2020年5月9日、私は今後のかなみへの応援続行の可否について、一応の結論に達した。
2日前のSHOWROOM配信でコメントがブロックされ、大きな衝撃を受けた私は、その夜は一睡もできなかった。
たしかに、私は普段から違うと思うところははっきり指摘するし、ボヤキもたまにする。ただ、誤解されなくないのは、ボヤキは一般にいわれる「愚痴」ではなく、理想と現実の差を表したもの。
ファンを増やしたいのは私も同じ気持ちだし、ブロックされる直前の、配信で新アバター配布で、画面の壇上がきれいにかなみのアバターでそろったのを見た私が
「このアバターみんながかなみファンになってくれたらなあ(ぼやき)」
とコメントしたのも、愚痴ではなく理想であり、偽らざる気持ちからだった。
とはいえ、このようなコメントがかなみにとっても、(要望に応えて)かなみアバターに着替えてくれたリスナーさんにとっても、このコメントに心証を害したことには、本当に申し訳なく思っている。
配信後、これからもコメントはできないのか、できたとしても控えようと思ったのと同時に頭をかすめたのは、「応援を続けるか否か」にあった。
この日は2週間ぶりの出勤で「日常」のありがたみを痛感した中でのその夜だっただけになおさら。ショックとこれからのことを冷静に分析する両面の気持ちが交錯したのも、一睡もできなかった理由。
結局、翌朝どころか翌々日の昼まで、結論が出せないままだった。
結論が出せないといっても、実は応援をやめる方向で考えていた。
いくら普段、かなみのことをたくさん考えて、かなみのためにあえて苦言を呈したりボヤキを入れたとして、かなみが心底嫌な気持ちにさせていたら、ただの迷惑行為。
信頼関係があればそうはならないが、なぜわかりあえないのかといえば、それは
「立場が違うから」
かなみは今、AnemOne(アネモネ)という4人組アイドルとしてデビューする前に、ひとりでも多くの人に知ってもらえるよう、本当は好きではないであろう配信を70日連続で行っている。
私がかなみの視点から考えた時、本当は女優として舞台やドラマに出たいけれど、うまくいかないからアイドルとして知名度を優先させて、たしかなファンを増やしたいのは理解する。
それに対して、演技力に非凡さを持っていたこと、アイドルが本来的ではないことを1年以上前からこのブログで指摘してきた私の視点からすれば、今のアイドル一本で頑張ろうとしているかなみに違和感を持ってしまう。
あとは、やりたいことができない、常識が必ずしも常識ではない業界の下で縛られる側(かなみ)と、仕事に対して権限+責任を負い、結果だけでなく理詰め(なぜそうしたか)を常に追及される側(私)。
これは、「立場の違い」によるもの。
立場が違う以上、好きなようにできないかなみに対して、「これは間違っている」と、それがたとえ理詰めで説明できたとしても、こうすることが正しいなど、かなみのためになるとは言い切れないのだと思う。
以上のことから、好き好き言ってる一般的なファンとも視点が違う私がこれからも応援するのは、ここでやめようかと思った。
そんな5月9日の午後、先週に引き続き、かなみから「贈りもの」が届いた。
これを見ていると、かなみから「応援してね」と言われているようで、会いたい想いが強くなる。
そう思うのはもちろん、かなみが1番大好きだから。ならば、視点うんぬんではなく、一般的な(好き好き言ってる)ファンと立場は同じではないか。
「かなみがいなくなったら会いたくても会えない。応援ができるうちにもう一度だけ、この子にかけてみよう」
と。