コミュニケーションって、何?褒めること、褒められること! | LA’Tokyoマガジン編集局

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ハリウッドと東京の間で生きてきて大量の価値観に出会い、自然に生み出された、ちょっと変わった考え方やアートな感性で人の可能性を広げる止揚された接点としての理想を考え実践するリアリストのブログです!

コミュニケーションって、何?

って考えると相互理解なのでは?と思いますが、
意外と何気ない事として捉えている側面があるのでは?

と...

コミュニケーションに関しての重要性は色んな所に現れます!

例えば日々の仕事の連続という環境の中や、
家庭という、ある意味クローズドの環境下で、
学校や知り合いのコミュニティの中での意思疎通など....

その中でも実際に自分がそのような場面に何度も遭遇した経験から
仕事場での人間関係や仕事そのもので悩んでいる人は多いのでは?

と感じていますが....

その原因も実はコミュニケーションの行き違いによるものが原因なのでは?
と、最近は考えています。

その中でも顕著な意思疎通部分での話をしようと思います。

少し話がそれますが、自分が仕事をしていて退屈と感じたり、
このままこの仕事どうなるのよ?なんて絶望感に似た感覚を
覚えたことはないでしょうか?

そして上司の悲鳴にも似た心の叫びや、やりどころのないイライラ感等.....

普通に仕事をしているとよく出くわす風景ですが、
どう考えても普通とは思えないのです(^_^;)

最近ふっと頭をよぎる過去に苦しんだ葛藤の記憶と言いますか、
同僚たちの顔の表情とかが、リアルな感じで蘇ってきます(^_^;)

何故?あんな感じだったのだろうと.....

普通に考えて、仕事場というものは笑顔に満ちていて、
締め切りが迫った際には、生き生きとした緊張感や
凛々しい表情で満ち溢れているのが普通だと思うのですが、

実際には正反対だったりすることはないですか?

徹夜明けのようなおぼろげな目つきや、二日酔いの後の倦怠感や
正体不明の痛みや苦しみ、目標を持っていない烏合の衆のような
フィット感が欠けているように感じていたのは僕だけでしょうか?

同僚同士で笑顔で会話したり、同じ仲間としての絆みたいなものが
欠けているな~って.........

実際、ほとんどの職場は就業中は私語禁止ですからね(^_^;)
つまりコミュニケーション禁止というのと同義ではないかと?

お昼休みだけで十分なのでしょうか?
お酒を飲めない人は、どうやって絆を高めるのでしょう?

このような環境下で、進んで仕事に取り組んで、新たなものを見出して
行くという楽しみ方や、仲間として共同作業を建設的に行うのはちょっと
難しいかな?と思うわけです。

ある意味、映画の「野麦峠」で、大竹しのぶが結核を患いながら、
絹糸を紡いでいる情景が現代版となって浮かんでくるのですが....

インターネット時代、コミュニケーションがほとんどの時代に突入しても尚、
このような体制や価値観で仕事をするのは、ちょっと古過ぎるかなと....

ここで僕の大好きな脳科学の視点から仕事場を観察してみますと、
脳の仕組みに限らず、すべてのシステムと呼ばれるものは、並列に
リンクされていて初めて膨大な情報を処理できるんですね(^^)

もちろんこれには、蓄積されたデータベースと五感を使った観察という
双方向での情報交換に基づく分析によって、行動デザインが決定されていく
訳ですが、つまりデータベースも観察もその質によって、行動デザインの質が
左右されるということにもなります。

コンピューターで例えると、マルチタスクのCPUが同時並列処理を行うのに
類似しているのですが、メインシステム(ニューロン)が如何に優れたもので
あったとしても、この並列処理(シナプス)が行われなければ、単なる時代遅れ
のシングルタスクのコンピューターとして、大した力は発揮出来ないわけです(^_^;)

多くの企業(個人)がこの状態だと感じていますが、すでに縦のシステムは完
成しているのだから、各階層、英語ではペイグレードなんて呼びますが、同僚
たちの底上げ(精査・トレーニング)と、成果報告(うまくいく方法)を並列でリン
クして、コミュニケーションを活性化させることで、人間工学的にも、システム的
にも、可能性が生み出され、現時代で表現する普通の状態になるのではないか?

と......

常識とは変わるもので、変えないと時代の波に淘汰されます(^_^;)

ダーウィンの進化論でも明らかにメカニズムは解明されていますが、
そもそも常識とは?生きる術であって、つまりうまくいく方法と定義で
きます。

生き残るために、常識という簡易的な哲学(マインドセット)を生み出し、
暗黙の社会規範として、人類は生き残ってきたと.....

しかしながら、コンピューターのオペレーションシステムと同じで、時代と
ともにアップデートしなければ、時代遅れの寝ぼけたシステムにより
不条理な時間が継続、有限な時間を奪われ、道を失う多くの犠牲者が
増えるばかりか、可能性が閉ざされうる多くの事態に発展するケースを
長年観察しています。

このような状況下でできる常識の再定義としてオススメなのが、
人を褒める事ですが、実は昔から言われてきたことですよね?

コミュニケーションを深く考察していきますと、その根底に流れるものは、
社会的認知、つまり英語で言うリスペクト(敬意を払う)ということです。

敬意を払うわけですから、与えられたことに対して⇒与えているという
シンプルなロジックに行き着くわけです。

コミュニティを形成する上で重要な、人間関係の基本的なスタンスだと思います(^^)

生み出した成果(価値)に対して、互いに与え合っている⇒社会的認知という方程式を愚直に実践すると言いますか、温故知新に則って、今風にアレンジしながら、コミュニケーションの源泉を共有するということで、並列に繋がりますよね?

これを拡大することで、互いに褒めあって、人間の根源的なモティベーションの源泉である社会的認知を共有しながら、満足感の高いコミュニケーションの輪を広げていく事が、可能性を広げる事につながっていくのではないでしょうか?

それでは、また(^^)