閉スペクトラム症だと言って、それが誤解されても、

 

2時間いる!と決めたことに従おうとします。

彼女たちは定型発達の方よりも「きめたこと」が「自分の健康」より大事。

 

以前Nがある劇団で、「なるべく来てください」という指示で、っ出番がない日も自分がいかなくてもいい日でも、必ず行って、「私、倒れたい、、」と言ったことを思い出します。

 

強制終了をされないと決めたことをやめられない。

 

そして、なるべく、だいたい、、という言葉の曖昧さには、いつも頭を悩まします。

 

大体千円って、いくらからいくらまでのこと?

ケースバイケースですね。

 

同じ日本語を使っているので、私もあなたもわかっている、、と思うことは危険ですね。