やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

2001年、アフガニスタンの紛争地域に赴いた女性リポーター、キム・バーカーの回顧録に基づいた物語。2016年製作。日本劇場未公開。Netflix U-NEXTにて配信中。

 

当初キムは数ヶ月の派遣予定だったのに度重なる延期という事態で数年が経ってしまう。彼氏と疎遠になるも戦地における報道の重要性に自身の矜持を重ねて邁進する。その現状の凄惨さを求めてしまう上昇志向が命の尊厳を軽視する愚行と隣り合わせであることに彼女は苦悩する。何が真実か、本当の正義はあるのか、公正ではなく主観でしか切り取ることができない報道のあり方も問い質していく。

 

現地取材を継続する記者団は、心身ともに蝕んでいくストレスのはけぐちを酒やドラッグへと向かいながらもスクープを得ようと奔走する。かなり娯楽趣向な脚色だが、ベタ過ぎず伏線の張り方も巧い。正論といった一方的な視点や思考は実を結ばない。"たられば" といった自己嫌悪も改善の道へと向かわない。不条理な事実をまず受け入れて理想とは程遠くても一歩前進する潔さが大切なのだ。やるせない紛争が世界各地で連日続く現代、心落ち着ける間(ま)は "場所" ではなく互いの "信頼" に宿る。分断や排除では決してない。

 

ラストシーンのあり方として、ラストカットをどのタイミングで終わらせるか&エンドクレジットに入るのか、という "こだわり" がある。ありがちなのは余韻をタラタラと引き伸ばすか、不要なナレーションを挿れるか、勘弁してほしいのはオマケ映像、できればエピローグのテロップも好きじゃない。今作は絶妙なラストシーンである。コンマ何秒遅くても早くても駄目、その世界観の余韻や解釈を観客に委ねる至福の時間へと帰着する。案外これをクリアする作品はわずか、技術なのかセンスなのか、計算か偶然か、境界はあるようでないかもしれない。

 

その曖昧さは、事実に基づく報道にも通じている。切り取り(編集)によって印象操作するのは、巷に溢れる情報であり、映画もその一端である。大切なのは外部から見聞きしたものを各人が判断処理するリテラシーであろう。政治の舞台では都知事選、大統領選、想定外の出来事は起きても周囲の空気や感情ではなく、事実を積み重ねて地味ながらも自身と絶えず向き合える信念が悔恨なき前進へとつながる。今作のラスト、キム・バーカーも自身と向き合っている。彼女の表情が私たちに向けたアンサーであろう。

 

※一部 "松崎健夫&春日太一の映画解説講座" より参考にしました。

 

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森の中で父親のウィル(ベン・フォスター)は娘トム(トーマシン・マッケンジー)に様々なサバイバル術を伝授しながら野宿生活をしている。ある日、森の中をジョギングしていた男性にトムが目撃されてしまう。たちまち警察に連行される父娘は福祉局の管理下に置かれてしまう。新しい環境にウィルとトムは互いに異なる感情を抱くようになる…「ウィンターズ・ボーン」のデブラ・グラニック監督の最新作。2018年製作。日本劇場未公開。Netflixにて配信中。

 

静かな生活の中で父娘が交わす言葉から2人の過去や現在の距離感を垣間見せる演出が良い。環境が流転する中で2人の心情も移り行く過程にドラマが派生する。信頼がテーマとなって共同体や家族といった人のつながりの脆弱性を問いただしている。成長と妥協は似て非なるもの。その捉え方で協同にも孤独にも立場は変わる。社会の闇を背景に健気な娘の葛藤に胸締め付けられる。

 

経済大国のアメリカは、覇権を維持するために犠牲となった民のケアをおざなりにしてきた。自己責任や半強制的な社会復帰支援など一人ひとりの尊厳をぞんざいに扱ってはいないか、さらに移民問題や格差是正といった問題のすり替えが横行すると、事態は少しも改善へと向かわない。お偉いさんは分断という弱者同士の憎悪によって核心をかき消そうとする。

 

作中の父娘、ウィルとトムは折り合いがつかない現状を目の当たりにする。大切なのは自身の価値観を押し付けない、他人の価値観をあざけることはしない。周囲を非難して己を正当化する傲慢さは一見すれば勇ましいが虚しさが募っていく。この物語には、強弁な世界は衰退し多様性を受け入れるテーマが潜んでいる。父娘は困難な現状を見つめながら心のつながりは持続しようと試みる。豊かな生活とはなんだろう。虚飾でないシンプルな応えがここに描かれている。

 

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「サイドウェイ」のアレクサンダー・ペイン監督最新作。全寮制の学校を舞台に周囲から嫌われている考古学教師ハナム、母親から敬遠されている生徒アンガス、寮の料理長メアリー、この3人が年末年始の休暇を共に学校に居残って過ごすことになる。雪が降り積もる退屈な日々に勃発するトラブルや社会見学と称してボストンの街へ繰り出す彼らは互いの秘密を明かすことになる…

 

3人のネガティブな第一印象から次第に本心が見えてくる。私たちもそう易々と心のうちを表に出さない。そのくせ他者に安易に "偏見" を抱く。世の中平等と公言してる善良な人も同様、これは感情という不意に抱くものだからどうしても抗えない。偏見から憎悪を伴って行動するのは "差別"、これは法的にも咎められる愚行であり、私たちは理性でこれを阻止している。3人は差別とまではいかないが、時折理性を踏み越える言動をしでかす。直後に優しさも顔を覗かせて人間味を醸す。絶対悪やその反対は無く、この二面性こそ私たちの日常であろう。

 

すれ違いや誤解等によって人間関係はややこしくなる。排除や罵詈雑言によって分断すれば物事は解決するのか、する訳がない。ではどう対応していくのか、3人のように対話によって繋がっていこう。社会問題を礎にしながらも説教くさくない台詞が小気味良い。果てなき分断はやがて自身が孤立する。終盤3人は各々の立場におさまるも心は触れ合っている。荒みきった孤独へと陥ることはない。大団円ではないが皮肉が込められていてニヤリとさせる。

 

ハナム先生が言う通り、歴史は過去を学ぶだけでなく現在を読み解いていく。人はさほど進化を遂げていない証左として人種や宗教、国家間での紛争は絶えない。自由という権利を人を傷つける武器へ改変してしまう愚行も横行している。マイノリティは決して社会の足枷ではなく救うべき命である。旧優生保護法の憲法違反、選挙運動に真摯に向き合わない立候補者、尊厳を踏みにじり勝ち得る生活や地位ってそれほど豊かではない、と気付くまでやはり時間がかかる。ハナムとアンガス、そしてメアリーは恵まれない境遇であっても本当の豊かさを感じ取った。ラスト、ハナム先生が吐き捨てる所作にその意が込められている。

 

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