座気
算命学には「座気(ざき)」という考え方があります。
ものごとの始まりは全て西からなのですが、ここに初代の気が備わると考えます。
そして西は攻撃本能の場所。
なので、初代は攻撃的な気が備わる、という考え方です。
性格的におとなしい人でも、何かを初めて始める場合は、西方の気=攻撃性(行動力)が備わる。
という考え方です。
会社や組織にも、この考え方をあてはめます。
どんな会社、どんな組織でも、これを始める人は行動力が無ければたちゆかなくなります。
がむしゃらに働いて会社、組織の基礎を固めていきます。
十大主星ならば車騎星。「野人」という意味があるように、なりふりかまわず突進します。
そして二代目は北。習得本能の場所ですので、二代目には知性が求められますし、知恵を働かせるようにしなければいけません。
初代ががむしゃらに働いて造り上げた会社、組織を、初代と同じようにがむしゃらに働くのではなく、二代目は知恵を働かせて、初代よりは静かに運営していくのです。
これは陰陽のリズムにもなります。
初代は陽、二代目は陰。
大自然は常にこの陰陽のバランスの上になりたっています。
ですので、初代が陽でがむしゃらに働いた。二代目も同じように陽的にがむしゃらに働く。そして三代目も・・・
と陰陽のリズムが違う場合、長続きしません。
二代目は知恵を働かせ、初代が築いた礎をしっかりと固めていく役割があります。
そして三代目はまた陽の役目。そして場所は東。場所も西や北の暗い場所から明るい場所に出てきました。
会社や組織が広く認められるようになる場所でもあります。
初代が始めて、二代目が固めた基礎の上に、大きく花を咲かせる役目が三代目。
どんどん大きく成長します。
そして四代目は南。明るい場所であり、快楽の場所でもあります。
初代~三代目までなんとかやってこられたとしても、ここで大きくタガが外れる危険性があります。
四代目が快楽に走って会社や組織の運営を疎かにしてしまうと、だんだんと崩れていってしまう危険性が大きくなります。
そして、五代目まで続いたとしても、この五代目は一区切りの場所。
五代目は中央が定位置ですが、中央は土性の場所であり、大きく変化する場所でもあります。
気学でも中央の五黄は大変化を表します。
五代目まで続いたとしても、ここで大きく変化して次元が変わります。
会社でいえば、それまでとは違う業務を始めたりすることも考えられます。
日本では、この5の倍数で組織が変化していくことが多いです。
室町幕府、足利家は十五代で消滅。江戸幕府、徳川家も十五代で消滅。
足利家、徳川家自体は、その後も続いているようですが、幕府としては終わってしまいました。
それぞれの方向に備わる気を「座気(ざき)」と言い、そこに座す人に座気が備わると考えます。
ものごとの始まりは全て西からなのですが、ここに初代の気が備わると考えます。
そして西は攻撃本能の場所。
なので、初代は攻撃的な気が備わる、という考え方です。
性格的におとなしい人でも、何かを初めて始める場合は、西方の気=攻撃性(行動力)が備わる。
という考え方です。
会社や組織にも、この考え方をあてはめます。
どんな会社、どんな組織でも、これを始める人は行動力が無ければたちゆかなくなります。
がむしゃらに働いて会社、組織の基礎を固めていきます。
十大主星ならば車騎星。「野人」という意味があるように、なりふりかまわず突進します。
そして二代目は北。習得本能の場所ですので、二代目には知性が求められますし、知恵を働かせるようにしなければいけません。
初代ががむしゃらに働いて造り上げた会社、組織を、初代と同じようにがむしゃらに働くのではなく、二代目は知恵を働かせて、初代よりは静かに運営していくのです。
これは陰陽のリズムにもなります。
初代は陽、二代目は陰。
大自然は常にこの陰陽のバランスの上になりたっています。
ですので、初代が陽でがむしゃらに働いた。二代目も同じように陽的にがむしゃらに働く。そして三代目も・・・
と陰陽のリズムが違う場合、長続きしません。
二代目は知恵を働かせ、初代が築いた礎をしっかりと固めていく役割があります。
そして三代目はまた陽の役目。そして場所は東。場所も西や北の暗い場所から明るい場所に出てきました。
会社や組織が広く認められるようになる場所でもあります。
初代が始めて、二代目が固めた基礎の上に、大きく花を咲かせる役目が三代目。
どんどん大きく成長します。
そして四代目は南。明るい場所であり、快楽の場所でもあります。
初代~三代目までなんとかやってこられたとしても、ここで大きくタガが外れる危険性があります。
