当時は未だ英語もろくにしゃべれない状態で、ただ移ってきてしまっ為、実際の仕事は日本に居た時と同じで、何から始めれば良いか分からない状態でした。そんなとき特に親しかったアシックスの部長が、私の事務所兼自宅の香港の部屋に訪ねてきてくれたのですが、日本に帰って私の弟に電話をして、「あいつは香港のビルの26階で仙人みたいな生活をしているぞ、どうにかしないと頭がおかしく成るぞ」と言っていたそうです。
実際何から始めれば良いのか分からずに、数ヶ月が過ぎてしまったのですが、そんな中で中国で、スキー帽を生産する計画の有ったフェニックスの生産担当者が、香港に来て当社の生産計画の確認に来たのですが、未だ何も分からない状態で、香港の材料メーカーや工場を案内して回った時は、冷や汗ものでした。フェニックスの生産担当者にも後で、「菊地さん未だ何も分かっていなかったのでしょう」と言われてしまいました。
その後、日本語の話せる香港人を雇い入れ、香港の帽子製造組合の会長をしている会社と提携して、香港での帽子生産や、材料調達のルートも出来る様に成りました。当時はまだ色々な業種の工場が香港に残っていて、[MADE IN HONG KONG]の製品が欧米に出回っている時代でした。今は皆無に近いと思いますが。
1990年 "SUNSHINE MIYAKO CO.,LTD." を香港に設立した後、フィリピンでラタンのバスケットを欧米に輸出している大手の工場のオーナーでフィリピン国籍の中国人と合弁で、香港に "SUNSHINE SPORTS PRODUCTS LTD." とフィリピンに "SUNSHINE SPORTS PRODUCTS PHILIPPINES INC." を設立しフィリピンではマニラ市内の工業団地に2000平米程度の工場を作り、ニット帽子の生産を始めました。
布帛の帽子は、広州の工場が有るので問題は無かったのですが、ニット帽子はこれと思う工場が見つからなかったので、日本の工場の主だった機械を移設して、管理者も日本で研修させ、工場長や技術者も日本から移住して、設備もシステムも、全て日本式の工場を稼働させました。
