「この世界の片隅に」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

絵を描く事が好きな女性”すず”は18歳になった時に呉市に嫁ぐ事になる。そこは戦艦大和の雄姿が見える軍港であり、時は1943年戦争真っ只中であった。すずに優しい夫の両親、厳しく当たる義姉と折り合いをつけながら家事に勤しむ日々。そして義姉の5歳の娘晴美とは時に絵を描いて楽しんだりしていた。しだいに配給物資が乏しくなって野草を摘んだり炊き方を工夫したりして日常と格闘するすず。軍港の街は空襲の標的にされて彼らの日常を引き裂こうとする…

 

クラウドファンディングという製作形態が見事に成功してキネマ旬報のベスト1に君臨したアニメーション。戦争という惨劇、愚行は語り継がなければならない。決して同じ事を繰り返してはならない。その主題をこんな語り口で表現するのか、幾多もの名場面を紡ぎあげるアニメの表現力の豊かさに感銘を受ける。おススメ。

 

「戦争」という非日常から狂気へと誘われるのではなく、日常を取り戻すべく狂気と格闘する、その姿は等身大の私たちなのだ。"平和"や"正義"なんて戯言は誰も口にしない。腹が空く、飯を食う。"国家"ではなく"生活"を守る日々を描いていく。空襲をきれい、飛行機雲に見惚れるという禁忌にもすずを通して触れていく。そして突然襲いかかる悲劇。命の尊さ、はかなさをひとつひとつ描いていく。多数が絶賛している主人公すず演じるのんの声がイイ。

 

欲言うならば、この世界の片隅に出会ったすず夫婦が終盤広島市内で孤児と出会う場面、孤児もまたすず夫婦とこの世界の片隅で出会うのだから、なにかしら映像として"たんぽぽ”や"えんぴつ"もしくは"右手"という相関があればさらなるカタルシスが生まれたと感じる。

 

戦争は号令とともに始まるのではなく、静かに私たちの日常を侵食していく。境界線はない。現在我が国も危険な状態にある。繰り返しになるが、そこに平和や正義などない、あるのは政治家の自尊心のみ。彼らは決して前線に立って先導などしない。原発を見よ、あれこそ自尊心の塊ではないか。避難先のこどもが受けたいじめのニュースを聞いた時、子供の世界は残酷だが大人の世界はもっと醜いと悲観する。いじめの責任追及をここでは論じない。子供が子供にお金を代償として支払う。大人が大人にお金を原発給付金として支払う。お金で一体なにが解決するというのか。経済がどうのこうのといった熱弁は空疎な代物。あの時代、物資は乏しくても日常の大切さをかみしめて生きていくすずさん達に敬服。次世代に語り継ぐとともに大人達も現在を再考すべき時はすでに来ている。

 

---------------------------

ここまで読んで下さってありがとうございます。
ブログランキングに参加しています。もしよろしければ、
↓下をクリックしてください。よろしくお願いします。




にほんブログ村