帽子作り50年のブログ -19ページ目

帽子作り50年のブログ

帽子やアパレルを海外工場で生産する経験談

家業を引き継いだ私は、業界の体制に疑問を感じていました。それは殆どの帽子メーカー特にニット帽子メーカーは、自社内に生産設備を持たず外注の工場からの仕入れた物を問屋に販売する形で、実際の工場の生産資金と在庫の蓄積を賄う仲買問屋的な業態で、材料の買い付けと製品在庫のシーズン前の買い取りが主な業務となっていました。外注工場は幾つかの帽子メーカーに供給している為、新年度の新製品は、前年他の帽子メーカーに供給した商品であったりして、またそれを買い取る問屋さんは、前年他の帽子メーカーに注文した物と同じ物である事を承知の上で、買い付けをする事もしばしば有り、その事が業界の秩序を乱さず、皆で利益を分け合う業界の体質になっていました。

私が家業の帽子屋を受け継いだ時でも、私の会社「都製帽」は15年以上継続していましたし、先代の操業からは、25年以上の実績を持っていました。しかし業界では既に操業50年以上の会社が多々有り、我々の会社は「新参者」と見られていました。そんな中で我々は先行他社に「追いつけ、追い越せ」をスローガンに、販売を延ばす事を画策しましたが、業界内には既に個々のメーカーの販売割当枠の様なものが存在し、業界内での販売拡大は容易では有りませんでした。
そんな中で、我々は当時ブームの兆しが見えたスキー用品業界にスキー帽を販売するため、先代の時から繋がりの有ったスポーツ衣料の「臼井繊維工業」から直接注文を受け、販売を始めました。
「臼井繊維工業」は後に「ジェレンク」と名前を買え、その後3社合併で「アシックス」となる訳ですが、当時業界外への販売は、問屋が行うのが暗黙のルールになっていた為、業界の組合では業界の秩序を乱す「異端児」と見られ軋轢も有りましたが、既に「ジェレンク」への販売は、当社の売り上げの過半数に有り、その後もスポーツ問屋の「シモグチ」を通してスポーツ用品の「ビクトリア」や、時代は異なりますが、「アルペン」のスキー帽子の OEM生産で、スキー帽子メーカーとしての地位を築き、結果業界からは遊離して行く様になりました。