「アメリカから来た少女/アメリカン・ガール」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

闘病の母親と共に台北へ帰国した少女フェンはアメリカの生活が忘れられず、さらに台湾の学校の厳しい教育環境で疎外感に苛まれる…ロアン・フォンイー監督の長編デビュー作は思春期の少女が思い描く人生の甘酸っぱさを織り込んでいく。2021年製作。Netflixにて配信中。

 

台北に住む家族の諍いを憂うように映し出す撮影が印象深い。台湾の映画賞となる金馬奨で撮影賞(撮影:ヨルゴス・バルサミス)を受賞したのも合点がいく。思春期のフェンが自身の主張と家族や社会との乖離で苦悩する心情を巧く捉えている。

 

終盤に父親の言葉と大好きな馬との触れ合いがフェンの人生を変える。"妨げ" を避けるのでなく乗り越えなければ、新たな "妨げ" が現れてしまい避ける選択肢を繰り返してしまう。それでは成長しない、わがままが露呈するだけである。ここで私たちも問われてくる。自身の要求を押し通すのではなく折り合いをつけることで優しさを学んでいく。ラストシーンはフェンの心が開かれたことを隠喩する名場面となる。

 

この物語には私が過去記事で述べている傑作の条件、

・苦悩と怒り

・ボタンの掛け違い

・持ち上げてから突き落とす

これらが全て入っている。どのシーンが該当するかはネタバレになるので伏せておくが、脚本も兼ねているロアン・フォンイー監督の功績に驚嘆する。次回作が楽しみな新鋭である。

 

世間は善と悪のごとく二分化できない。愛憎という言葉も分け隔てるのではなくグラデーションで揺れ動く感情を物語る。家族という血縁の繋がりは、その否定できない事実と理想を求めるジレンマが日常の中で刺さりこむ。そこで私たちは苛立ったり安堵したり起伏する情感を抱いている。フェンの成長はつまずきながらも変わることを厭わない。善として周囲の悪に抗わず悲観せず、悪として卑屈な態度へ陥ることもない。自身の短所を家族と共に繕う情景が微笑ましい。そこに倫理や合理性が介在しないからこそ心安らぐ。

 

-----------------


ここまで読んで下さってありがとうございます。ブログランキングに参加しています。

もしよろしければ、↓下をクリックしてください。よろしくお願いします。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村