「……というわけで、二人きりになりましたね会長」
「…………」
他の4人が部室を発ったのを見送って、残った1人に声をかける。
会長は俺の声には答えず、パソコンに何かを打ち込んでいた。
「…………よし。調べ終わったわ。有力な情報は何も無し。やっぱりガセね。さあ今日はもう帰りましょう」
「いやいやいや。ネットで検索して終わりって。大学生のレポートですか」
「内容としてはそれ以下でしょう」
「ネタがしょーもないのは認めますけどね。そんなさっさと終わらせたんじゃ意味ないでしょ……」
パソコンを閉じ帰り支度を始めようとする会長に近寄り、退路を塞ぐように立つ。
「会長。さっき強引に組み分けしたの、俺と二人きりになるためでしょ?」
「だ、誰がそんなことを言ったの」
「いやバレバレですよ。さっきのあれは露骨過ぎ」
「……露骨だったのは認めるけれど。別に二人きりになりたかったわけじゃ」
「またまたあ。じゃあなんでなんすか」
「別に、たいした理由はないわ。……そう、適材適所よ。最も効率の良いペアに振り分けただけのこと」
「……ま、なんでもいいですけどね。とりあえず普通に喋ってくれるだけでも嬉しいんで」
「普通って?」
「ここんとこずっと俺のこと避けてて口もきいてくれなかったじゃないですか」
「……避けてなんていないわ」
「いやいやいや。避けてたでしょ思いっきり。今更意味分からん意地張らんでください」
「…………」
「……はぁ。とりあえず今後はもう避けたりしないって約束してくれませんか」
「…………」
「会長?」
「……分かった。私の態度には問題があったのは認める。改めるわ」
「おっ。本当ですね?」
「ええ。二言はないわ」
「いよっしゃあっ! 絶対ですよ!」
「え、ええ……そんなに嬉しいの?」
「もちろんですよ! 俺がどんだけおあずけくらってたと! さ、会長、とりあえず行きますよ!」
「い、行くってどこに?」
「決まってんでしょ、このネタの調査にですよ!」
「調査ならさっき終わったじゃない」
「あんなんでいいわけないでしょ。ほら行きますよ」
渋る会長を多少無理矢理にでも立ち上がらせようと手を掴む。
「ちょっと……!」
嫌そうな顔をしながらも思っていたより抵抗は少なく、すんなりと机から引き剥がすことに成功する。
「ついに諦めましたか」
「……もういいわ。分かったから、手を離して頂戴」
「逃げませんか?」
「逃げないわよ」
「でもダメです」
「なぜ!?」
「んー、なんつーか……慰謝料?」
「はあ?」
「俺、ここ最近の会長の態度で傷ついてたんすよ?。慰謝料でも貰わなきゃやってられないっす」
「だ、だからって手は」
「ほらほら。諦めて行きますよ」
「ちょっと、瑚太朗……!」
会長の手を引いて部室を出て、あれこれと文句をつけてくるのを適当にいなしつつ廊下を進む。
今の俺はけっこう強気だ。もう会長を逃がしてなるものかと息巻いている。
悪く思うなよ会長。これもあんたが意地っ張りなせいなんだ。
校舎を出る頃には会長の文句も途絶え、憮然とした表情で渋々ながらもついてきてくれていた。
「それで、調査ってどこに行くの?」
「あー、どこに行きましょうね」
「考えてないのね……」
会長を連れ出すことを最大の目的にしてたし、ネタを手に入れたのも偶然だったからそこまで気を回す余裕も無かった。
「俺たちの担当は恐竜幽霊でしたっけ。とりあえず聞き込みでもしますか」
「じゃあ私は瑚太朗が集めた情報をまとめる係ね。部室で待機しておくわ。頑張ってらっしゃい」
「そんなこと言って戻ろうたってそうはいきませんよ。……ん?」
校門の所に小さな人だかりが出来ている。何かを取り囲むように集まっているかと思えば、やがて悲鳴を上げて散り散りに逃げ出し始めた。
「何かあったんすかね?」
「……嫌な予感がするわ」
会長の嫌な予感は的中した。
人だかりが散った後にそこに居たのは長い黒マントで全身を覆う一人の男。
男は周囲を見渡して俺たちを見つけると不敵に笑い、身に纏うマントに手をかけた。
