「ダウンサイズ」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

ここで問題。あなたは今の生活に満足していますか。人間、欲は尽きぬもの、そりゃ今よりもイイ暮らしはしたいと思うのが煩悩に振り回される凡人の性であり、この作品の主人公ポールもまた貧困にあえいでいないが、将来の夢に一歩届かず現状に踏みとどまる生活を過ごしている。何一つ自分の意思で決めることができないポールはメディアの情報で左右される等身大の私達かもしれない。

 

リッチな生活、それは周りがこしらえた消費社会のサイクルの一環であることをミニチュアされた世界は問うている。何もかもが想定内で配置された管理社会。人間の脳で都市というものが発達したと解剖学者養老孟司は述べているが、やはり人間が作り上げたものに完璧なものはなく "自然" という偉大なるサイクルに敵う訳はない。ミニチュアであろうとも消費社会のサイクルからはみ出した人々は当然そこにいる。そんな人々にも生きる権利はある。反政府運動の一人であったノク・ラン・トランは自然のサイクルが本来人間が生活する場所であり、消費社会に疑念を抱いている。富裕層の家からの余剰物を貧困層に分配する彼女の行動に巻き込まれるポール。そして彼は隣人ミルコヴィッチの誘いでノルウェーにある初めてダウンサイジングした人々が暮らす村へと向かい、人類終末を憂うコミューンの思想に賛同する。ダウンサイジングを開発した博士率いるカルト集団ともいえる彼らは消費社会や自然のサイクルを断絶するかのごとく、地下施設への移住を決行する。これまで周りの人々に巻き込まれる運命だったポールはようやく自分の意思で行動する。それは自然のサイクルにおける人間の生活であり、ここに作品の主題が込められている。

 

ノク・ラン・トラン役のホン・チャウの表情豊かな演技に好感を持てるし、ポールの隣人ミルコヴィッチ役のクリストフ・ヴァルツの顔芸がニクいほど好きだ。ベタだが下手な台詞回しよりも説得力がある。ミルコヴィッチ主催のパーティが物語の転換を迎えることになるのだが、ここで消費社会の "華" と "虚" が描かれる。ポールが持参する薔薇の花や宴の後ポールが目覚めた床に脱ぎ捨てられた女性の下着はそれぞれを象徴している。しかしながらあのパーティ楽しそうやね、なんて煩悩多い私はポールのトリップした行動に妬いてしまう。

 

欲言うならば、地球環境の破壊者、狩猟者である人類がダウンサイジングする世界における他の生物の脅威、弱肉強食をもっと描いて欲しかった、結構ブラックユーモアとして面白い場面ができそうな、とはいえ、安易なモンスターパニックものに陥ってしまい肝心の主題が描かれない顛末は望んでおらず、ここはこれでいいのだ、とバカボンのパパでオチつける。安易なる文章、猛省します。

 

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