膵臓がん完治までつらかったことベスト10 第7位 | すい臓がんサバイバーhassiの日記

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2023年1月から9年ぶりに再開しました。2019年9月2日にすい臓がんの手術をしてからの闘いは今も続いています。

 第7位は、「周りの気遣い」です。当初は、すい臓がんであるかどうかははっきりしないこともあり、周囲には「検査中です」「疑いですから」と説明してたのですが、体はみるみるやせ細り会うたびに「大丈夫か」、ひどい場合は「それ危ないぞ」などといわれたこともありました。事実、顔の頬はこけ、太もも周りは数センチ細り、LLサイズからLサイズに下着まですべての服装を変えることになっていました。

 

 5月に検査入院の際の全身のMRI検査で「膵臓」に何らかの「疑い」があることがわかり、その後、膵臓まわりの造影剤注射をしてのCT、MRIそして最後に胃から超音波を当てての検査を経て、ようやく膵臓の主管から枝分かれした分岐管の先に2cm弱のポリープが映像としてはっきりと映し出されました。

 

 それまで、主治医の先生の、「疑いですから」という言葉に励まされ、副作用の強い造影剤注射をしての検査を受けていましたが、胃から超音波の検査をした際に、検査してくれた先生が発した一言が「ご両親はご兄弟に膵臓癌の方はいらっしゃいますか」でした。思わぬ形で「がん宣告」受けることになってしまったとともに、主治医の先生の一貫して「疑いですから」と「がん宣告」しなかった気遣いに本当に感謝しました。

 

 その後、主治医の先生からは早急に手術するようにすすめられ、一か月後の手術となりました。

 

 手術をした際の切除した膵臓の様子の説明でも「肉眼では癌かどうかはわからなかった」との説明で、ポリープが癌化しているかどうかの判定には一週間程度かかるとのことで病室を出ていきました。

 

 一週間ほどして主治医から「やはり癌化していました」との説明があり、初めて主治医の先生の口から「癌」という言葉を聞くことになりましたが、病院のスタッフ含め極力「癌」という言葉を使わないようにするという気遣いを痛いほど感じた瞬間でした。

 

 関西の友人はやせ細っていく私の体を見て、茶化し半分で「それ癌ちゃうか」などと励ましてはもらったりもしましたが、そのような周りの気遣いがかえってつらく感じる毎日でした。