四代目が快楽に走って会社や組織の運営を疎かにしてしまうと、だんだんと崩れていってしまう危険性が大きくなります。
そして、五代目まで続いたとしても、この五代目は一区切りの場所。
五代目は中央が定位置ですが、中央は土性の場所であり、大きく変化する場所でもあります。
気学でも中央の五黄は大変化を表します。
五代目まで続いたとしても、ここで大きく変化して次元が変わります。
会社でいえば、それまでとは違う業務を始めたりすることも考えられます。
日本では、この5の倍数で組織が変化していくことが多いです。
室町幕府、足利家は十五代で消滅。江戸幕府、徳川家も十五代で消滅。
足利家、徳川家自体は、その後も続いているようですが、幕府としては終わってしまいました。
それぞれの方向に備わる気を「座気(ざき)」と言い、そこに座す人に座気が備わると考えます。
簡単な性格判断法
私が普段使っている、簡単な性格判断法です。
生徒さんにも、まず最初に簡単に出来る「占い」として教えているものです。
ただ、生年月日を干支に変換できることが条件なので、もし干支の分からない方は、どこか他のサイトで知りたい方(あるいは自分)の生年月日を干支に変換しておいてください。
以前の記事でも、算命では人間の本能を5種類に分類するという説明はしました。
また、この5種類の本能は、方向にもあてはめられ、そのまま季節にもあてはめられます。
守備本能は東に配置され、季節は春。
伝達本能は南に配置され、季節は夏。
引力本能は中央に配置され、季節は土用
攻撃本能は西に配置され、季節は秋。
習得本能は北に配置され、季節は冬。
十干をこの5種類の本能に分類すると、
甲、乙は守備本能。
丙、丁は伝達本能。
戊、己は引力本能。
庚、辛は攻撃本能。
壬、癸は習得本能。
十二支は時間を表しますので、四季に当て嵌められます。
寅・卯・辰は春
巳・午・未は夏
申・酉・戌は秋
亥・子・丑は冬
ただし、辰・未・戌・丑は土用ですので、季節と季節のつなぎめになります。
さて、生年月日を干支に変換できたら、東西南北に干支を配置しなおします。
ごく大雑把な捉え方ですが、それぞれの季節を簡単な言葉で表すと、
東=春=ウエット
南=夏=ホット
西=秋=ドライ
北=冬=クール
ですので、東に多く配置された人はウエット=情的な人、南に多く配置される人はホット=情熱的な人。
と判断します。
さて、ここで問題が出てきました。
辰・未・戌・丑の土用は本来は中央だけど、これは?
はい、土用は、本来は中央なので、そのまま引力本能なのですが、この簡便法では、両方の季節の質を持っていると判断します。
つまり、
辰は春と夏の中間なので、ウエットな質とホットな質
未は夏と秋の中間なので、ホットな質とドライな質
戌は秋と冬の中間なので、ドライな質とクールな質
丑は冬と春の中間なので、クールな質とウエットな質
となります。
ごくごく大雑把な判断法ですが、けっこう的確だったりします。
ただ、これは干支そのものなので、本人の意識とは別です。
だからこの判断をそのまま本人に伝えても、ピンと来ないかもしれません。
生徒さんにも、まず最初に簡単に出来る「占い」として教えているものです。
ただ、生年月日を干支に変換できることが条件なので、もし干支の分からない方は、どこか他のサイトで知りたい方(あるいは自分)の生年月日を干支に変換しておいてください。
以前の記事でも、算命では人間の本能を5種類に分類するという説明はしました。
また、この5種類の本能は、方向にもあてはめられ、そのまま季節にもあてはめられます。
守備本能は東に配置され、季節は春。
伝達本能は南に配置され、季節は夏。
引力本能は中央に配置され、季節は土用
攻撃本能は西に配置され、季節は秋。
習得本能は北に配置され、季節は冬。
十干をこの5種類の本能に分類すると、
甲、乙は守備本能。
丙、丁は伝達本能。
戊、己は引力本能。
庚、辛は攻撃本能。
壬、癸は習得本能。
十二支は時間を表しますので、四季に当て嵌められます。
寅・卯・辰は春
巳・午・未は夏
申・酉・戌は秋
亥・子・丑は冬
ただし、辰・未・戌・丑は土用ですので、季節と季節のつなぎめになります。
さて、生年月日を干支に変換できたら、東西南北に干支を配置しなおします。
ごく大雑把な捉え方ですが、それぞれの季節を簡単な言葉で表すと、
東=春=ウエット
南=夏=ホット
西=秋=ドライ
北=冬=クール
ですので、東に多く配置された人はウエット=情的な人、南に多く配置される人はホット=情熱的な人。
と判断します。
さて、ここで問題が出てきました。
辰・未・戌・丑の土用は本来は中央だけど、これは?
