帽子作り50年のブログ -14ページ目

帽子作り50年のブログ

帽子やアパレルを海外工場で生産する経験談

スキーブームが定着して、アシックスの「キリー」ブランドや、スポーツショップのヴィクトリアに納めるヨーロッパスタイルのニット帽子が、良く売れる様になりましたが、スキー商品業界に飽和感が出始めてきた頃、スキーウエアーで注目を集めていた(株)フェニックスから呼ばれて当時代々木に有った本社事務所に初めて伺ったとき、担当の企画部長から競争相手の [KILLY]ブランドに関わる工場とは会いたくない、でも [GORE-TEX] を知らない工場とは話もしたく無い。と言われて(株)フェニックスの仕事が始まりました。当時当社ではアシックスとのサンプル作りの中で、「衣服内気候」をテーマに防水透湿素材やアルミ蒸着素材を利用した帽子を研究していて、岡山の日本ゴアテックスの工場に行って帽子やスキーグローブ用のシームレスの完全防水のフイルムを作ったり、当時未だヘルメット着用の無かったスキーのスラローム競技で、旗門の衝撃を和らげる帽子やパッド入りスキーセーターを開発していて、その経験からフェニックスが企画していた完全防水で透湿性の有る、体全体を覆うスキーウエアーに組み込む帽子の開発を依頼され、帽子とマスクを一体化した「フルフェイスキャップ」が出来上がりました。これは GORE-TEXを素材に頭部全体を覆う帽子で、ゴーグルを付けると、肌の露出する部分は無くなる物で、上代は1万円にもなる物でしたが、良く売れました。バブル時代だったのですね。

また1984年のロサンジェルスオリンピックのときマラソンの瀬古選手の金メダルが有望視され、アシックスからロサンジェルスの暑さから守る帽子を依頼されて、保冷剤を頭部に装着したり首の後を日光から守る為の垂れを付けたり、はては表面を全てアルミ蒸着素材で作って日光の輻射熱を遮るとともに、アルミの反射で後続選手を眩しくさせる等、今考えると笑い話の様な企画会議を半年もして、サンプルを作り上げました。しかし瀬古選手はロサンジェルスオリンピックでは惨敗してしまい、我々の作った帽子もレースでは使われませんでした。

その後帽子では有りませんが、アシックスが「ラガー」というラグビー用のブランドを立ち上げると、選手用のジャージーの生産を請負い、各チームのジャージーを各選手の体型に合わせて一枚ずつ作る様に成りました。これは各チームのジャージーの柄がボーダーの様な無地でない場合は、Sサイズも3Lサイズも同じボーダーの本数でなくてはならないので、各サイズの柄の幅を少しずつ変えて編む必要が有り、また耐久力は200キログラムの力で引っ張っても破れない物を要求され、コストは非常に高く成りまた生産量は限定された物で、採算の取れない物でしたが、本業を顧みず没頭しました。特に年末に花園ラクビー場で開かれる高校ラグビーの大会では、出場校が決まるのは11月になってからで、短期間での生産を強いられ、出場前に監督から出場選手一人一人に新しいジャージーを手渡される儀式が或る為、それに間に合わないと勝てないと言われて、アシックスの担当者と一緒に年末は奔走していました。

ここに書かれた製品は、写真が有れば良かったのですが、当社はOEM生産を請け負う仕事だったので、当時の製品の写真は保管しておらず、残念ながら添付する事が出来ません。もしお客様の古いカタログが、手に入れば良いのですが。