海外生産が思う様に進まず、不良品の発生に悩まされる事が度々有る様になると、社内からは「やはり海外で物作りをするのは無理だ」、「海外の帽子は日本では売れない」等の不満がわき起こり、「社長の道楽も程々にしてくれ」と諌言されました。
しかし私には、「ここで成功しないと後は無い」との崖淵的な悲壮感も有り、当社の技術者を工場に送り込み、日本的生産方式を植え付けようとしました。
特に韓国の布帛帽子の工場は、ミシンの掃除の仕方からハサミの持ちかた迄、徹底的に教え込ませたため、現場の従業員からは強い反発を受けました。当然彼らにも今迄の生産システムも、プライドも有る訳ですから、当然の事だと思います。
私は工場の経営者と何度も話し合いをし、「我々の指示通りに生産システムを作り直すか」、「我々が撤退するか」、を決めてくれと迫り、工場の社長の決断で、全て我々の生産システムに工場を作り替える事になりました。韓国では社長の決断は重く、工場内は一致して我々の要求を受け入れてくれる様に成りました。
この工場は、それまで東大門市場で売る帽子をビルの地下室で細々と作る小さな工場でしたが、その後韓国にもスキーブームが来ると、韓国の大手スポーツメーカーの帽子を生産する工場と発展して、自社ビルを建てて工場も地上に立派なものを作りました。その社長とは後に、あの時の苦労のお陰で、「地下から地上に這い上がってきた」と笑ったものでした。
当時日本の会社が海外に生産を委託する場合、生産に必要な部分だけを教えて、その他は教えない、というのが一般的でした。そうしないと後で、『教えた工場に追い抜かれる』といった危惧を持っていました。しかし当社は、「我々の持っている全ての知識と経験を教えよう、そうしないと我々の本当に欲しい帽子は作れない」との信念で、日本式帽子生産を植え付けようと考えていました。そして海外の工場が我々よりも良い帽子を作る様になれば、我々も発展出来ると考えていました。
余談ですが、私は出来た帽子を見れば、その帽子がどの国で作ったものか、どのような工場で作ったものか、大体分かります。それくらい、国に依って、工場の成り立ちや経営者のポリシーに依って、帽子は違ってくるものなのです。たかが帽子ですが。