一瞬の溜めの後に広げられるマント。浮かび上がる翼のようなシルエットの中に、マントで隠されていた身体が現れる。
裸だった。
「……藻」
会長がくずおれた。
「まさか……また会長に釣られて来た変態か」
相変わらず会長の変態ホイホイ力は凄まじい。まだ校舎を出たところだというのに。
つくずく引き篭もっても仕方ないなあと思ってしまう。
半ば呆れた気持ちになっていると、露出男の背後から新たな人影が現れた。その数3人。
「縦笛ペロペローッ!」
「君のォ……バストはァ……何カップ!?」
「パンツを被るコト……それが母なる星の誇り!」
全裸の男がマントをはためかせ、その周りをリコーダーとメジャーとパンツを振り回す3人の男が回る。
本日晴天変態フィーバー。
絶望的だった。
校門すぐとはいえここ学校だぞ。こんなに変態沸きまくりでいいのか。というかこいつらただの変態の領域を越えてないか。完全に犯罪者だ。何が彼ら を駆り立てるのか、わりと本気で聞いてみたい。直接聞くのは御免だけど。
「会長、大丈夫っすか……」
「大丈夫なわけないでしょうっ。早くなんとかしなさい」
「俺もアレに触れるのは嫌です……逃げましょう」
「…………」
校舎の方へUターンして駆け出そうとするが、へたりこんだままの会長に袖を引かれて止まる。
「会長?」
「腰が抜けて……立てない」
「はあ!? あー……まあ気持ちは分かります」
正直俺もあの光景は許容したくない。
「瑚太朗。突っ立ってないで早くなんとかして」
「つってもなあ。俺にもどうにも……」
などと呑気に喋っている暇はなく、変態たちは完全にこちらを……会長を標的に定めたようで、奇天烈な足取りでじりじりと俺たちに近付いてくる。
「……しゃーない。会長、じっとしててくださいね」
「え? 瑚太朗、何を……っ!?」
会長の傍にしゃがみこみ、体の下に手を差し入れる。背中と膝裏の位置で腕を固定し、会長を抱えて立ち上がる。
俗に言うところの『お姫様抱っこ』というやつだ。
「ちょ、瑚太朗、これはなにっ」
「あ、こら。暴れないでくださいって。落ちますよ」
「お、降ろしてっ」
「会長一人で歩けるんすか? 歩けないんでしょ。だったらこうするしかないじゃないですか」
「……ぐぬぅ」
「よし。んじゃ行きますよ」
大人しくなった会長を抱えなおして、変態共に背を向けて走り出す。目指すは校舎。こうなっては仕方がない。一旦部室に戻って体制を立て直す。
玄関口に飛び込み、素早く靴を履き替え、廊下を走り階段を駆け上がる。
「こ、瑚太朗! 皆が見てるわ!」
放課後とはいえ部活や委員会なんかでまだ校舎に残っている生徒も少なくなく、お姫様抱っこで廊下を走る俺たちは絶好の注目の的となっていた。
「今はやつらから逃げるのが最優先です!」
「校舎に入ったからもう大丈夫よ!」
「いいえ。やつらのポテンシャルを舐めちゃいけませんよ! 部室に着くまで安心できません!」
「そんな!」
実を言うと、こうしてることがちょっと楽しくなっていた。
密着できるし。
「降ろして!」
「ダメです!」
邪まな気持ちは隠しつつ、衆目に晒されながら、部室を目指して走り続けた。
部室に辿り着いて会長を降ろすと顔を真っ赤にした会長に部室を追い出され、結局そのまま今日の活動はお開きとなった。
それから数日後。
俺はその日発行された風スポを握りしめて会長に突撃することになった。
紙面を飾る見出しはこうだ。
『学園の魔女熱愛発覚! 側近男子との爛れた学園生活!?』
記事を見せると、会長は頭を抱えて机に倒れ伏した。
「な、なんてこと……!」
「こないだのお姫様抱っこ、かなりの人数に見られましたからねえ」
「だから嫌だと言ったのに! 最悪。最悪だわ……」
「つっても、他にどうしようもなかったですし」
「……とにかく、一刻も早く記事を撤回させないと」
「またチケット使うんすか。でもこの手の噂って、一度広まったら取り消すのは難しいと思いますけど」
「そう言っても、いいかげんな噂が広まってるのを放置するのは嫌よ」
「……じゃあ、一つ提案があるんですが」
「なに、言ってみなさい」
