知恩院散策 | 日々の戯言

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何となく続けている親父のブログ

無鄰菴を出て、瓢亭本店、別館の前の路を歩く。

瓢亭別館の入り口横に張り紙があり「朝がゆ4,500円」と書いてある。

和食派なので、美味しい日本食を食べたいのは山々であるが、

パソコンもデジタル一眼レフも買えぬ貧乏オヤジには値段が高すぎる。


小雨の中、ぶらぶらと神宮道歩きながら知恩院の前に出る。

一杯観光バスが停まっていたが、三門や御影堂に至る石段には

観光客が疎らである。では行ってみようかと思い石段を登ったのだが、

御影堂の大修理を行なっていて、方丈庭園の拝観は敵わず。

折角石段を登ってきたので、阿弥陀堂から上がり、集会堂まで行ってみた。


阿弥陀堂で靴を脱ぐ時、直ぐ前に背が高く面長の綺麗な外人女性がいた。

コートの上からショールを巻きリックを背負ったラフな格好をしていて、

黒いブーツを履いている。年の頃は30歳ぐらいかな。

その綺麗な女性が、ブーツを脱いで階段を登っている姿に目を遣ると、

灰色の靴下の踵の部分が、破れてはいないが薄くなって地肌が見えているのだ。

そんな靴下を履いている事を一向に気に掛ける事無く見学している姿を見て、

なんだか微笑ましい気分になる。

多分、日本の若い女性なら外出する時には、そんな靴下は決して履かないだろう。


御影堂の大修理中なので、納骨堂と大鐘楼だけを見て知恩院を後にした。



<知恩院>
京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。
山号は華頂山。詳しくは華頂山知恩教院大谷寺と称する。
本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基は法然である。

浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、
現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。
徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは
親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。




  三門  南禅寺の三門とどちらがデカイか知らないが、兎に角デカイ三門である

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  三門  山号の「華頂山」の扁額
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           三門  石段を登りきった所から撮影、人が少ない

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  納骨堂

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  大鐘楼

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大晦日の「ゆく年くる年」で知恩院の除夜の鐘を撞く映像が流れるが、

下の画像の様に親綱1人・子綱16人の17人で撞いている。

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                    (知恩院HPより)


  鐘木は鉄製であった。

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知恩院の大鐘楼から南に下る小路があり、歩いていくと安養寺がある。

門から見える石段を見て、登っていくのはしんどそうなので、拝観するのは止めにする。

以下の説明の様に由緒ある寺の様だ。

僧慈円の百人一首も、何度も聞いた和歌であり少しばかり親しみを覚える。


<安養寺>
桓武天皇が平安京に遷都された延暦年間(782~806)、都を鎮守する寺として、
伝教大師 (最澄)が創建。
また、法然上人が比叡山を下り、吉水で開かれた草庵旧跡ともいわれる。
吉水は東山大谷の地名で、境内から霊水が湧き「良い水」であったことから称されたという。
天台宗が始まりで、現在は時宗。

慈圓山大乗院安養寺という。山号の慈円山は中興の祖・慈円の名から取り、
院号の大乗院は、九条兼実と慈円が再建した比叡山無動寺の大乗院に因む。
寺名は、慈円の小倉百人一首より、
「おほけなく 浮世の民に おほふかな わがたつ杣に 墨染の袖」に因み、
世に感謝し、民の恩で暮らす意による。
本尊は阿弥陀三尊立像。


  安養寺の山門

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  安養寺から長楽寺へ向かう道

  花街祇園の直ぐ近くとは思えない静けさ

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