はい、土用は、本来は中央なので、そのまま引力本能なのですが、この簡便法では、両方の季節の質を持っていると判断します。
つまり、
辰は春と夏の中間なので、ウエットな質とホットな質
未は夏と秋の中間なので、ホットな質とドライな質
戌は秋と冬の中間なので、ドライな質とクールな質
丑は冬と春の中間なので、クールな質とウエットな質
となります。
ごくごく大雑把な判断法ですが、けっこう的確だったりします。
ただ、これは干支そのものなので、本人の意識とは別です。
だからこの判断をそのまま本人に伝えても、ピンと来ないかもしれません。
算命学と私
なぜ占いの仕事をされるようになったのですか?
よく聞かれますが、なぜかどんどんと、こちらのほうへ引き込まれてきてしまったんですよね。
私の家では、代々続いてきた商売があります。
私で五代目になるのですが、子供の頃から親の姿を見てきたせいか、この商売がとてもいやでした。
朝早くから夜遅く迄働いて、腰を悪くして医者にかかる。
それでいて、たいして儲かっているとも思えませんでした。
この商売は、とても利益率の低い商売ですから、薄利多売にしなければならない。
すると忙しく働くだけ。
それでも親は私を大学まで進学させてくれました。
ただし本人は極楽トンボでふらふらとクラブとバイトに明け暮れていました。
そんな学生生活も終わりに近づき、就職活動をしました。
今思えば大バカやろうですが、大手広告代理店2社しか受けなかったのです。
当然、受かるはずもなく、しかたなく実家の商売を手伝うことになりました。
その就職活動の時に、地元で有名だった占い師のおじいちゃんに見てもらったことがあったのです。
その方は四柱推命と周易、気学、手相、人相など、いろいろな占術を使う方だったのですが、その方に就職活動について聞いたのです。
すると、今でもこれは覚えています。
天地否(爻は忘れました)が出たのです。
これでは合格するはずは無いですよね。
しかたなく手伝い始めた商売ですが、やはり面白くない。
全く興味が持てなかったのです。
そこで思い出したのが、あの占い師の先生。
あれはけっこう面白かったな。俺もあんなことが出来たら良いな。よし、教えてもらおう。
ということで、その占い師の先生の門を叩いたのです。
この先生には四柱推命を中心に、気学と周易を少し教わりました。
二年くらい、通ったでしょうか。
その後、鮑黎明という名前の中国人が紫微斗数の本を出した。これはなかなかすごいものだ。
という話を聞き、その本を自分でも購入して読み始めたところ、これが非常に面白い。
夢中になってしまい、四柱推命も気学も周易もほったらかしで、この紫微斗数ばかりを使うようになってしまいました。
そして、その当時、板橋にあった鮑先生のお住まいに押し掛けていって、半ば強引に仕事を手伝わせていただくようになりました。
そこで出会ったのが東海林秀樹さん。
今は幾つも著作も出されている大家ですが、その当時はお互いに駆け出し。東海林さんも鮑先生の鑑定を受けにいらしてました。
ここで東海林さんに出会ったのが、その後の自分の人生を大きく方向付けることになるとは、思わなかったですけれど。
鮑先生の手伝いをしながら自宅の商売もしていたのですが、だんだんと商売が忙しくなってきてしまい、鮑先生のお手伝いが出来なくなってしまいました。
その後、結婚し、子供が生まれて、しばらくの間、占いとは全く無関係の生活を過ごしていました。
東海林さんから「算命学という占いがあるんだけど、久しぶりにやってみないか?」というお誘いを受けて、東海林さんが講師をされていた学校へ入学しました。
しかしその直後、父が海外旅行から戻ってきてすぐに入院。二週間遅れて母も入院。
実家の仕事関係で大きなイベントを企画していたのですが、そのイベントの当日に父が他界し、その隣では母が手術。
その後、その母も半年後に他界しましたが、その二週間前に二人目の子供が生まれました。
