やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

アレックスとテス、ふたりの小学生の子供がいる中年夫婦は明確な理由もないまま別居生活に踏み切る。ニューヨークのコメディクラブにふと足を運んだアレックスは、スタンダップコメディの世界に生きがいを感じるようになる。そしてこれからの人生を見つめ直す彼がとった行動は…。ブラッドリー・クーパー監督最新作、彼はアレックスの友人ボールズ役を兼ねている。

 

倦怠期の夫婦が織りなす丁々発止は止め処ない言葉と感情の起伏で渦巻いていく。インディーズ映画を代表するカサヴェテス監督作品を思わせる撮影や台詞にブラッドリー・クーパー監督の映画愛が滲み出ている。

 

私が常々考察している傑作の要件、

・"苦悩" と "怒り"

・ボタンの掛け違い

・持ち上げてから突き落とす

が、今作に詰め込まれている。何気ない伏線(子供たちの楽器練習やテスの若かりし写真)で、もう一回捻ってくる展開がイイ。おまけに脇役ブラッドリー・クーパーのこけっぷりも必見、最近の彼のキャリアに少々不満だったけど今作の完成度の高さに感嘆する。

 

原題「is this thing on?」

マイクテスト時に「これ聞こえてる?」と確認する意味合い。

 

アレックスの本心を本当に伝えたい相手は誰なのか。それはパートナーのテスも同様。そんな中年の親たちの迷いや葛藤を冷静に見つめているのが子どもたちであり、人生の後輩が送るアンサーソングがラストシーンへとつながる。巧い。

 

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シェイクスピアと妻そして子供たちの家族模様を背景に戯曲「ハムレット」上演へ辿り着く過程を描く。妻アグネスを演じたジェシー・バックリーがアカデミー主演女優賞を受賞した。

 

クライマックスからラストに至る場面、"ここまで壮大な前振りだったのね" と思わせる畳み掛けが巧い。このワンイシューで堂々とやってのけるクロエ・ジャオ監督は、もしかしたら観客に対して "はずす" とか "伝わらない" なんて不安を(感じてるけど)跳ね除けてしまう。そんな彼女の強かさがヒシと伝わる。

 

だけど、エンディング曲の「On The Nature Of Daylight」

 

この曲はこれまでも「メッセージ」「ディス/コネクト」等多数の作品で使われている。まぁ名曲なので使いたいのは分かる。分かるけど、そこ勿体ないなぁ…と、エンドクレジットを目で追うと音楽担当がマックス・リヒターと記されている。ん?自分の曲やん、"使い回してるやんけ" とぼやいてしまう。なんか "ずるい" っちゅうか、"芸が無い" っちゅうか、たとえば坂本龍一は他の作品に自分の戦メリの曲使わないよ、他の音楽家しかり、うーむ、私、了見が狭いのか。

 

いや、そんなことない。と言いたい。この曲を既成曲として、第三者が "お気に入り" もしくは "その場面" や "作品テーマ" に適合するかたちで採用する。なら納得できる。現実にデヴィッド・ボウイの楽曲は様々な作品で使われている。ところがヒリターさん、これは既成曲でもあんたの曲であって、新たにオファーされた映画音楽を軽んじるような手前味噌っぷりに訝しむんだよ。

 

すまんのぉ、リヒターはん、愚痴っぽくなって。エエ曲なんやで。それは間違うてへん。…なんで横山たかしひろし調になるんやろ。シェイクスピアからどんどん遠ざかっていく。

 

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休業している女優サンウォン、ひとり暮らしの中年詩人ホン・ウィジュ、ふたりに接点は無いが、それぞれに若者が将来の進路相談を持ちかける。そんな一日が描かれる。

 

私たちは行動や目的に意味や意思が必要なのか、"なんとなく" や "思いつき" は間違っているのか。未知なる世界に飛び込むにもマニュアルが必須ならば、その時点で答え前提の模範演習の域を出ないのではないか。もっとおおらか、というかバカでいい。若者よ、こぢんまりとなるな。と、ダメ大人が忠言する。

 

現代は情報化社会、膨大な量を消化するにはタイパ・コスパが重視される。ってな基準は本当に "良し" なのか。その果てに結果ありきの行動指針へと向かい、それにそぐわない人は "負け組" の烙印を押される。その "勝ち負け" はどの時点で判断するの?成功していくらお金稼いでも家庭不和だったら幸せとは感じないし、生活が困窮しても互いに助け合う家族がいれば心和やかになるはず。だから結果なんて安易にジャッジ出来ない。差し当たってゴールは、いわば終点である死なのだから、答えはなんだろうね、という具合で模索すればいいし、何もしなくてボーっとしててもいい。結果見つかりませんでした。というアンサーだって "良し" なのだ。

 

成果や結果、これを自己承認欲求の産物として理解するなら、周囲を気にしてどうなる、気にするから安全パイに囚われてしまい、そのカテゴリに固執してしまう。ホン・サンス監督の作家性にも通じる "既成概念からの解放" は今作ではより色濃く描かれている。やってはダメ、と言われるとやってしまいたくなる。それって私たちは "あるある" として共感できる。やるか、やらないか。やらないをやるか。こう書くと混乱するかな。してもいい。結論は無い。それがホン・サンス監督の魅力であるのよ。

 

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