■2025年8/14(木)。

京都の下鴨神社古本まつりで、

「ハヤカワ・ミステリマガジン」のバックナンバーを見つけ、

リストに無い北上さんの掲載原稿を2本見つけた話の続き。

今度こそ、ラストです(笑)

 

前にも書きましたが、

北上さんは『書評稼業四十年』という著書の中で、

『ミステリマガジン』での単発の原稿(『書評稼業』出版当時)は8本、

と記していました。

 

 1981年8月号  インタビュー・活劇小説とは何ぞや?

 1984年6月号  熱海美晴館の夜は更けて

 1986年7月号  70年代の迷路/フランシス論

 1988年3月号  インタビュー・面白いミステリをどう選ぶか?

 1989年8月号  私の好きな短編ベスト3・幸福だったころ

 1993年10月号 ポケミス、この一冊/「墓場なき野郎ども」

 1994年2月号  プラトニック・ラブが美しい

 1994年10月号 ラブシーンははしたないほうがいい 

 

しかし偶然にも、下鴨古本まつりで、このリストに無い原稿の掲載された号を

2冊発見したという話。

そのうちの一冊が前回紹介した、

▼1985年2月号

【話題の最前線】というコーナーの

『ロバート・B・パーカーをめぐって

  注目の本格的パーカー論 80年代ヒーローの不幸』

今回は、もう一冊です。

それが……

 

▼1984年9月号

 【特集エッセイ】というコーナーに掲載された

 『冒険小説ヒーロー論

  さらば、ボラン』

■ボラン、とは、創元推理文庫で出版されたドン・ペンドルトンの

「マフィアへの挑戦」死刑執行人シリーズの主人公、マック・ボランのこと。

 

マフィアによって家族を奪われたボランが、一人、マフィアへの復讐に

立ち上がるというストーリー。

 

げっ、今、Wikipediaを見たら、

2020年時点で464巻も出ているそうな!

…って宇宙英雄ローダンか!(昔、全巻読破を掲げ、数冊で断念……恥ずかし)

ちなみに、そのうち、ペンドルトン本人の執筆は37巻までらしい。

ああ、なるほど。

人気作なので、別の作家たちが書き継いできた、

ということみたい。

 

この死刑執行人シリーズ、北上さんも推していたようで、

17巻『水曜日:謀略のシナリオ』の解説を書いてます。

確か絶版になっていて入手難関本だったけど、

23年5/21、今は無き『ブックセンターいとう 日野店』で、

『富士に立つ影』全巻セット(北上さんは7巻で解説)と共に

見つけた記憶があります。

なのに、

『さらば、ボラン』

ってどーいうこと?

 

■北上さんのこのエッセイは、いきなり、こんな風に始まります。

 

「ドン・ペンドルトン『新たなる戦い』を淋しい気持ちで読んだ。」

 

え、どうしました?

『新たなる戦い』は、

『マフィアへの挑戦17 水曜日:謀略のシナリオ』以降の作品。

北上さんのエッセイを読んでいくと、どうやら、

マック・ボランが変質してしまった、として失望した模様。

何が問題なのか? 

 

「これまで同様に、一人で死地に赴くという体裁を一応はとっているが、

 しかしこの新シリーズではチームが支援し、

 さらにボランは合衆国政府のお抱えという設定である」

 

ははぁ、どうやら、孤独な復讐から、政府のエージェントになったのが

お気に召さない、と?

なんて思っていると、いきなり背負い投げ。

 

「マック・ボランは堕落した、などと言うつもりはない。

 エージェント・ヒーローでもいいだろう。

 問題は別の所にある」

 

あらら……すいません。

では、何に失望?

 

「マック・ボランが70年代に喝采を浴びたのは、

 殺された家族の復讐、という個の闘いに徹していたからではない。

 ペンドルトンの小説に見る限り、復讐は口実にすぎない。

 ボランの戦いが現実離れした殺戮と暴力に満ちていたからこそ」

 

そうか、この頃、

「肉体と戦いへの徹底した追求」というものを冒険小説の核として

求めていた北上さん。

なのに、あっさりエージェント・ヒーローとなったことで

 

「復讐という私的理由は、ペンドルトンの場合、

 衣装に過ぎなかったのである」

 

“個人的復讐という名のもとに、己の肉体と闘いをとことん追求している小説

……と思ったら、あっさり「お仕事」にしちゃえるとは。

一体、何だったの?”