私は兄弟がおらず、実家の仕事を全て一人でやらなければならなくなってしまいました。
その上、相続の手続きやら葬儀の手配やらで忙殺されました。
とても算命学の勉強をしに出かけていく余裕などありませんでしたので、その学校にあった通信制度を利用して勉強だけは続けました。
二歳半になっていた長女を車の助手席に座らせながらの仕事。
その車で通信講座で送られてくる資料の、先生の解説テープを繰り返し繰り返し聞きました。
一緒に送られてくるテキストを読んでいる余裕は無かったので、このテープを聞いている、車を走らせている時間が私の勉強時間でした。
今考えてみれば、この繰り返し同じテープを一ヶ月聞き続けたのは、とても良い勉強になったと思うのですが、その頃は忙しさと過度のストレスでノイローゼになりそうなくらい滅入っていましたので、そのテープを聞きながら車を運転している時が至福の時間でした。
その通信講座も終了し、あとは通学するしかなかったので、月に一度だけなら、と時間を作って通いながら勉強しました。
そして全てのカリキュラムを終了しました。
その後は縁あって幾つかの学校の講師をしたりカルチャーセンターで教えたり、また個人教授を頼まれることも多くなってきました。
これまでの人生の中でも、最も大変な時期を算命学と一緒に過ごしてきましたが、算命学を知らなければ、何故こんなことがおきるのか、分からなかったでしょう。
荒波に翻弄されるような時期も、算命学を知っていたからこそ、なんとか精神的に踏みとどまれた気がしています。
私には「反転大運天中殺」という運型がありました。
何もしらなければ、この運型にどっぷりとハマって、先祖から受け継いだものを全て無くした上で一家離散していてもおかしくなかったのです。
それが、算命学の知識があったため、精神的な覚悟ができたので、幾らかは軽くなったのではないかと思っています。
一般的には占いというものは、ちょっと胡散臭いもの、妖しげなもののように思われることもあるのですが、長い時間をかけて積み上げられて来た人間の知恵の集積です。
いくら科学が発達しても自然の流れには逆らえません。
その自然の流れを少し見せてくれるのが、いろいろな種類の占いです。
せっかくなら上手に、この知恵を活用していただきたいものです。
よく聞かれますが、なぜかどんどんと、こちらのほうへ引き込まれてきてしまったんですよね。
私の家では、代々続いてきた商売があります。
私で五代目になるのですが、子供の頃から親の姿を見てきたせいか、この商売がとてもいやでした。
朝早くから夜遅く迄働いて、腰を悪くして医者にかかる。
それでいて、たいして儲かっているとも思えませんでした。
この商売は、とても利益率の低い商売ですから、薄利多売にしなければならない。
すると忙しく働くだけ。
それでも親は私を大学まで進学させてくれました。
ただし本人は極楽トンボでふらふらとクラブとバイトに明け暮れていました。
そんな学生生活も終わりに近づき、就職活動をしました。
今思えば大バカやろうですが、大手広告代理店2社しか受けなかったのです。
当然、受かるはずもなく、しかたなく実家の商売を手伝うことになりました。
その就職活動の時に、地元で有名だった占い師のおじいちゃんに見てもらったことがあったのです。
その方は四柱推命と周易、気学、手相、人相など、いろいろな占術を使う方だったのですが、その方に就職活動について聞いたのです。
すると、今でもこれは覚えています。
天地否(爻は忘れました)が出たのです。
これでは合格するはずは無いですよね。
しかたなく手伝い始めた商売ですが、やはり面白くない。
全く興味が持てなかったのです。
そこで思い出したのが、あの占い師の先生。
あれはけっこう面白かったな。俺もあんなことが出来たら良いな。よし、教えてもらおう。
ということで、その占い師の先生の門を叩いたのです。
