「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

正直観るまで不安だった今回のスピンオフ企画。お馴染みのキャラをチラ見せして儲けようというディズニーこれだから嫌なんだよという偏見。そんなプレッシャーの中ギャレス・エドワーズ監督以下、スター・ウォーズ信仰スタッフがまさに宇宙戦争というジャンルを描いた作品。超オススメ。ネタバレしません、あらすじも書きません、しかし過去の作品を観てから鑑賞したほうが賢明、一見さんは意味わからんトコがあります。

 

スター・ウォーズ=宇宙戦争という題材で英雄になれなかった戦士達を主要登場人物において人間の愚かさを描いている。思えば主流となるのはフォースという理念のもとで繰り広げられるスカイウォーカー家のこの上なく壮大な親子喧嘩なのだが、この作品にはそれはない。ただし基盤は受け継がれている。ドニー・イェン演じるチアルート・イムウェ(この役名が覚えにくい、私はイップ・マンで押し通している)がフォースを信じる盲目の僧侶として存在感あるキャラクターであり、主人公ジン・アーソの孝行が物語の主軸となる。そしてスカイウォーカー家の暗黒卿もここぞと登場する。(しかし初登場場面はどうもいただけない、スモークたいて花道を歩いて登場って大物演歌歌手か!とツッコミ入れたくなる)この作品はあくまで物語として表舞台に描かれない大多数の人々、それは現実社会における私達なのだとビシバシ投影できる構図となって物語が進行する。その核となるのは「ローグ・ワン」に加わっていく人物描写として「英雄」への憧れでなく「同志」への共鳴である。テロ行為が止まぬ闘争の時代を投影しているのであろう。彼ら反乱軍の一部は大義とはいえ人を殺すことに疑念を抱いている、不遇な環境に強いられても生きがいを求めて自問している。主人公ジンは反乱軍が提唱する平和よりも己が生きる日常を優先する、社会なんか変わらない、変える力も無いと諦観している。そんな思惑が異なる彼らが強奪ミッションへと導かれていく過程と難攻不落を敢行するクライマックスを描く脚本が上手い。「ローグ・ワン」へと結実するメンバーそれぞれの人物背景に共感する。前半、舞台があちらこちら移りがちで退屈になるかと思いきや、すんでのところでアクションシーンへと展開するのは妙技。

 

特筆すべきは終盤、南国のような惑星スカリフでの攻防。X-ウィング等戦闘機や宇宙船に乗っている感・浮遊感がハンパない。全身に力が入ってしまう。ここまで発達した映像技術に感銘を受ける。帝国軍の容赦ない攻撃による反乱軍の犠牲が、前のくだりで彼らの想いが伝わっているので生き急ぐ悲哀と権力という名の愚行を暗喩として語られる。そんな苦境の局面に応援部隊が駆けつけたシーンには狂喜乱舞、ラダス提督がめちゃカッコイイんだよ。

 

そして大御所ダース・ベイダーの登場。暗闇に光るライトセイバーとフォースの力、あまりの強大なる恐怖が反乱軍兵士をなぎ倒す。ここで反乱軍まさかの設計図データのバケツリレー。デジタルやったら転送したらええんちゃうの?ドア開かないよ、逃げられないよ、ベイダー迫ってきてるよ、なんてベタな展開だがこのアナログ手段が見事功を奏す。感動のラスト、号泣したよ。この後続く旧3部作があるからこそ"希望"という臭い台詞にカタルシスが包含されている。

 

ところで当初の予告映像では本編に使われていない場面が数カットある。設計図データを握りしめたジンとキャシアンが砂浜を疾走するのもその一つ。どうやら違うエンディングが存在していたとギャレス・エドワーズ監督は語っている。今のままでいいよ、見事主題にハマっているじゃないか。蛇足や安っぽいハッピーエンドは要らぬ。それよりもベイダー卿に進言しよう。あんた、毎度ここ一番で詰めが甘い。愚鈍な顛末じゃないか。今回もそんな事やから、万に一つの偶然で設計図が息子と元師匠に手渡る始末。驕れるもの久からず。これからは己を戒めて部下の失敗をフォースの力で苛めるのはやめよう。フォースの乱用アカン。

 

 

追悼キャリー・フィッシャー。レイア姫は永遠に銀河で生き続けるだろう。次回作は撮影済みらしいが最終エピソードはどうなるのか?もしや…?それだけはやめてほしい。複雑な心境は私だけではないはず。

 

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