「この噂、本当にしちまうってのはどうですか」
「は? 噂を本当にって……な、何を言っているの」
「そうすりゃとりあえずいいかげんな噂じゃなくなりますよ」
「だ、駄目よ。それでは何も解決していないじゃない」
「ま、そうっすけど。でもとりあえず開き直れますよ」
「あのね……」
会長は呆れた様子で首を振る。
「一応、本気ですよ」
「……一応?」
「100%本気です。前に言った気持ちは変わってませんから」
「前に言った、気持ち……」
「忘れたとは言わせません。忘れてなくてももう一度言いますけどね」
逃げられないよう手を掴もうとしてふと前に言われたことを思い出し、机を回り込んで会長の傍に寄り跪いてその手を握る。
「好きです。付き合ってください」
振り払われない内に、と素早くその手を引き寄せて口付ける。
どうだ。我ながら出来過ぎじゃないかってぐらい上手くやれたと思うのだけど。
「…………っ」
見上げた視線が合うと、口を引き結んで顔を逸らされる。
「だんまりですか。それともまた断りますか?」
口は開かれず、けれど僅かに、困ったように眉が上がる。
俺は、握った手を離さない。
「いい加減観念したらどうです。いつまでもこんなんじゃ、そのうち愛想尽かしちゃいますよ」
「…………観念、という言い方はどうなの」
「実際そんな感じでしょ」
「…………はあ」
一度目を閉じて大きく溜息を吐き、会長がこちらに向き直る。
「観念ってどうすればいいのかしら」
「会長!」
「どうすれば! いいのかしら」
「そりゃまあ、答えをください」
「答え……」
「ええ。『はい』か『Yes』でお答えください」
「それじゃ一択じゃない」
「他の選択肢が必要ですか?」
「…………『いいえ』。これでいいかしら」
「もっとはっきり言葉にしてくれるとなおよし」
「はっきりって……『い・い・え』」
「わざとやってます?」
「…………いいえ?」
「おーけい。分かりました。……じゃあ」
とぼけ顔の会長の肩に手を置き、その瞳を覗きこむように迫る。
「拒まないでくれればいいです」
「え…………」
緊張で強張った顔にゆっくりと近付いていく。
会長は動かず、やがて微かに震える瞼を閉じた。
抵抗はなく、ただ俺が行動するのをじっと待つその唇に寄っていく。この前のキスの時とは逆の構図だ。
あの時会長はどんな気持ちでこうしたのだろう。俺はすごくドキドキしている。
もう後数cmで触れ合おうかというところで、不意に会長が薄く口を開く。
「……ごめんなさい」
それはこうして近付いていなければ聞き逃していたほど小さな声。搾り出したような、微かな謝罪。
「……何に対してごめんなさい?」
「いろいろ。今までの態度や、結局素直になりきれていないこと……」
あとほんの少しでキスできてしまう距離で、視線が重なる。
「…‥今回のことに関しちゃ、俺もちょっと焦ってやり過ぎました。それにまあ、会長が素直になっちゃったら空から槍が降りますよ」
「なによそれ。私はそこまで……」
「違うと言うなら態度で示してください」
「…………ぐ…………いいわ」
「え?」
「……瑚太朗」
「はい……」
互いの体が強張るのが解る。生唾を飲み込んで、じっと会長の言葉を待つ。さっきのように小さな声で言われて聞き逃すことのないよう必死に意識を耳 に向ける。激しく胸を叩く心臓の鼓動すら邪魔だ。落ち着け、と念じるものの、期待と緊張がそれを許さない。
互いに永遠とも感じられた沈黙を経て、ゆっくりと会長の唇が俺の望む言葉の形に動く。
「…………………好き」
それはたった二文字の言葉。
それだけで、いろいろなものが報われた気がした。
「会長っ!」
「……っ!」
衝動のままに数cmの距離を詰める。
二度目のキス。
一度目の、ご褒美のキスなんて目じゃなかった。得られた感動も進んだ距離も段違いだ。
数秒か数分か。時間の感覚もおかしくなっている。とにかく一度目よりは長い時間触れ合って、俺たちの唇は離れた。
喜びで痺れたようで頭がうまく働かない。思いつくままに会長を呼ぶ。
「会長…………朱音……」
