「ニッポン国VS泉南石綿村」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

裁判とは法の上での戦い。原告側は大阪・泉南地域の石綿工場の元労働者とその家族、被告は国家というとてつもなく強大なる存在。先行きは誰もが想定できぬ戦い。石綿=アスベストは肺に吸い込むと数年間の潜伏期間を経て肺がんや中皮腫を発症する。それを国は知りながら経済成長という扇動の陰に仕舞い込む、黙認する。弱き泉南地域の原告団はその非道に抗議する。このドキュメンタリー作品はその抗争を報道映像として語らない。

 

原一男監督の過去のドキュメンタリー作品と大きく異なるのは主題を背負う被写体が個人ではなく複数の原告団。前半は原告団の人々を本人が語る言葉で描いていき、後半彼らが弁護団の協力のもと国家との対決の過程、数年間にわたる勝訴敗訴の繰り返し、そして最高裁判決とその後を捉えていく。その長き年月の間に原告団のメンバーは石綿による病で次々と亡くなっていく。彼らは大義は共にすれど各々の時間の戦いと思惑が交錯する。首相へ建白書を携えて直訴しようと試みる柚岡さん、立ち向かう家族のパートナーが母亡き後息子へと変わる岡田さん、彼らの喜怒哀楽はあまりに人間臭く、節度と良識を持った行動からはみ出さない。これではとても国家に勝てるわけないよと私達はヤキモキする。その臨界に達した原一男監督自ら原告の方々にハッパをかける。そこが作品のターニングポイントとなり原告団が国家と対峙する場面へと移っていく構成が躍動感を増していく。

 

果たして原告団は結束の道を歩むのか、あの最高裁判決の場は確かに一つになる。しかしその結束は一時であり前後の彼らは思惑の隔たりを隠せず、撮影カメラの前での自分をそれぞれ演じていく。それが怒りを抗議へと向かわせる柚岡さんであり、厚労省前で聴衆がいない演説を振るう佐藤さんである。この佐藤さんは最高裁判決によって救済から外された原告の一人であり、終盤、塩崎元厚生労働大臣の謝罪会場で場外対峙する瞬間をカメラが追いかける。あああ、カメラの前でのパフォーマンスで主権者に接する政治家や官僚の滑稽に気付かず、これまでの辛苦が見え透いた社交辞令で氷解してしまう佐藤さんの泣き笑いの表情があまりにやり切れない。この敗北感を報道では決して伝えていないのだ。

 

雑誌映画秘宝での原一男監督のインタビューでも語っていたが、この何十年も闘って勝ち取った金額はたったの8億円。森友学園のゴミ撤去による値引き金額と同等であることにどう感じるか、某経済大国製英雄大集合映画の悪役よりもタチが悪いのは異星人ではなくまさに同じ人間であり国政を担う方々、受験勉強を勝ち進んできたエリートなのだ。政治がわからないでは世界はかわらない。この作品からこの国のことをほんの少しでもいいからわかろうではないか、かわらないと嘆くのはそれからでも遅くない。

 

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