発達障害の娘の「生き生き」と自分の「生き生き」の落とし所
こんにちは
このブログを書いていることで、色々わかることもあります。
逆に、あれ???もやってきて、自分の中でぐるぐる回ってしまうこともあります。
そのために、本を読んだり、ドクターの書いたものを読んだりもします。
それを自分で消化して、自分なりの結論や、HやNにとって、これはいいぞ、、と思うことをトライ、そしてエラー、、トライ、アンド、エラーの繰り返しですね。
私は、ピアノを生業としていますが、同じ曲でも弾く年代によってその弾き方は全く違います。
「エリーゼのために」を初めて弾いた時、大学生になって生徒さんに教えるために弾いた時、プロになって弾いた時、そして今、一直線に上手くなるわけではなく、螺旋階段のように登っていく感じがします。
子育ても、それに似ています。これだ!!と思っても、それが通用しないこともあります。一周してくると、次の段階にくる、そして試して、、、そんな繰り返しですね。
「生き生き」と生きることについて、ここのところずっと思っているのです。
Hのことではなくて、私のこと(笑)。
芸術をしているとこの壁に何度もぶち当たります。好きなことをして食べていく、、食べていくために安定を求め、好きなことができる環境を作る、、、などなど。。そして我が家はN,H,私と3人が、この芸術をしているので、えらいこっちゃであります。
年を重ねて、あれこれ巡って、あちこちぶつかると、そもそも、なんだっけ?と。そして、色々脱ぎ捨てて、生き生きしてみよう!!と。
そんなこと?と思われるかもしれませんが、そんなこと、、が難しいですね。時々、生き生きに「翳り」や「曇り」が出るので。。これ、必要なんですね。
私が生き生きする環境と、Hが生き生きする環境のあまりの違いに、改めてビックリ。
これは落とし所が難しいと考え続けている昨今です。
違う星の元に生まれたぐらい違う我らが一緒の家に住む、仕事以外、ほぼ一緒にいる、、ある意味、奇跡的に続いています。
そこに横たわるのは、愛情ですね、この人に幸せになってもらいたいと思う気持ちかなあ。
よくHも言うのです、そのこと。「お母様が幸せだといいなあ」って。
双方の「生き生き」の落とし所はまだ見つかりませんが、毎日相手が幸せだといいなあ、という気持ちは、確かにここにあります。
今日のもう一つの私のブログでは
ピアノの先生の選び方 というタイトルで記事を書いています。ご興味があったら是非。