「ストーリー・オブ・マイライフ 私の若草物語」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

ルイーザ・メイ・オルコットの「若草物語」をグレタ・ガーウィグ監督が手掛ける。前作「レディバード」で生き方が不器用な女性を描いた新進女性監督が古典ともいえる四姉妹の物語をなぜ取り上げるのか、興味を抱いて鑑賞。なるほど、グレタ・ガーウィグ監督の "仕掛け" が終盤やってくる構成に思わずニヤリとさせられる、"これ" をやりたかったのね。

 

しかし全体通してみるとウーマンリブの精神が登場人物のセリフとして散見されるのが鼻につく。私はミソジニストという批判を覚悟して言います。女性が社会で台頭するのは賛同できる。そりゃ働く場や才能を活かす場で男女問うのはナンセンス。しかし現代における職場等の男女差別や格差は是正されているとは言えない、まだまだ途上という現状を私も含めて世間が看過している。怠慢だと指摘されても言い訳できない。グレタ・ガーウィグは同性として自立した女性を描こうとする。だから結婚(家庭におさまる)に拒絶反応を起こすかのごとく "女性解放" を言葉に織り込んでいく。そこまではいい。だが幾度も繰り返されると、こちらは食傷気味を訴えたくなる。それはこちらが自戒の念に耐えられない故なのか。

 

映画として "作り手の思い" が作品の中に込められているのは当然だが、その "思い" をそのまま登場人物の "長台詞" として言っちゃうのは芸が無いなぁと嘆息してしまうし、印象深い映像や演者の言動で表現するにしても連呼されると "それさっき聞いたよ" って指摘したくなる。その忠言が意に反してヒステリーの波にのまれて反撃食らうの嫌やなぁと卑屈モードに転換されると、被害者意識が先行して "やっぱ黙っとこ" ってなってしまい、せっかくの大切なテーマがノイズになっちゃうような勿体無さが生じてしまう。やはり大切なメッセージは、作品の中で "ココ一番" に良きタイミングで出して欲しい。

 

注釈するが、"繰り返し" という演出効果を否定しないし、"繰り返し" が好きな作品もあるし、"繰り返し" で物語が昇華されるケースも珍しくない。だったらここでいう "女性解放" を毛嫌いするのは "やっぱ、あんたミソジニストじゃん" という範疇にはめ込まれるのがオチなのか。その処遇には違和感アリアリ、これって "男女平等" を "男だから分からないのよ" と "性の違い" で一方的に分断されると、そこに不均衡が生じて現状の問題からアップデートできない寂寥感に包まれてしまう。

 

グレタ・ガーウィグ監督は "事実" と "虚構" という対照をラストのハッピーエンドに重ねている。この物語のハッピーエンドは "男性の理想" であり、刊行される書物が "女性の現実" なのだ。そこで成功物語とするのが女性解放の帰着ならば、優劣感情が新たな問題としてしこりを残す。この映像化は昔もも今もこの物語に感動した女性たちへの "目覚め" になるだろうか。もっと大胆な解釈を施さないと "女性の現実" の "気付き" には程遠い、洗脳に近い因習に浸透している "男性の理想" に盲信もしくは妥協する女性が少なくない "解放途上" を露呈したのだ。グレタ監督は同性に "目覚めよ声を上げよう" と訴えている。その執拗さが苦味として残ってしまう、惜しい。

 

一瞬の転機で歴史は変わるが、それがこの時機なのか否かはまだ検証するに至らない。価値観なんて信用したら偏見は一向になくならない。偏見という感情ががあるから差別という言動に走ってしまう。全てを疑え、なのだ。

 

女はしたたか、男はおろか。これはグレタ・ガーウィグへのアンサー。男性諸君に向けて "目覚めよ腹をくくろう" と街頭演説しようか。

 

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