ということのようです。

 

■でも、単に失望表明で終わらないのが、誰より早く深く、冒険小説を

推してきた北上さん。

 

エージェント・ヒーローについて、自分なりに調べてみた話へ展開します。

 

「以前、アリステア・マクリーン、デズモンド・バグリイ、

 ジャック・ヒギンズという3人の英国冒険小説作家の翻訳長篇における

 ヒーローを分析したことがある」

 

タイプ別に分類してみたそうで、おお、これは面白そう!

ただ、著作が多すぎて、自分でやってみようと思う人はいないはず。

それをサラッとやっちゃうのが凄いな。

北上さんはまず、

 

「任務型、復讐型、巻き込まれ型に分け、各作家の作品を分類してみると、

 マクリーンに任務型が多いなど、なるほどという結果も多かったが、

 70年代後半からヒーローのかたちが一様に変わってきたことに気が付く。」

「エージェント・ヒーローが極端に少なくなってきたのだ」

 

ほほぅ、そうなんだ。

ちなみに北上さん調べによると、

3作家の70年代後半以降に書かれた翻訳長篇で、エージェント・ヒーローは

ジャック・ヒギンズ『裁きの日』一作のみだそうな。

(あくまでこの時点。これ以降、書かれている可能性はありますよ)

 

じゃあ、どうしてエージェント・ヒーローが減って来たのか。

どうして、エージェント・ヒーローに転身したマック・ボランに失望したのか。

理由について、北上さんはズバッと言い切っています。

 

「任務は永遠なる正義とは限らない。

 今日の闘いが明日も正義であり続ける確証はどこにもない」

 

そっかー!

確かに、CIAのエージェントになって任務を請け負うとして、

必ずしも、それが正義、とは限らないもんなぁ。

マック・ボランは、家族を殺され、その復讐=マフィアとの闘い、という

絶対の正義=信念があったはずなのに、

請け負う任務が正義か悪かも分からない(陣営や見方によって変わってしまう)

CIAエージェントに、サラリと転身してしまったことに、

北上さんは落胆したようです。

今までの、あなたの闘いは何だったの、と……

 

それを北上さんは、

 

「ヒーローが闘う理由のリアリティ」

 

と記していて、

 

「真正面から向き合っているのはおそらく大藪春彦だろう」

 

と称賛。

え? でも、大藪春彦のハイウェイ・ハンター・シリーズや

エアウェイ・ハンター・シリーズの西城秀夫は

暴力団狩りのプロで、警察庁からの依頼を請け負うエージェントじゃん。

……と思ったら、

 

「ペンドルトンが新シリーズにおいて、ボランをエージェントにしたのはいい。

 だが大藪春彦のエアウェイ・ハンター・シリーズにみるような

 エージェント・ヒーローであり続けるための掘り下げがない」

 

と、まるで僕の心を見透かしたように即、切り捨てられてしまいました(笑)

すみません。

 

そんなエージェント・ヒーローについて語る中で、

北上さんは、ディック・フランシスの『興奮』や

ブライアン・ガーフィールドの『反撃』も紹介。

1ページ弱、熱く語っていますが、

その評価などは、この号を入手してチェックして頂いて(笑)

 

■そしてエッセイ後半

ヒーローの闘いのカギとして「肉体」を挙げていて

ロバート・B・パーカーの名前が出て来るんです。

「その点、パーカーは愚直なまでに一直線だ。

 うむ、これを始めると長くなる。

 準備もまだ半分揃わない。

 パーカー論はいずれ近いうちに書く」

 

そうか!

それが翌年の、

▼1985年2月号

『ロバート・B・パーカーをめぐって

  注目の本格的パーカー論 80年代ヒーローの不幸』

 

~~となったのか。

単に、この84年9月号のエッセイの前、

1984年6、7月号に掲載された

カール・ホフマンの『私立探偵スペンサー:騎士の幻影』という論考への

反発だけじゃなかったんですね。

いや、いつも、読みが浅くてすいません(笑)

 

最後に北上さんは、こんな予言も書いてました。

 

「今後の冒険小説は、

 面白いストーリーを求めて外に向かっていく方向と、

 強靭な肉体を求めて内に向かっていく方向とに

 二極化していくだろう」

 

外に向かう作家として挙げていたのは、

フォーサイス、クライブ・カッスラー、A・J・クィネル。

内に向かうのは、大藪春彦とロバート・B・パーカー。

 

そして、内に向かうか、外に向かうか分からない、として挙げていたのが

日本の作家二人。

 

北方謙三と志水辰夫。

その後の作品を見て、北上さんは、どちらに分類したのか。

どちらでもない、新しい道を見出した、と考えたのか。

 

その論考、読んでみたかったなぁ。