「午後8時の訪問者」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

診療時間をとっくに過ぎた午後8時過ぎに小さな診療所のドアベルが鳴る。若き女医ジェニーは応対しようとする研修医を止めてしまう。ジェニーは今度迎えられる大きな病院の歓迎パーティーに行かなければならなかった。翌日、診療所に警察がやってきて昨晩の監視カメラの映像を見せて欲しいと頼まれる。その映像には遺体となった身元不明の黒人少女の姿が映っている。時間は午後8時過ぎ、あのドアベルを鳴らしたのは彼女であったとジェニーは気づく…

 

ダルデンヌ兄弟の最新作。今回も場面カットを極力抑えた撮影と自然音だけで物語が進行する。前作「サンドラの週末」でも述べたが登場人物の言葉の選択が上手い、決して主観に陥らないカメラワークがドキュメンタリー風といった安易な形式ではなく主人公の内面へじわりと刺さりこんでいく。おススメ。

 

サスペンスというカテゴリには足を踏み入れているが汎用された方法論ではない。遺体が発見された現場を訪れる場面や正体不明の暴漢二人に詰め寄られる場面は秀逸。まさにダルデンヌ兄弟の技法によるサスペンスといえる。過剰な暴力やBGMは無い、しかし日常に潜む暴力に恐怖する演出はゴテゴテした味ではなく見事な包丁さばきによる食材の味となる。バイクの少年を追いかけるシーンへと続く長回しはハラハラするし終盤のハグする場面における被写体とカメラとの距離感にグッとくる。ラストシーンはそれからの長回し、医療という業務は市井の人々の明日へと続く日常を支えていることを表現している。

 

この話には移民問題が根底にある。果たして私たちは移民を受け入れられるのか、その扉を開けることができるのか、閉ざされた世界に安穏と暮らすことを平和だと誤認してはならない。人道という名のもと争うことを是認することもまた平和を遠ざけている感情的な行動に過ぎないとつくづく感じる。ミサイルで何が解決するのか、そんな愚問愚答に翻弄される政治があまりに情けない。主人公が医者として患者に聴診器をあてるように私たちも相手の心に耳を傾けることが大切な行動ではないだろうか。ラストシーンはそんな監督の想いがヒシと伝わってくる。

 

ダルデンヌ兄弟は66歳と63歳、世間的にはもう定年を迎えるが、この業界にはクリント・イーストウッド爺86歳が重鎮として健在、死ぬまで現役の名匠が次回作として2年前にアムステルダム発パリ行きの高速列車タリス内で発生した実話「タリス銃乱射事件」の映画化が発表される。イスラム過激派の男を犯人としてどう描くのか、贖罪を主題とした作品を多くつくりだしたクリント爺の包丁さばきに注目したい。

 

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