やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

「サイドウェイ」のアレクサンダー・ペイン監督最新作。全寮制の学校を舞台に周囲から嫌われている考古学教師ハナム、母親から敬遠されている生徒アンガス、寮の料理長メアリー、この3人が年末年始の休暇を共に学校に居残って過ごすことになる。雪が降り積もる退屈な日々に勃発するトラブルや社会見学と称してボストンの街へ繰り出す彼らは互いの秘密を明かすことになる…

 

3人のネガティブな第一印象から次第に本心が見えてくる。私たちもそう易々と心のうちを表に出さない。そのくせ他者に安易に "偏見" を抱く。世の中平等と公言してる善良な人も同様、これは感情という不意に抱くものだからどうしても抗えない。偏見から憎悪を伴って行動するのは "差別"、これは法的にも咎められる愚行であり、私たちは理性でこれを阻止している。3人は差別とまではいかないが、時折理性を踏み越える言動をしでかす。直後に優しさも顔を覗かせて人間味を醸す。絶対悪やその反対は無く、この二面性こそ私たちの日常であろう。

 

すれ違いや誤解等によって人間関係はややこしくなる。排除や罵詈雑言によって分断すれば物事は解決するのか、する訳がない。ではどう対応していくのか、3人のように対話によって繋がっていこう。社会問題を礎にしながらも説教くさくない台詞が小気味良い。果てなき分断はやがて自身が孤立する。終盤3人は各々の立場におさまるも心は触れ合っている。荒みきった孤独へと陥ることはない。大団円ではないが皮肉が込められていてニヤリとさせる。

 

ハナム先生が言う通り、歴史は過去を学ぶだけでなく現在を読み解いていく。人はさほど進化を遂げていない証左として人種や宗教、国家間での紛争は絶えない。自由という権利を人を傷つける武器へ改変してしまう愚行も横行している。マイノリティは決して社会の足枷ではなく救うべき命である。旧優生保護法の憲法違反、選挙運動に真摯に向き合わない立候補者、尊厳を踏みにじり勝ち得る生活や地位ってそれほど豊かではない、と気付くまでやはり時間がかかる。ハナムとアンガス、そしてメアリーは恵まれない境遇であっても本当の豊かさを感じ取った。ラスト、ハナム先生が吐き捨てる所作にその意が込められている。

 

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テニス界で脚光浴びた女性プレイヤーは怪我によって一線から退く。彼女の活躍に魅了された2人の男性プレイヤーは親友だが恋愛の土俵で火花を散らす。この奇妙な三角関係は数年間の歳月を経てどう変遷していくのか。

 

恋愛というロマンスとリアリズムの振り幅の中で3人は各々の悩みを抱く。かつてのスター女性選手はもう一度違う形での注目を望んでいる。一方己の実力をうっすら自覚する男性プレイヤーは自身の花道を模索する。恋愛という相手への思いやりよりも自尊心へのこだわりが果たして恋愛として成就するのだろうか。幼い頃から勝ち負けという基準でしか判断できない悲哀が露呈する。

 

そんな台詞による互いの思惑の戦術がクライマックス、言葉でなく視線や所作によって展開する。ここに至ると台詞は一切無い。そしてラスト主導権を握ったのは…この演出に感嘆する。もうヤラレターなのだ。ここで〇〇(ネタバレなので伏字)を描く、うむルカ・グァダニーノなんだもん、そりゃこうするよね、と妙に納得してしまう。

 

ちょっと何言ってるのか分かんない。ってな人も、きちんと分かる結末です。正解はひとつではないし、それぞれのアンサーがあっていい。ただ気付いて欲しいのは、これはテニスというスポーツを仮の姿とした愛憎の危うさを描いたドラマ、ということ。勝負の世界と恋愛模様は一寸先は闇、些細なメンタルや行動の変化で結果は左右する。ルカ・グァダニーノ監督は現在最もセンスが抜きん出た映画監督なのだと私は喧伝する。これは駆け引きがない賛辞、勝負や損得もないところに純粋な情感がある。3人のすれ違う感情や、作中出てくるマッチングアプリの違和感、今作の主題はここにあり、純粋さに嫉妬するラストシーンは必見だよ。

 

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ある中学校に赴任した若手教師のカーラは、生徒たちとの交流を順調に育んでいた。校内で相次ぐ盗難事件、校長や同僚教師の強引な調査はカーラの教え子に容疑がかかってくる。ゼロ-トラレンス(寛容さよりも厳密に処罰する方式)な教育方針に反発を抱くカーラは、単独で犯人探しを始めて職員室で隠し撮りを仕掛ける。するとその動画にカーラの財布の中身を盗む瞬間が記録されていた。映像では腕しか映らない服装の特徴からある人物だと判断して詰問するカーラは逆に窮地に追いやられる…

 

教育現場における学校側の偏見や保身は、子供たちに不審を抱かせる。平等や尊厳はいかに多難な行動なのかを痛感する。やっかいな事に、偏見や保身は感情から派生するもので、発する当人に自覚が乏しい。気付かないうちに相手が傷ついたり心病んでしまう。そんなつもりは無いのに、という言い訳は相手に是非の判断を半強制的に促すきらいもある。矢継ぎ早に選択を迫られるカーラの苦悩は、本心をいかに相手に伝えられるか、大胆かつ繊細なスキルが求められる。

 

理想はある。しかし教師であれど短所は必ずある。他者を糾弾するのではなく人として優しさを育む過程に教育のあり方がある。舞台となる学校の指針 "ゼロ-トレランス" は正しい選択なのだろうか。追及よりも寛容、厳しさよりも対話からの理解が抜け落ちると、一人ひとりの尊厳は容易く崩壊する。指針によって受けた心の傷は果たして "しつけ" なのだろうか。

 

子供は大人の行動を見ている。最近の若い者は…とぼやく大人の方が青臭い。立派であれ、とは言わない。だって私も至らない面が多い、そして老いのせいか負の面が増えているかも知れぬと自省の日々となる。とはいえ、不祥事を起こしても隠す・逃げる・白を切る大人たちがのさばる社会はどうよ。この国の為政者こそゼロ-トレランスが必要なのではないか、と嘆く私は青臭い。

 

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