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帽子作り50年のブログ

帽子やアパレルを海外工場で生産する経験談

ギフトゲートでの販売量が拡大するとともに、当初始めたニットの帽子やマフラーから、手袋やソックス、ぬいぐるみ式のディパック、コインパース等に広がりましたが、今迄に無かった様な物が殆どで、外注工場の職人さんの家を回り、どうしたら商品化出来るか機械の前で、試行錯誤しながらサンプルを作っていたので、それ迄知識の無かった帽子以外の製品の生産に対する知識を身につける事が出来ました。
特に手袋やソックスでは、大きな刺繍を付けた製品を要求され、それまで専門の大手工場では出来ないと断られていた刺繍のサイズに挑戦して、特殊な刺繍の枠を作り、手の甲一杯にハローキティーの刺繍を付ける事に成功しました。この刺繍の枠は実用新案を取り生産を始めたのですが、注文数が予想以上に大きく成り、また開発に携わった刺繍工場以外には生産を依頼する事を考えていなかった為、納品出来た数量は、注文を遥かに下回る物でした。
翌年サンリオの斡旋で、大手の手袋やソックスのメーカーにこのノウハウを教え、多少の技術指導料を頂いて、サンリオの手袋やソックスの生産からは撤退したのですが、この挑戦で材料や機械、仕上げの方法や刺繍の付け方など多くの事を学びました。

当時サンリオの辻社長は年に数回仕入れ先を集めて経営方針や現状報告の様な、講演会を行っていましたが、その中で二つのいつも思い出す話が有りました。
 一つは、当時アメリカやメキシコに進出し始めた頃でしたが、アメリカの大手チェーン店から提携の打診が有ったが、あえて断ったという事でした。この大手チェーン店と提携すれば、すぐに数百万個の販売が出来る。でも何かの問題が発生したり商品の人気が落ちた時に、それは一気にゼロになってしまう。それよりも時間がかかるが、一軒一軒ギフトゲートを立ち上げて、100軒200軒として行けば、仮になんらかの問題が発生したとしても、それは全体の数パーセントに過ぎず100軒200軒の底力は必ずその問題を解決出来る。とのお話でした。
二つめは、我が社は、女子社員を採用する基準の一つとして、かわいい子を採用する。その事に依って、男子社員は楽しくやる気を出して働くし、仕入れ先の担当者も彼女たちに気に入られようと一生懸命になって仕事をしてくれて、良い物が生まれる様に成る。サンリオに携わる人たちが、楽しく仕事ができれば、サンリオ製品を買ってくださるお客様も幸せに出来る。と言うものでした。講演会での社長のお話は、私の理解ですので間違っているかもしれませんが、未だに私の耳に残るお話でした。

ギフトゲートをアメリカに展開し始めた頃、辻社長のご子息の故邦彦氏がアメリカの留学から帰ってきて、サンリオに入ったとき辻社長から新しいギフトゲートの商品を二人で協力して作る様にとのお話が有り、その後邦彦氏とは、いつも一緒に打ち合わせをしていましたが、このブログを書くに当たって、サンリオの現況を調べたとき邦彦氏の急逝を知り、驚きました。
 心よりの哀悼の念とお悔やみを書き添えます。