帽子作り50年のブログ -17ページ目

帽子作り50年のブログ

帽子やアパレルを海外工場で生産する経験談

1975年秋、当時のジェレンクの企画担当者や材料メーカーの担当者たちとヨーロッパのフランクフルトで開かれるスポーツ商品の展示会 [SPOGA] やヨーロッパのスポーツショップを見て巡る事になり、初めての海外旅行それもヨーロッパに3週間程度行く事になり、行きと帰りの飛行機以外はすべて自分たちで決めて行く、珍道中をしました。
 そのとき見たスキー帽子は、今迄我々が作っていた物とは全く違う物で、これが今世界で売れている物なのでと、カルチャーショックを受けました。帰国後私はヨーロッパで見たスキー帽を作る事に没頭し、色々な形のスキー帽を作りましたが、日本では未だそれほど売れる物では有りませんでした。
 ジェレンクがオニツカ(株)や(株) G.T.O.と合併してアシックス(株)が発足するとスキーウエアー部門は旧G.T.O.部門の中に入り当初はあまり注文が有りませんでしたが、アシックスが [ATOMIC] や [BLIZZARD]のブランドを扱う様に成り、その後 [KILLY]ブランドがヒットするとこれらのOEM注文が急増し、ヨーロッパで見た様なスキー帽が、大いに売れる様に成りました。
 この頃、当社はスポーツ帽子メーカーとしては、業界で一目置かれる様に成りましたが、それとともにファッション帽子メーカーとしては、デザイナーのリクエストを基に帽子を製品化する事を得意として、芦田淳や山本寛斎、VAN JAC.の帽子作りに携わってきたにもかかわらず、その実績を急速に失う様になりました。