「……なに?」
呼び名を変えたことを会長は――朱音は咎めなかった。
「愛してます」
「馬鹿ね。いきなり飛躍し過ぎよ」
俺の愛の告白を、朱音は笑って窘める。
それは初めて見る笑顔。
きっと、俺が一番欲しかったものだった。
……そこで同期は途絶えた。
以前見た世界の続き。相変わらず根底から違いすぎていまいち実感が沸き辛いが、あれは多くの俺が過ごせなかった日々だ。見ていて悪い気はしない。
「……朱音さん。どうでした?」
隣に立つ朱音に声をかける。
朱音も俺と同じように篝の理論に触れていた。末端の枝ならば大丈夫かもしれないと考えて、以前俺が触れた枝を試してみたのだ。
同期を終えた朱音は、無表情に一つ息を吐いて答える。
「どうもこうも。お気楽な世界もあったものね、としか。一応私の記憶ではあるけど、あそこまで違うと私だという実感も薄くて他人の人生を覗き見てい るような感覚が大きいわ」
「朱音さんほどじゃないけど俺も似たような感覚です。まあでも俺から見たら、ああいう世界で育った朱音さんはあんな感じだろうなってんでそんなに違 和感ないですけどね」
「それは私から見た瑚太朗も同じよ。物凄く当たり前のことを言ってる…………」
少し呆れたような声で答えた会長が、ふと何か腑に落ちたような表情になる。
「瑚太朗から見れば、あれは間違いなく私なのね」
「え、はい」
「……私という存在にこんな可能性は無いと思ってた。ああいう世界を想像したことが無いわけじゃない。魔物も超人も……聖女もいない世界。でもそこ に私はいないはずだった。聖女がいなければ、聖女としてでなければ私が生かされることもない……」
「でも因果はああいう形に変わった。聖女がいなくても、朱音さんは存在した」
「ええ」
「……虚しいですか?」
「いいえ。きっと、嬉しいのだと思う」
「それは良かった」
千里朱音という人間は、聖女としてではなく一人の人間としてこの星に刻まれていたのだと。信じることができるのなら、それはきっと良いことだ。
「あれが、朱音さんなんですよ」
「それは喜んでいいのかしらね」
「俺としてはもう少し素直だと嬉しいんですけど」
「それは難しい話ね」
交わした表情は笑顔だった。いつか見た、笑顔。
「俺、一つ予感があるんです」
少し離れて理論に取り組む篝に視線を移して言葉を続ける。
「この理論を完成させた先に何があるのか、俺も完全には分からない。でも篝が篝のやるべきことを成したとき、その先には……あの世界みたいに朱音さ んが朱音さんでいられる世界がある。そんな風に思うんです」
「私が私で……じゃあ、その為におまえは戦うの?」
「どうでしょうね。根っこにあるのは、あいつが気になるって、ただそれだけっすから。でも、そう思っといた方がやる気出るでしょ?」
「ふふ。そうね。それじゃあ頑張らないといけないわね」
「はい。よろしくお願いしますよ」
白と黒のひな菊の丘で、俺たちは笑いあう。
今ここにいる意味と、今ここにある意思と、この先にある未来を想って。俺たちは笑いあえる。
それを嬉しいと思った。
だから絶対に、叶えなければいけないとも。
「……少し、妄想を言うわ」
朱音から聞くには珍しい言葉。少なからず興味を惹かれる。
「なんすか?」
「もし、瑚太朗の言うような世界になったとして。その時、瑚太朗は私の傍にいてくれるのかしら」
「……それはその時の俺に聞いてもらわないと」
「ふふ、妄想だって言ったじゃない。いいわ。それなら私は瑚太朗なんてあっさり捨ててしまうから」
「なら俺は、俺なしじゃ生きていけないくらいメロメロにしてやりますよ」
「やれるものならやってみなさいな」
「ええ。楽しみにしといてください」
それはきっと願いだった。
今の俺はそれに応えることはできないけれど。
一緒に願うくらいは、許されるんじゃないかと思う。
ふと胸を過ぎる光景があった。
今この時と同じように、ただ二人で他愛なく笑いあう光景。
それはふとした想いの揺らぎで。
いつかどこかの投影で。
どうかこれが未来であれと、淡く輝く月に願った。