「ジェレンク」の OEMでスキー帽を生産していた我々は、1972年に札幌で冬季オリンピックが開催される事が決まると、選手用のスキー帽を開発するよう依頼され、特にジャンプ競技では出来るだけ遠くまで飛べる軽くて風の抵抗を少なくした帽子を要求されました。
当時既に自家工場を茨城県に持ち、ニット帽子の生産技術を蓄積してきた当社は、半年以上の試行錯誤を経て、スパンテックス糸を編み混ぜた細かいゲージの特殊な編み方で作った帽子を完成させました。それは従来より重さで30%以上軽く、頭に密着する表面の平らなスキー帽でした。(当時は未だ、アルペン競技やジャンプではヘルメットを用いず、スキー帽を使用していました。)
ジャンプでは、衣笠選手をはじめとして、金銀銅メダルを日本選手が独占する快挙で、「日の丸飛行隊」と呼ばれる様に成りましたが、その快挙の裏には当社の帽子も僅かながら寄与したのではないかと密かに自負しています。
話は前後しますが、外注依存の帽子メーカーに疑問を持っていた私は、1970年に茨城県に帽子工場を作りニット帽子の生産を一貫して行う様に成り、そこに住み込んでサンプル作りから仕上げ迄すべて目の前で管理する様に成り、自分でも実際に編み機を操作していて『ものつくり屋』としては、一番楽しい時期であったと思います。ただし、今考えると機械は相当時代遅れなもので、その後当社でも導入した「アブリル」や「シマセイキ」のコンピュータ編み機に比べるとジャガードの柄版組に1週間も掛かったり、日本製の機械は鋳物部分が多い為、正月休み明けで機械が冷えている時に急に稼働させて鋳物部分が割れたりと、実際の生産技術とは異なる部分での工場運営の経験も積む事が出来ました。
*文中の会社名の敬称は省かせて頂きました。