帽子作り50年のブログ -8ページ目

帽子作り50年のブログ

帽子やアパレルを海外工場で生産する経験談

フィリピンに工場を作る迄は、海外の既存の工場に生産を委託して、その生産方法を教え、日本式の帽子を生産してきたのですが、いざ場所の選定、工場の設計建設までまかされる様に成ると、今迄私が持っていた工場の概念や日本での工場経営の経験を生かそうと意気込んで、設計図を書いても、合弁相手の経営者側からは、色々と反対が起こり何度も修正を余儀なくされました。

当時まだフィリピンのインフラ事情や、工場運営の慣習、工場労働者の考え方に理解の足らなかった私の工場設計図は、単に日本の工場設計の経験に依るもので、現地の事情をあまり考慮していませんでした。

 小さな町工場に生まれ育った私は、経営者も従業員も一緒のテーブルで一緒に食事をとり、一緒に仕事をする事が、良い事と考えていましたので、設計図の段階では、一カ所の食堂一カ所のトイレしか作りませんでしたが、これは猛反対に遭い、特に生産ライン従業員の予定者達からは、「経営者と同じ食堂やトイレしかない工場では、働けない」とまで言われました。

海外の工場で生産をするとき、その工場やその国の状況を理解した上で、日本式の生産方法をとけ込ませる努力をしないと、結局は思う様な製品は作れない事をそのとき学びました。

このフィリピンの工場は、日本の当社の工場のコンピューターの編み機を移設し、当時日本で生産を請けていたフェニックスのスキー帽を生産する事を、当初の目的としていたので、製品の内容や品質は問題なかったのですが、海外工場で生産する目的の一つである原価の低減については、あまり効果はなく、また納期を守る点についても、色々問題が発生しました。
 特にフィリピン人は、『仕事よりも家族』の考えが強く、どんなに仕事が忙しい時でも、家族の記念日や地域のイベントが有る時は仕事を休んでしまい、生産を管理する者としては頭の痛い毎日でした。
 また仕事の分担をはっきりする意識が強く、私の工場に対する考えで、「自分の工場や職場は、常に自分たちで掃除してきれいにする。そうでないと出来た製品も質の悪い物になってしまう」と、要求しましたが、スタッフの反応は、「それではジャニター(掃除専門のスタッフ)を雇えば良い。その方が常に工場はきれいに掃除され、自分たちももっと仕事に専念出来る」という物でした。

 ニットの編み糸は、当時フィリピンに有った日本のダイヤファイバースの工場に依頼して、染色からコーンアップ迄した物を仕入れていたのですが、発注から納品迄に時間がかかるので、「どうしてそんなに時間がかかるのか」と文句を言いに工場に行ったところ、実は既に染め上がっているけれど、コーンアップの部門が忙しくてまだ巻き上がっていないとか、既に全ての作業は終わっているけど、配達の予定は来週になっているので、ここに置いてあると言った返事が返ってくるので、私は毎週の様に工場に行って、時には小さなお土産を持って行って、直接その部門の責任者に納期を短縮するよう頼んだり、時には私の車に積んで持ち帰る様に成りました。しかしその後その事が問題になり仕入れ先の社長から「生産の秩序を守れないので、止めてくれ」と言われ、工場への出入りを禁止される事も有りました。
 日本の工場で培った『どんな事でもして、納期や品質を守る』アパレル業界の根性は海外では通用しない事も学びました。