この先生には四柱推命を中心に、気学と周易を少し教わりました。
二年くらい、通ったでしょうか。
その後、鮑黎明という名前の中国人が紫微斗数の本を出した。これはなかなかすごいものだ。
という話を聞き、その本を自分でも購入して読み始めたところ、これが非常に面白い。
夢中になってしまい、四柱推命も気学も周易もほったらかしで、この紫微斗数ばかりを使うようになってしまいました。
そして、その当時、板橋にあった鮑先生のお住まいに押し掛けていって、半ば強引に仕事を手伝わせていただくようになりました。
そこで出会ったのが東海林秀樹さん。
今は幾つも著作も出されている大家ですが、その当時はお互いに駆け出し。東海林さんも鮑先生の鑑定を受けにいらしてました。
ここで東海林さんに出会ったのが、その後の自分の人生を大きく方向付けることになるとは、思わなかったですけれど。
鮑先生の手伝いをしながら自宅の商売もしていたのですが、だんだんと商売が忙しくなってきてしまい、鮑先生のお手伝いが出来なくなってしまいました。
その後、結婚し、子供が生まれて、しばらくの間、占いとは全く無関係の生活を過ごしていました。
東海林さんから「算命学という占いがあるんだけど、久しぶりにやってみないか?」というお誘いを受けて、東海林さんが講師をされていた学校へ入学しました。
しかしその直後、父が海外旅行から戻ってきてすぐに入院。二週間遅れて母も入院。
実家の仕事関係で大きなイベントを企画していたのですが、そのイベントの当日に父が他界し、その隣では母が手術。
その後、その母も半年後に他界しましたが、その二週間前に二人目の子供が生まれました。
私は兄弟がおらず、実家の仕事を全て一人でやらなければならなくなってしまいました。
その上、相続の手続きやら葬儀の手配やらで忙殺されました。
とても算命学の勉強をしに出かけていく余裕などありませんでしたので、その学校にあった通信制度を利用して勉強だけは続けました。
二歳半になっていた長女を車の助手席に座らせながらの仕事。
その車で通信講座で送られてくる資料の、先生の解説テープを繰り返し繰り返し聞きました。
一緒に送られてくるテキストを読んでいる余裕は無かったので、このテープを聞いている、車を走らせている時間が私の勉強時間でした。
今考えてみれば、この繰り返し同じテープを一ヶ月聞き続けたのは、とても良い勉強になったと思うのですが、その頃は忙しさと過度のストレスでノイローゼになりそうなくらい滅入っていましたので、そのテープを聞きながら車を運転している時が至福の時間でした。
その通信講座も終了し、あとは通学するしかなかったので、月に一度だけなら、と時間を作って通いながら勉強しました。
そして全てのカリキュラムを終了しました。
その後は縁あって幾つかの学校の講師をしたりカルチャーセンターで教えたり、また個人教授を頼まれることも多くなってきました。
これまでの人生の中でも、最も大変な時期を算命学と一緒に過ごしてきましたが、算命学を知らなければ、何故こんなことがおきるのか、分からなかったでしょう。
荒波に翻弄されるような時期も、算命学を知っていたからこそ、なんとか精神的に踏みとどまれた気がしています。
私には「反転大運天中殺」という運型がありました。
何もしらなければ、この運型にどっぷりとハマって、先祖から受け継いだものを全て無くした上で一家離散していてもおかしくなかったのです。
それが、算命学の知識があったため、精神的な覚悟ができたので、幾らかは軽くなったのではないかと思っています。
一般的には占いというものは、ちょっと胡散臭いもの、妖しげなもののように思われることもあるのですが、長い時間をかけて積み上げられて来た人間の知恵の集積です。
いくら科学が発達しても自然の流れには逆らえません。
その自然の流れを少し見せてくれるのが、いろいろな種類の占いです。
せっかくなら上手に、この知恵を活用していただきたいものです。