大坂城特別公開 〔つづき〕 | ハタ坊のブログ

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お待たせしました (*^ー^)ノ
 


10月14日の体育の日 

あッ 

体育の日だから、イベントが多かったのか 
 
と、今頃気付きハタ坊なのであります  








重要文化財 『 大手口多門櫓 』

 
1628年徳川幕府による大坂城再築工事によって建造されたが
1783年に落雷のため焼失。

その後しばらく石垣だけの状態が続き、幕末に行われた
大坂城総修復工事によって1848年に再建されました。

幕府の動乱の中、大坂城を拠点とした14代将軍家茂や
15代将軍慶喜もここを通って本丸へと向かいました。

特に家茂は、しばしば城内諸施設の巡視を行い
この多門櫓や千貫櫓の中にも足を踏み入れています。

明治維新の大火や第2次大戦の空襲にも奇跡的に焼失を
まぬがれた多門櫓は、高さが14.7メートルあり
各地に現存する同種の櫓の中で最大の規模を誇ってます。






大手口の枡形

 多聞櫓から望む/大手口桝形とNHKホーム.jpg 
 向こうに見えるのは
『 里見八犬伝 』 があった NHKホール  



多門櫓は、この石垣上に建ち、大手門を超えて
侵入した敵を迎え撃つ役割を果たしました。

枡形の北、下に櫓門を有する渡櫓と、
その東につながる続櫓とからなってます。






続櫓の内部 【 武者走り(廊下) 】

多聞櫓へと続く.jpg 
右側に9畳・9畳・12畳・9畳・15畳・12畳と
6室の部屋があり、銃眼を備えた笠石が
枡形内側に17並んでいます。






渡櫓の内部

『大手口多聞櫓』重要文化財/特別公開.jpg 
4室からなり、中央は約70畳敷の広さを持ち
南端(左側)には櫓門を通る敵を攻撃する“槍落とし”
の装備を整えています。



大手口多聞櫓の内部.jpg 



櫓門の総鉄張の扉、槍落とし、枡形内部に向けられた銃眼など
大手口を守る様々な工夫がこらされており、また外観から想像
される以上に内部が広く、兵士が多数駐屯できるようになっています。






こんなのが あったよ   
 
守り石.jpg 
【 守り石 】

ここには、ボランティアの方が居られなかったので
はっきりした事は分かりませんが
石垣の中から出てきた法印された石だそうです。  








多門櫓を通り抜けると 『 千貫櫓 』 へと・・・



大手口を北側から守る隅櫓です。

西・南側は西外堀に面しています。

石落としは南面と西面に各1つ。

入口は東面と北面に各1つ。

窓や銃眼はいずれも外側(南面・西面)にあります。






千貫櫓の内部

『千貫櫓』重要文化財/特別公開.jpg
内室と周囲の武者走り(廊下)とからなってます。

2階には登れませんでしたが、南に荷揚げ装置があるそうです。






こんなのが沢山ありました・・・何なんだろう   

千貫櫓の内部/何でしょう?.jpg 



千貫櫓の歴史は、豊臣時代以前の石山本願寺の
時代にまでさかのぼります。

本願寺と織田信長との間で戦われた石山合戦の時
この櫓を攻めあぐねていた信長軍が 「千貫文の賞金
を出してでも奪いたい櫓だ」 と語り合った事が名称の
由来だといわれています。






千貫櫓の窓から大手口をのぞむ   
 
千貫櫓より/府警(刑務所:独房).jpg 
見えてる建物が大阪府警です    



ハタ 「 県警や! 」
ま~ 「 大阪府やのに!? 」
ハタ 「 ごめん! 府警やった!! 」



近くに居たオジサマ  

「 刑務所やで!!! 」
「 上の丸いとこがヘリポートやで 」
「 その下の黒いところが独房やで 」



えっ~~えぇぇぇ~~~  

刑務所    

何度も聞き直したが・・・刑務所と言い張るオジサマ  



オジサマ まだまだ語られる

「 あの小室哲哉が入ってた独房やで!!! 」
「 出所の時、見に行ったけどマスコミが多くて凄かったわ! 」 



何度も聞きますが、刑務所ですか  

大阪府警と大阪刑務所は別でしょ  

府警に有るのは刑務所じゃなく留置所でしょ Σ\( ̄ー ̄;) 

と、突っ込むのを止めた優しいハタ坊なのでありましたとさ  








そんなこんなで・・・遅くなりましたが

10月半ばの3連休の最終日のお話を

10月の最終日にお贈り致しました